魔法使いになりたいか

§9

「どこ行くの!」

「二階だよ、今日は久しぶりの休みだから、一日ゆっくりする」

「な、なにか、食べたいものとか、行きたいところとか、ないのか? 買い物にいくとか、出かける予定は?」

コイツがどんな理由であれ、家を出たら最後、全部の部窓に鍵をかけて、閉め出してやる作戦だ。

「なにそれ、ついてきてくれるの?」

ついて行く気はないが、一応うなずいておく。

「お兄ちゃん、私はもう、十一の子供じゃないよ。アイドルとして、仕事もしてる」

「いや、そうじゃなくて」

「そうだ! 昔みたいに、パンケーキ作ってよ。私、お兄ちゃんの手作りパンケーキ、大好き!」

「パンケーキ? なんだそれ」

「ホットケーキのことよ」

千里はにこにこ笑って手を振ると、それだけを言い残して二階へ上がっていく。

俺が言いたいのは、そんなことじゃない、出て行けだ。

とにかく千里の機嫌をとって、外に追いだそう。

ホットケーキの材料がないから、お前が買いに行ってこいって言う作戦も考えたけど、超人気アイドルの千里だと、外を出歩くだけでも大変な騒ぎになるし、そもそも材料も、全てうちにそろっていた。

千里は、父親のいない母子家庭で育った。

母親はずっと仕事ずくめで、ほとんど家にいなくて、うちにきた九歳のころには、すっごく細くてガリガリに痩せていて、めちゃくちゃ好き嫌いが多くて、俺の作ったホットケーキぐらいしかまともに食べられなかった。

だから俺は、千里のために、今までどれだけのホットケーキを焼いたか分からない。

市販のホットケーキミックスは、常に用意しておくのがくせになっていたし、それは千里がここを出て行ってからも、一度だって忘れたことはない。

俺はボールに粉を入れると、そこへ卵と牛乳を入れた。

その分量だって、体に染みついている。

甘いにおいが部屋中に広がったとき、台所のテーブルに導師が飛びのってきた。

「追い出すんじゃなかったのか」

「もちろん追い出すよ。そのための準備をしてるんだから、余計な口をはさまないでくれる?」

ホットケーキは、焼き加減が重要なんだ。

フライパンから目をはなしちゃいけない、絶妙のタイミングで焼き上げる、それが俺のこだわり。

生地の状態を見極める審美眼、その瞬間、火からあげられたフライパンは美しい投球フォームを描き、計算通り設置された皿の上に、みごとなシュートを決める。

「やった! 完璧だ!」

皿の上に積み重なった、焼きたてのホットケーキ。

ある程度冷まして、生地を落ち着かせることも忘れてはならない。

よし、時間だ。これを食ったら、出て行けって言おう。

千里を呼び出そうと階段を見上げたら、すでに千里は二階から降りてきていた。

「どうした?」

「やっぱ出かける」

「えぇっ!」

「てゆーか、呼び出し」

千里は、俺が芸術的に積み上げたホットケーキの山の、一番上の一枚を手に取ると、一口分だけちぎって口に放り込んだ。

「でも、基本オフの日だから、すぐに帰ってくるけどね」

千里は食べかけのホットケーキを、山のてっぺんに戻す。

「もういらないから。作んなくていいよ」

そう言って、手についたくずを払い落とした。

「食事制限あったの、忘れてた」

千里はかぶっていた帽子を目深にかぶり直すと、裏の玄関から出て行く。

怒りに震えている俺を、導師は見上げた。

「俺は! あいつが久しぶりに食べたいって、そう言ったから、わざわざ作ってやったんだぞ! 何が、『お兄ちゃんのホットケーキ、大好き』だ! 本当の兄弟でもないくせに!」

だがホットケーキに罪はないから、戸棚からラップを取り出し、一枚一枚ていねいにくるんでいく。

「思い出した! 俺はいつもこうやって、いいように使われてきたんだった!」

ラップには、後で困らないように、今日の日付を書いておく。

レンジでチンしてもいいし、トースターで焼いてもおいしく食べられる。

「絶対に追い出す! もうあいつらに、俺は振り回されたくない!」

作ったホットケーキをまとめて冷凍庫に片付けたところで、俺はふと大切な事を思い出した。

「そうだ、勝手に侵入されないように、窓を閉めてくる!」

走り出したその時、めったに鳴らない店の呼び鈴が鳴った。

導師と目を合わせる。

珍しいな、客なのか? 

俺は呼び鈴の鳴ったレジへと向かった。
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