龍神愛詞
5・醜さと傲慢さ
次に青龍の国の王が現れたのは、蒼龍の話しが終わってすぐの事だった。
「もうしばらく時間を頂けないでしょうか。
明日には必ず、ご報告申しあげる事が出来ると思いますので。」
国王は恐る恐る、そう申し出てきた。
深く深く頭を下げ、許しを請う。
龍王の機嫌を損ねる事こそが恐怖。
その気になれば、国王程の龍でも一瞬で瞬殺出来る。
興味なさげに国王の言葉に耳を傾ける。

そんな事よりも今龍王の心を占めている思い。
いつでも、どんな時でも思いの先は翡翠の事。
それは服を掴んだままの翡翠。
身動き一つしない翡翠が気になった。
・・・何かあったの?・・・
早くその不安を取り除いてあげたい。
その為その日は、この国にとどまる事を承諾した。

案内された部屋。
やはりここも青で統一されていた。
派手差はなく、抑えた色調の家具や調度品。
それが部屋を落ちついた雰囲気にしてくれる。
私は大きな椅子にゆっくりと座った。
翡翠も静かに横に座ってきた。
ただ手はずっと私の服を掴んだままだ。

あの場所で蒼龍が話した自分の身の上話。
それを黙って聞いていた。
頷くでもなく、悲しむでもない。
ただ静かに下を向く。
なんの反応もせず、ただただじっと。
しかしニ人きりになってすぐに、翡翠は顔を上げ私を見つめてきた。
呪に抗いながら、それでも伝えようと必死に言葉を放つ。

私はそれを聞き逃すまいと、意識を向ける。
「きらい・・に・・ならな・いで。」
無表情な筈の顔が、なぜか今は泣きそうに見える。
絶対に嫌いになる訳がないのに。
自分の生い立ちを聞いた私が、心変わりをすると思ったのだろう。
今の翡翠はとても不安気に見える。
私は安心させる為に、優しく翡翠の頭を撫でる。
「私は何があってもこれから先、翡翠を手放す気はないよ。」
耳元でゆっくりと話す気持ち。
自分の思いがちゃんと伝わるようにと、一音一音思いを込めて。
そして柔らかな表情で包み込む様に抱きしめた。
すると今度は、無表情な筈の翡翠が微かに笑った様な気がした。
・・えがお・・?
途端に私の心に途轍もない、大きな安らぎが生まれた。
そうだ、もっとその笑顔がみたい。
翡翠の本当の笑顔が。

しかしそんな私の小さな願いさえを打ち砕く音がした。
終止符を告げる音。
トントントン。
静かな部屋にドアを叩く音。
開いたドアから入って来たニ人。
それを見た翡翠の身体が小さく震えた気がした。

確かあの男。
あの時翡翠を連れてきた男だ。
翡翠に対する酷い態度、手を上げようとした事を思いだした。
がっちりとした、無駄を省いた筋肉質の男。
黒い着物の様な簡単な簡素な服を着たその男。
異様に開けられ瞳、気味の悪い笑顔でそこにいた。
もう一人は女。
妖艶な顔つき、男が好きそうな色香が漂ってくる。
他の男なら欲望に取り憑かれそう体付き。
それを狙ってか、生の身体の影が見え隠れする服を身に付けている。
顔は綺麗に化粧され、上辺だけの笑みを浮かべている。
しかし目だけは笑ってはいない。
何よりもその気味の悪い目。
あれは何かを誘うような欲を含んだ目だ。
あの女から危険な匂いがした。

「お久しぶりでございます。
あの時は挨拶もなく失礼いたしました。
私はその子の父親で呪術師の長をしております海(かい)と申します。
そしてこの子は鈴(りん)。
スーの義理の妹になります。
この度は不肖な娘が自分の立場をわきまえず、龍王様の巫女などと。
あの子はあなたには相応しくないと存じます。
こちらの手違いで本当に申し訳ない事をしました。
変わりに鈴をあなた様の巫女にお召しいただきたくお願いにきました。」

気持ちの悪い笑顔を見せながら話す男。
龍王である私の前でも、上から見下すような雰囲気。
余裕のある態度。
この男はなんだ!!!
何を企んでいる?
それに翡翠の変わりにこの女だと。
何を勝手なことばかり。
私の巫女は翡翠だけだ。
腕の中で怯えている翡翠は身体を小さくした。
「スーが私の巫女に相応しくないと言いたいのか?」
鋭い目で見返す。
その場が一気に殺気だった。
「その言葉の通りでございます。
この子は呪術師の長の私よりも、強い力を持っています。
私には分かるのです。
今は存在意識の中ですが、恐ろしい程の力を持っています。
私の立場を脅かす存在
その種は今のうちに摘み取らければなりません。」
自分の言い分を勝手に押し付ける強引な言葉。

