次期国王は独占欲を我慢できない
アリス、王宮へ
 アリスは激しく後悔していた。

「アリス~。ご飯一緒に食べよう!」

 輝く笑顔を振りまき、トレーを持ってやって来るのは、リュカだ。
 過度なスキンシップは止めるように、とは言ったが、親しそうに振る舞うな、とまできつく言えなかったのだ。
 騎士団で鍛えられ、見た目にも精神的にも、大人になった――はず。そう信じて、空気を読んでくれると思ったのだが、その思いは早速挫かれた。
 アリスの隣に座るマリアは、口をあんぐりと開けてリュカを見ているし、少し離れたテーブルにいたアネットに至っては、目が転がり出るのではないかと思う程目を丸くしている。

「アリス?これって一体……」
「あっ、ええと~これは……」
「リュカ様、どうぞ。私の隣にお座りになって!」

 いつの間にか横にはアネットが移動してきており、リュカに接近しようと目論んでいる。
 リュカはそんな強引な誘いにも、天使の仮面を外すことなく、笑顔で頷いた。

「リュカ様は、アリスと知り合いですの?」
「ええと~それは……なんというか~……そういうのじゃなくて。ね?」

 同意を求めるようにリュカを見るが、リュカは頷かない。それどころか、「アリスは、僕のおば――」と言いかけて、アリスの肝を冷やした。

「わぁぁぁぁ!」
「やだ、びっくりした!もう、なによアリス。突然変な声を出して」
「いや……。今虫がいたような気がしたんだけど、違ったみたい」
「リュカ様、今なんと言いかけたのですか?」
「アリスは、遠縁なんですよ。僕のおばあさまの家で育ったので、本当の兄弟のように遊んだものですよ」

 おば、なんて言うからてっきり叔母だと暴露するのかと冷や冷やしたが、「おばあさま」と言いたかったらしい。まったく、なんとも紛らわしい言い方をする。

「そうなの?そんなこと一言も言っていなかったじゃない」
「えーっと……。まさかここでこうして再会するとは思っていなくて」

 それは本音だ。そもそも王宮勤めに受かると思っていなかったのだから。

「そういえば、失念していたわ。アリスも姓がフォンタニエだものね」
「騎士訓練所のメイドは貴族がいないから、階級とか気にしないのよね。そうかぁ、だからリュカ様のお相手はあり得ないって言ってたのね」

 そういう言い方をしただろうか?アリスは首を傾げたが、すぐ近くから妙な冷気を感じた。見ると、リュカがニコニコとこちらの話を聞いているが、その目は笑っていない。アネットもマリアも何も言わないが、長く一緒だったアリスはその少しの変化に気がついた。
 リュカは明らかに怒っていた。

「な、なによ。どうしたの?」
「……べつにー?アリスもそういう色恋の話をするようになったんだなぁーって思って」

 美しく弧を描く唇から出てくる言葉も、どこか尖っている。
 色恋などとリュカは言うが、そんな大げさなものではない。むしろアリスはその件にあまり興味がないほうだ。

「私は、そういうのよくわからない、けど……」
「あら、騎士団の方々もなさるでしょう?」

 口ごもるアリスの声が、アネットによってかぶせられる。けれど、萎んだ語尾の「けど……」を、リュカが聞き逃すはずがなかった。
 以前なら、もっとハッキリと言葉にしていたはずだ。アリスが口ごもった原因が、なにかある。そう確信したリュカは、すっと目を細めた。
 どんどん不機嫌になるリュカだったが、アリスにはその理由がわからない。それにしても、なぜ笑顔で怒れるのだろう。そして、相変わらずアネットとマリアは彼の心境の変化に気づいていなかった。
 居心地悪く感じていると、食堂の空気が変わった。
 気楽な雰囲気でおしゃべりをしていた人たちも、ピシッと背筋を伸ばし、話を止める。
 一体何事だろうかと、入口の方を見ると、随分と久しぶりに見る人物がそこには立っていた。

