一筆恋々

【四月二十六日 手鞠より八束への手紙】


謹啓
さみどりの風薫る心地よい季節となりました。
八束さまにおかれましては、予想を越えるご健勝ぶりに、こちらはいささか戸惑っております。
恋文をお預かりするだけであって、恋の成就をお約束するわけではございませんので、お間違えなきようお願いいたします。

さてこの度は律儀にお知らせいただきまして、ありがとうございました。

わたしには文才などまるでなく、恋文の添削は一度お断りしましたが、今回ばかりは事前にお知らせいただいて感謝しております。

三日ほどかけて添削しましたところ、原文を残すことは至難の業と判断いたしました。
大変失礼ながら、八束さまの想いが強いあまり、筆に宿る神の力をもってしても、お心に添う言葉をつむげていないものと思われます。

ここは国語の中嶋先生より絶大な信頼を得ている駒子さんに、八束さまのお気持ちを文に起こしてもらうより他ないと存じます。
どうかそれを書き写し、蓮花草(れんげそう)を一輪添えてわたしにお預けくださいませ。

くれぐれもお気をつけて、駒子さんのおっしゃるままに写してくださいね。

ご武運お祈り申し上げます。
敬白


大正九年四月二十六日
春日井 手鞠
英 八束様


追伸
一点だけ八束さまにお願い申し上げます。
せめてお名前だけはきちんと書かれますように。
「あなたの赤い蜜柑(みかん)」では、別の林檎や蜜柑たちと取り違えかねませんので。



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