私は怒りで身体が熱い思いが込み上げて来るのを感じた。
「何が言いたい!」
「これで最後なると思いますので全てお話しましょう。
私はスーの存在を消してほしかったのです。
私にとって呪術師の中での1番を不動の物にする為には、スーは邪魔な存在なのです。
散々他の者に奪い奪われる中、命を落とす事を願いました。
しかしみな、命までは取らなかった。
そして最後にはこともあろうか、あなた様はスーに執着された。
これでは殺す事は出来ません。
だからその変わりに、あなた様の下に行く日に呪をかけたのです。
それも解ける事のない様にニつの言の葉で。」
なんと呪をかけたのは実の父親だったのか。
だから翡翠の本当の名前を知っていたんだ。
命の名前を知っていたんだ。

「だがそんな事をすればお前もただでは済まない筈。」
「その通りです。
名付けた者が命の名前を使って、邪な目的で使えば同じだけ自分にも返ってくる。
それは承知しています。
しかしその事よりも、私は私よりも強い力を持っているスーが憎い。
呪術師の中で一番強いのは、私なのです。
私が1番強くなければならないのです。
しかしなぜか厳重にかけていた、その呪も解けかけている。
だからもう1度かけ直す必要があるのです。」
なんと傲慢な考え。
狂っている。
自分の子どもに、こんなむごい事をするとは。
人間の親は子供を愛おしむ者ではないのか?
大事な存在ではないのか!!!

「スーの呪の言の葉を教えてもらおうか!」
だが私にはお前の狂った理屈など関係ない。
私が心を動かすのは翡翠の事だけだ。
・・・誘!!
・・・心言!!!
私の発した言葉と殺気に身体が硬直する。
これは、短時間だけの簡易的な催眠術。
本格的にこの類の力を使わなくても、今はこれで充分だろう。
身体が抵抗しようとも、知らぬ間に言葉が勝手にこぼれ出る。
翡翠を縛っていた言の葉。
それは。

・・・ひすい・・・
命の名前に命じる。

・・・すべてにあらがうな・・・
どんなものからも抵抗する事を許さない。

・・・あいしている・・・
心からこの言の葉を告げられるまでは、お前は永遠にうつろいの中。

最後の呪に込められた言葉。
自分の子どもの幸せを否定しているとしか思えない。
翡翠を愛するものがこの先現れないと思ったか。
翡翠は人に愛される事はないとでも。
なんと馬鹿げた考えだ。
翡翠はお前が思っている以上に優しく強い。
周りに愛されるに値する人間だ。
もうお前は翡翠には必要ない。
私がいる。
親に愛されなくても、その分それ以上の愛をもっと与えてやる。
私が翡翠の全てを受け入れてやる。

身体の硬直が解けた男。
余裕の表情のまま、にやりと笑いを浮かべた。
それはこれから始める事への合図。
「今度は私の番ですね。」
ん?!
何かを仕掛けてくるつもりか!
今まで以上に挑戦的な態度をとる。
「私から簡単にスーを奪う事が出来ると思っているのか!!」
声を荒げる私に男はやはり、余裕の笑みで答える。
「簡単になどと思ってはいません。」
男は1度目を閉じると大きな声で叫んだ。
空気が淀む。
闇の力が近づく気配。
「解!」
すると男の身体が異様に赤く光りはじめた。
服から出ている肌の部分から得体の知れない文字が浮かび上がっていた。
自らの身体に呪をかけているのか。
なんだこの異様な赤い文字は!
「それなりのリスクがないとあなたには敵わないでしょうから。
どうせスーに命の名前を悪用して呪を使った呪いで、老い先短い身です。
自分の寿命と引き換えに時間稼ぎをさせてもらいます。」

そう言うと突然、男は立ち上がり私に突撃してきた。
不意を付かれ一瞬、身体に触れられる。
次の瞬間。
否!
なに!!
動かない!!!
身体が動かない!!
私の身体を少しの間でも拘束する程の力。
この力は一体なんだ?
その隙に私の腕からするりと、翡翠を奪い取った。
言葉さえ発せない。
・・・翡翠にどこへ連れ行く!!!・・・
心の叫び、絶叫は声にならず消えた。
男はスーを連れて素早くそのまま出ていってしまった。

残ったのは翡翠の義理の妹、鈴と名乗る女。
翡翠の妹だというその女はさも嬉しそうだった。
こいつも狂っている一人か。
慣れなれしくも、私の腕に自分の腕を絡めてきた。
・・・私に触るな!・・・
よほど自分の身体に自信があるらしい。
くねくねと身体を摺り寄せてくる。
・・・止めろ!・・・
色仕掛けなど私には通用しない。
・・・俺に触れていいのは翡翠だけだ・・・
ただ気持ちが悪い行為。
同じ女だというのに、嫌悪感しか感じない。
吐き気をもよおすだけだ。

しばらくすると何とか言葉は発っせられるようになってきた。
「スー・・はど・こだ。」
私はその女を睨みつけて言った。
「スーを・・どこ・へやった!」
身も凍るような低い低い声。
女は父の呪術の力をよほど信用しているようだ。
私の言葉にも余裕な態度を崩さない。
そしてなお、俺の怒りを逆なでする事を言ってきた。
「スーは大丈夫ですよ。
紅龍様がスーをかわいがってくれるそうですから。」
何?
紅龍だと!!!

