振り返った先で見たエドワルトは、急いで走ってきたように息が乱れている。整えられた金色の髪が崩れているのもかまわずに両手でリーリヤの腕を掴むと、そのまま覗き込むように瞳を合わせてきた。

「待ってください! さっきのことですが……」

「エドワルト様……」

(まずい! まさか、私が魔法で騙していたことに気づかれたのかしら?)

 魔女だからといって火あぶりになったりはしないが、自分が騙されていたと知って怒らない者はいないだろう。

 だから、必死に追いかけてきたエドワルトの様子に、リーリヤの額に冷たい汗が滲んだ。

「リーリヤ。さっきの話なのですが」

 だからエドワルトが続ける前に、急いで口を開く。もちろん笑顔で。

「いいのです。エドワルト様が、豊満な肉体を持つマミール男爵令嬢の虜になったのなら仕方のないこと。私は潔く引き下がりますから」

「いやいや、なんで貴女の中でまで私が肉欲に負けたことになっているんですか!」

「ああ。体でないのなら、私の顔がお気に召しませんでしたのね。では、やはりここは身を引いて」

「だからすかさず別れようとしないでください!」

 そうではなくてと、肩におかれたエドワルトの両手に力がこもる。

「マミール男爵令嬢のことは誤解なんです。貴女を驚かせる発言を突然してしまったのは本当に申し訳ありませんでした。だから――」

「だから、何かお詫びをして別れたいと。いいですわ。じゃあ王宮古書の総ざらいとちょっと旧王宮の自由立ち入り許可さえいただければ、後腐れなく別れて差し上げますから」

「満面の笑顔で言わないでください! それになんでそんなに別れたがるんですか!?」

 あらと心外なように手を組んでみせる。

「だって仮にも婚約までした方の幸せのためですもの。たとえ今心が泣いていても、本心から喜んで別れて差し上げますわ」

「言葉が矛盾してます! 文章としておかしいでしょう!?」

 そうではなくてとエドワルトが焦るように金色の前髪を掻き上げた。

「あ、私の今の案がお気に召さないのでしたら、慰謝料として王宮の出入り自由でも――」

「だから、どうして破棄されようとしている私が、慰謝料を払う方向で話が進んでいるんですか!」

(ちっ! ここであっさりと頷いてくれたら、別れた上に呪いの手がかりが探れて一石二鳥だったのに!)

 けれどさすがに素直に納得してはくれない。

 しかしその瞬間、もう一つの可能性に気がついた。はっとリーリヤの背が凍る。

(それともまさか――私に慰謝料を払えとか?)

 ありうる。騙されていたともし気がついたのならば、牢獄に入れる代わりに、何か要求するつもりなのかもしれない。

(でも私! こんな豪華な王宮に出入りするような人に払えるものって、何ももっていないんだけど!)

 どうしようと焦る前で、一瞬逡巡していたエドワルトの視線は、再度リーリヤを見つめた。

「そうじゃなくて――やり直したいんです」

「え?」

 きょとんとリーリヤのすみれ色の瞳が開かれる。

 しかし、目の前に立つエドワルトは心の底から申し訳なさそうな顔だ。

「さっきはすみませんでした。突然あんなことを言い出して。ましてや、あんな場所で。貴女をすごく驚かせてしまったと思います」

「え、ええ。まあ――」

(魔法の暗示が解けたのかという方の驚きでしたけれど……)

 しかし、エドワルトは困惑したように頭を振っている。

「私はひょっとしたらどこかで頭を打ったのかもしれません。どうしても、貴女と婚約した時のことだけが思い出せないんです」

(そりゃあ、森にいる姿を後ろから不意打ちで昏倒させて、意識がない状態で魔法をかけたから!)

「貴女と都に帰ってきたときのことは覚えています。毎日夜会や街にでかけて、夢のように幸せだった日々も……それなのにどうしてなのか。肝心の貴女と婚約した時のことだけが思い出せないんです」

 どうやら、今のエドワルトの話を聞くと、まだ完全に魔法が解けたわけではないようだ。

(けれど、この状態なら残っている魔法もいつ消えるかわからないわね……)

 そうではなくてもリーリヤの魔力は不完全な状態だ。どこまで効力が続くかは怪しい。

 けれど、黙っているリーリヤの様子に、エドワルトは勘違いしたらしい。

「リーリヤとの大切な記憶を突然忘れた私を信じられないのも無理はないと思います。でも、貴女と別れたくないんです。ですから、どうかもう一度! 私とやり直して下さい!」

「うーん」

 額に指を当てて考え込んでしまう。