「ヴァレールさん」
「え?……あら、本当だわ。一体なにかしら」

 王宮全体のメイドを管理する立場にあるヴァレールが、勤め人の宿舎食堂にいることは、おかしなことではない。だが、彼は王宮内に部屋を持っていたし、一日の大半を王宮で過ごしている。宿舎や王宮の外の仕事に関しては、部下に任せているため、今ここにいることは珍しいことだった。
 誰かを探しているのか、キョロキョロと室内を見回している。一体誰を探しているのだろうと、アリスも食堂を見回すと、その途中でヴァレールと目が合った。

「ああ、そこにいたのかね」
「え?」

 ヴァレールはアリスを見つけると、まっすぐにこちらに向かってくる。
 片やアリスは慌てだした。
 まさか、クビではないだろうか。元々アリスが受かったのは間違いだったのだ。だが、門前払いならともかく、一度受け入れておいて今更……となると、アリスのショックも大きい。だが、身構えるアリスに告げられたのは、意外な言葉だった。

「アリス・フォンタニエ。王宮内、衣装部に異動となった。ブラン早月、一の日の朝八時に私のところに来るように」
「えっ?」

 アリスは呆けたまま、ヴァレールから封書を受け取る。
 クビではなさそうだが、部署異動とは、これまた一体どういうことだろう?
 ヴァレールは、用事は済んだとばかりに、さっさと食堂を出て行く。アリスと同じようにポカンと口を開けてふたりを見ていたマリアたちが先に我に返り、封書に飛びついた。

「ねえ、異動ですって!?」
「衣装部って言っていたわ。王宮勤めじゃない!すごいわ、アリス」
「え、ええっと……」

 すごいだの王宮勤めだなど言われても、アリスにはこの異動の意味が、まったくわかっていなかった。


 * * *


 それから数日経っても、アリスの異動話は騎士訓練所の話題の筆頭だった。なんでも、異動自体がなかなかないのだという。

「そりゃそうよ。結婚や出産なんかで王宮から去る人もいるけれど、そんな風に人手が少なくなったところに、翌年新人を入れるからね。たまに退職者が重なって異動を命じられる時もあるらしいけど、私は初めて見たわ」
「ええ~っ、そうなんだ……。衣装部、人が少なくなったのかしら?」
「う~ん……。退職者がいたとは聞かないけれど……」

 情報通のマリアも首をひねる。
 次の採用まで半年以上も残ったこの時期であれば、退職者の穴埋めに異動というのも考えられるが、宿舎から誰かが退去したという話はないのだ。

「衣装部は、訓練所と同じで朝から夕方までの勤務なの。だから、別に王宮内に住む理由もないし、宿舎の部屋も変わらないわ。だから欠員が出たら、宿舎から出る人がいるから気づくはずなんだけど……」
「仕事が増えたんじゃない?ベアトリス王女も社交界デビューなさったし、衣装も色々必要でしょう?」

 マリアの呟きにアネットが加わった。
 リュカの件があってから、アネットはよくアリスとマリアのところに加わるようになっていた。

 ラウル殿下の妹にあたる、ベアトリス王女殿下は、アリスと同じく今年十六歳になった。今年の社交界デビューは、ベアトリス王女殿下がいることもあって、とても華やかなものになるだろう、と言われていて、アリスもとても楽しみにしていたのだ。
 ――結果として、元男爵の令嬢のアリスには、社交界デビューは縁がなかったのだけれど、それでも一時期は貴族として出席するものだと思っていたのである。そう考えると、とても残念だ。華やかで豪華な場は気おくれするが、それでも一生に一度の大舞台ともなると、経験してみたかった気もするのだ。
 ベアトリス王女殿下は、王族ということもあって、幼い頃より公務に同行したり、人前に出ることが多かった。そのため、社交界デビューと言っても、一体なにが変わるのか……と思ったら、結構変わるらしい。

「まず、おひとりで王族代表として公務にお出になることになるわ。それと、ご自分のお名前でお茶会や夜会もお開きになるでしょうね。そのために十六歳になると、侍女も増やすと聞いたことがあるわ」

 それは一大事だ。
 そして、そういう場にはドレスが必要になる。
 王族や貴族は、ドレスを王都にあるいくつかの店で購入する。勿論、王族を顧客に持つことは、店のステイタスでもあるため、売り込みは相当激しいらしい。
 店一番のデザイナ―を送り込み、デザイン画や生地を持ち込んで、あの手この手で営業をするのだ。

