私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
第二章・盗賊
 翌日の早朝、まだ日が出てもいない時刻だった。
 ゆりは、体を揺さぶられる振動で目が覚めた。
「ん……なに?」
 目を開けると、結の顔が間近にあった。ゆりは驚いて一瞬息を呑む。

「びっくりした……。どうしたの?」
「朝だ。起きろ」
「え、だってまだ暗い……」
「起きろ」
「……はい」
 淡々とした口調で命じられ、ゆりは渋々起き上がった。

「もっと寝たかったなぁ」
「ゆんちゅんは寝ぼすけだ」
「結が早すぎるんじゃないの?」
 軽く嫌味を言いながら、ゆりは腕を上げて伸びをする。

「もっと警戒心を持った方がイイんだぞ」
「だって、セシルさんの家だよ?」
「あの女は信用出来ない」
 結はムッとした表情で、閉まっているドアの先を見つめるような目つきをした。

「なんで?」
「主を呼び捨てにしてる。許せない」
「そんな理由?」
「そんなじゃない! 重要なんだぞ!」
 頬を膨らませながら拗ねた結に、ゆりは可愛いなと笑みを返した。

「あはは。そうなんだ。……ところで、セシルさんは?」
「もう起きてる。下にいるだろ」
「そっか。早いんだねぇ」
「だから、ゆんちゃんが遅いのだ」

 ずばりと言われてゆりは苦笑し、部屋のドアを開け、階段を下りた。
 すると、リビングのテーブルにはすでに朝食が並んでいた。

「おはよう。ゆり、結」
「おはようございます。セシルさん」

 目玉焼きをテーブルへ置こうとしていたセシルは、二人に気づいて爽やかに笑んだ。
 ゆりは笑みを返したが、結はムスッとした表情のまま、ぷいっと顔を背けた。

「もう、結ったら……すいません」
「良いのよ。――雪村は?」
「ああ、まだ寝てるんじゃないですか?」
 ゆりが振り返って、雪村が借りている二階の部屋を仰ぎ見ると、結が尖らせた口を解いた。

「寝てる、思う。主はゆんちゃんと同じで寝ぼすけだ」
「ゆんちゃん?」
「ああ、私のことです」
 小さく手を上げると、納得したようにセシルは頷く。

「ジゼルさんは?」
「昨日、昼間に宝石竜の石を取りだしたものを、水でキレイに洗って、一晩月明かりにさらしていたの。それを取りに行ってるわ」
「へえ……」
 相槌を打って玄関を見やったゆりに、セシルは若干真剣な声音を向けた。

「ねえ、ゆり」
「はい?」
「ゆり達はどこに行くの?」
「えっと、確か、クラプションだったかな」

「へえ、結構遠くに行くのね」
「遠いんですか?」
「ええ。ここから四週間くらいはかかるわね」
「そんなに!?」
 驚いたゆりに、セシルは目を丸くした。

「だって、歩きでしょう?」
「と、思いますけど……」
 自信なさ気に言ったゆりに対して、セシルはにやっとした笑みをかえす。

「短縮出来る方法があるわよ。私を連れて行くの。どう?」
「え?」
 小首を傾げるゆりの横で、結は目を見開いて不愉快そうに下唇を噛んだが、セシルはにやりとした笑みを消さなかった。

「いつもなら、この先のディング町に行って宝石を売るんだけど、もっと先のユルーフ町へ行けば、もっと高値で売れるのよ。でも、その道中がちょっと危険なの」
「き、危険?」
「ええ。盗賊が出るのよね」
「え!?」
「だから、普段は近くの町にしか行かないんだけど、雪村いるでしょ」
「雪村くんが、何か?」

「彼、すごく強いじゃない。だから、一緒に行けば心強いと思って。もちろん、お礼と言ってはなんだけど、喰鳥竜をユルーフまで貸すわよ。そうすれば、ちょっとは早くクラプションに着けるわ」