「スーよりも私の方が満足させられると思いますよ。」
身体が動けないのをいい事に、さらに触れてくる。
最初は遠慮がちに触っていた手が積極さを増してきた。
頬、首筋、唇、肩、背中と大胆に唇で舌で舐めていく。
今度は頬を両手で支えられ無理やり口付けしてきた。
気持ち悪い感触。
ねっとりとしたものが余計に不快感を与える。
ぞわぞわとする狂おしい憎悪。
得体の知れない怒りの塊が身体の奥底から湧き出てくる。
私を浸食するように舌が口の中に入ってきた。
まるで私の欲望を駆り立てるかの様に。
だが私にとっては反対におぞましいだけだった。
私に触れていいのは翡翠だけだ。
なおも女は妖艶に笑い私を誘う。

そしてその手がもっと先へと伸ばした頃、私の怒りは頂点に達した。
パキン!!!
何かが弾けるような大きな音が聞こえた。
それはあの男にかけられた不愉快な術を破った音。
「どけ!!汚い手で私に触るな!!」
私は自由になった腕で女の身体を思い切り払い落とす。
女は強く床に叩きつけられた。
女の身体は一瞬で遥か遠くに吹き飛ばされた
かなりの衝撃で動く様子もない。
瀕死もしくは事切れたようだ。

あの戦いしか興味を示さない龍が、なぜ翡翠を欲しがる?
完全に身体の自由を取り戻した龍王。
外に出ると本来の姿、龍に戻った。
日の光を浴びて神々しく輝く身体が見えた。
まるでこの世界を照らす光を独り占めしているように。
それは眩しく光輝く。

見据える先は翡翠が連れ去られた紅龍のいる赤龍の国。
ゴオー!!!
ゴオォー!!!!
震える空気。
尋常じゃない程の振動と熱。
空気中のわずかばかりの水分さえもその熱で蒸発し燃え上がる。
大地が、空が、大気が、全てが怒りに満ち満ちていた。
怒りで目を真っ赤に染め、ピリピリした振動で身体全体が震えていた。
怒りを身体にまとった龍王。
今は誰の言葉も聞こえない。
思いはただ1つ、優しいスーという存在。
龍王は凄まじい勢いで飛びだした。

地面が揺れ、建物が壊れるような嫌な音がした。
城の中の人たちと蒼龍は驚いたように外に飛び出した。
龍王の腕にスーがいない事に気が付く。
そして本来の姿で荒れ狂う姿。
どうなっているんだ。
先程どうしても娘に会いたいと、スーの父親が訪ねてきた。
不信に思ったが。
龍王が一緒だから下手な真似は出来ないだろうと判断した。
しかしそれがあの父親の思うつぼだった。
あの男がまたスーに何かしたに違いない。
あれ程までに怒りを露わにする龍王を見るのは始めての事だった。
あれがスーの為だけに見せる、剥き出しの激しい感情。
きっとスーの身に何か起こったんだ。
龍王の側にスーの姿はなかったのが何よりの証拠。

なぜあの時、自分も一緒に同席しなかったんだ!
これは安易な考えで会わせてしまった自分の判断ミスだ。
龍王がいるからと、高をくくっていた。
あそこまでスーの対して、酷い事をするあの男。
龍王に対し、何か手立てを考えていないわけがないのに。
何かを企んでスーに会いに事ぐらい予想できた筈。

あの時私は他の件で仕事をしていた。
私は愚かだった。
その間スーが、連れされて事さえ知らなかった。
スーの事を一番に考えるべきだったんだ。
今更、後悔してももう遅い。
スーは連れ去られてしまった。
自分の過ちに項垂れる。

落ち込みかけたその時、凄い勢いで飛び出していった龍王の姿を思い出す。
龍王はスーの行き先を知っている?
きっとそうなんだ。
私はこんな所で何を落ち込んでいるんだ!
自分が犯した判断ミスで、スーは連れ去られてしまった。
でも龍王は諦めてはいない。
そうだ、自分も諦めない!
スーは必ずこの手で救いだす!!
私は弱気な思いを吹き飛ばした。
失敗は自らの手で取り返す!
決意のこもった瞳。
今しがた、龍王が飛びたった方を見据える。
そこには、今にも視界から消えそうなくらい遠くに。
砂の一粒ほどに小さくなった龍王の姿を見つけた。
蒼龍も龍王の後を追って空へと飛び出した。
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