密偵をクビになったので元主のため料理人を目指します!
「まったく、ジオンには困ったものだ。こんなことを企んでいたなんて。君も忙しいだろ?」

「い、いえ、そのようなことは!」

「本当?」

 焦りだす私を主様は疑っている。
 昔なら簡単に、主様以上に優先されるべきことはありませんと言えたのに。今はどう返せばいいのかわからない。こんなに近くにいるのに、主様との距離が遠い気がした。

「なら、俺には会いたくなかった? クビにしたんだ。怒って当然だよね」

 まるで私が主様を嫌っているような発言は、いくらご本人でも許せない。クビにされたことで主様を恨んだことは一度もないのに。

「どうしてそうなるんですか!」

「それならどうして会いに来てくれなかったんだ?」

 困ったような眼差しで迫られる。
 けれど困惑しているのは私も同じだ。

「会いに行っても、よろしいのですか?」

 主様は目を丸くし、しばらく私を見つめてから大袈裟に息を吐いていた。
 私などにはとても想像が及ばないけれど、主様も何か緊張されていたのかもしれない。

「いいに決まってるだろ。はは、なんだ……そういうことか。俺たちは互いに遠慮し過ぎていたんだね。これは一計を案じてくれたジオンに感謝すべきかな」

 ジオンに感謝? ジオンなら外で見張りをしているはずですが……
 そこで私は自分がいつまでも主様を立たせたままにしている状況に気が付いた。

「主様、とにかくお座りになって下さい! お茶! あの、私入れます!」

 なんとか主様に座っていただくと、それだけで随分と心が落ち着いた。
 会話というミッションも残っているが、座っていただいたからにはまず飲み物を用意しなければならない。
 紅茶の入れ方ならメイドとして屋敷に潜入するために記憶している。冷静に真似ればいいだけのことだ。
 ただし問題が一つ。
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