「結局、デザインを決めても作るのはその店よ。でもね、日常的なお直しだったり、サイズ調整だったりは衣装部の仕事だからね……。ベアトリス王女殿下の社交界デビューは衣装部にとっても大きいわけよ」
「なるほど」
「あら。じゃあ私たち、もう行くわね」

 周囲の人々がまばらになってきた事に気づき、マリアたちも慌てて立ち上がる。
 仕事が休みのアリスは、座ったままふたりを見送った。

「行ってらっしゃい」
「アリスは今日も厩舎?」

 頷くアリスに、マリアは肩をすくめた。

「ほんと、あんた変な子ね」

 そうは言われても、マルセルのところに吊り下げている干し柿が、ちょうど良い出来なのだ。これ以上干していると、硬さを増してしまう。仕事ついでに厩舎の立ち寄った時などは、必ず確認するようにしていた。水分がなくなり、皺が増えた表面に、うっすらと白く粉が浮かび上がってきている。実はねっとりと甘く、半透明の芯はとろりと、まるで半熟卵の黄身のような食感がするだろう。
 想像するだけで、にんまりと笑みが浮かぶ。自然と歩幅が大きく、速度が上がる。
 気が急いているというのもあるが、マルセルの盗み食いで数が減ることも心配なのだ。
 先日、確認に行った時、吊るしてある紐が一本足りなかった。一本の紐に感覚を開けて五個柿を結んでいる。ということは、最低でも五個は盗み食いの被害にあっているということだ。
 表面が白くなってくるまで待つように言ったのに、まったく。今日会ったら、マルセルに文句のひとつも言わなければ。
 そう意気込んだのに、出迎えてくれたのは、黒尽くめの青年だった。
 不意の登場に、アリスの胸が跳ねる。

「え、あ……。あの、マルセルさん、は?」
「腹が痛いらしい。コレのせいだとか言っていたが……」

 青年が指を指した先には、レンガ色程に濃い色になった柿がぶら下っている。

「失礼ね。干し柿が悪いんじゃないわ。ちゃんと甘くなる前に盗み食いするから、バチが当たったのよ。まだ渋みも残っていたかもしれないし」

 そもそも、マルセルの腹痛は柿が原因とは考えにくい、まったく、失礼な話だ。
 青年が柿を下ろすと、アリスは柿を丁寧な手つきで外し、そのまま噛り付いた。
 うん、思った通りだ。もきゅもきゅと噛めば噛むほど、甘さを感じる。
 アリスはもうひとつ紐から外すと、青年に差し出した。だが、青年は受け取るのに躊躇している。

「――本当に美味いのか?」
「本当だったら。もう、失礼なんだから。せっかくあげようと思ったのに」

 なら、あげない。と、アリスが差し出した手を引っ込める。すると、青年がアリスの手を掴み、強く引いた。
 青年はアリスが掴んだままの柿に、そのまま齧り付く。その時、アリスの指に青年の唇が触れた。

「ちょ、ちょっと……!食べるなら、渡すわよ」
「――うん。うまい。濃厚な甘さだ」

 抗議する声が聞こえていないのだろうか。青年はそのまま柿を頬張る。
 気に入ってくれたのはいいが、そろそろ手を離して欲しいものだ。先ほどから、彼の唇が触れた場所に意識が集中してしまっている。
 どんどん柿は小さくなり、とうとう小さなヘタと枝だけになってしまった。やっと解放されると、腕の力を抜くと、青年は「もったいない」と囁くと、ヘタについたわずかな実に、あむっと齧り付いた。

(ま、また触れた!)

 触れたどころではない。アリスは、指が食べられてしまうのかと思ってしまった。
 間近で自分の指が口に含まれるのを見てしまい、アリスは全身から火が噴き出る思いだった。
 もはや頭も痺れてしまって、なにも言えず目を丸くして、青年を見ている。すると、伏し目がちだった青年の紫色の目が、アリスを捉えた。そこにふっと優しい笑みが浮かぶ。
 ハッと我に返ったアリスは、慌てて手を振りほどいた。
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