 ゆりはきょとんとした。
(強い? 雪村くんが? そういえば、昨日もそんなこと言ってたっけ。セシルさん)
 疑問が浮かんだが、あえてゆりはスルーすることにした。そこまで興味もなかったからだ。

「でも、帰りはどうするんですか? 同じ道を通るなら危険なんじゃ?」
「帰りは大丈夫なのよ」
「どうして?」
 言い切ったセシルに、ゆりは怪訝に首を傾げた。

「裏道があるの。山の中を通っていくんだけど、下っていくのね」
「下る?」
「そう。断崖をね。でも、反対にこっちから行くとなると登らなきゃいけないでしょ? 喰鳥竜であの断崖を登るのはちょっと無理ね。降りるなら平気なんだけど。もちろん、普通の崖だったら登ることも可能なのよ」

「へえ……喰鳥竜ってすごいんですね」
「ええ。山に生きる者にとっては、強力な味方ね」
 セシルは誇らしげに言って、身を乗り出した。

「それで、どうかしら? お返事の方は?」
「私は、セシルさんがいてくれたら心強いですけど――」
「ダメだ!」
 遮るように結が言って、セシルを睨み付ける。

「……結。あなた、どうしてそんなに私を嫌うのかしら?」
 セシルは困ったように笑ったが、その笑みはどことなく自信があるようにも見える。
「オマエは、主を呼び捨てにする!」
「……」
 セシルは目を見開き、あんぐりと口を開けた。

「……あら、ごめんなさい。雪村って、そんなに偉い人だったのね」
「偉い?」
 ゆりが訝しく眉を顰めると、セシルは気まずそうな表情を向けた。

「主ってことは、家臣がいるってことでしょ? 家臣を持ってる人って言えば、貴族か、軍人の将ってことよね」
 確認するように言って、セシルはハッとした。

「じゃあ、ゆりも雪村の家臣なのかしら?」
「ゆんちゃんは違う! オマエ、まだ呼び捨てするか!」
 憤慨した結に、セシルは強い瞳を向けた。

「呼ぶわよ。だって、彼が良いって言ったんだもの。竜狩師は差別はしないの」
「差別だと!?」

「身分が高かろうと、低かろうと、本人が嫌がる言い方はしないわ。身分が高い者が、身分の低い友に呼び捨てで呼んで欲しいと言って、それで友が呼ばなかったら、その身分が高い者はどう思うかしら? それだって立派な差別じゃないのかしら?」

「……オマエの言ってるコトは、おかしい! 身分の高い者は、そう扱うべきだ!」
「それって、雪村が一番嫌がりそうなことだけどね」
「オマエが主を語るな!」

 結は頭に血が上って吠え、今にもセシルに掴みかかりそうだった。だが、その前にすばやくゆりが割って入る。

「まあ、まあ、良いじゃないですか。もう、ね。それぞれが好きなように呼んだらそれで、ね? 呼び方なんて、千差万別ですよ?」

 気まずい雰囲気が流れ、ゆりは貼り付けた苦笑を解けなかったが、そこに、結がぽつりと呟いた。

「……私だって、呼べるなら、呼びたいよ……!」
「?」

 セシルには結がなんの言葉を喋ったのか解らなかった。公用語ではなかったからだ。だが、ゆりは違った。魔王の訳のおかげで結がなんと言ったのか理解した。声音は悔しさに満ちていた。
 俯く結を見て、ゆりは心配になった。
(結? もしかして泣いてる?)
 そこに、突然暢気な声が飛んできた。

「おはよ~!」
 三人はぎくりとしながら振り返った。

 あくびをしながら眠たそうに、雪村が階段を下りてきたところだった。
 話題の人物の登場にゆりは気まずく結を見やるが、結は別段変わった様子はなく雪村を見上げていた。

 静かにほっと息をついたが、本人のせいではないとは言え、何も知らずに暢気にしている雪村をどこか憎々しげに思って、ゆりはつい鋭い眼差しを向けてしまった。
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