メガネ王子に翻弄されて
第三章

〇野口不動産・一階エレベーターホール(夕)
ゆり子「えっ?」
望月「……っ!」
驚きのあまり、固まるふたり。

ゆり子(う、う、嘘でしょ~! どうしてこんな時に限って会っちゃうわけ?)
顔が引きつる。

望月「……昨日の?」
ゆり子「ど、どうも」
と、慌てて頭を下げる。

今朝、望月の上で目が覚めた時のことを思い出すゆり子。
ゆり子「……」

密着したゆり子の体の感触を思い出す望月。
望月「……」

ゆり子と望月が顔を赤くして黙り込む。

松本「あっ! 昨日の!」
望月の後ろからヒョコッと顔を出す。

松本「開発事業部の松本です。昨日は本当に申し訳ありませんでした」
と、ゆり子に頭を下げる。

ゆり子「気、気にしないでください」
頭を下げる松本の前でオタオタする。

望月「開発事業部の望月敦です。同じ会社だったんですね」
ゆり子「……はい。住宅事業部の香山ゆり子と申します」
と、頭を下げる。

松本「よし。それなら親睦を深めるために飲みに行きましょう」
向かい合っているゆり子と望月の間に割り込む。

ゆり子「い、いいえ。私はこれで失礼します」
松本「そんなこと言わないで。行きましょうよ」
と、ゆり子に迫ってくる。
ゆり子「でも」

松本「俺、四月に営業部に異動するんですよ。で、コイツは四月からチーフ」
と、親指で望月を差す。
ゆり子(えっ? 彼がチーフ?)
目を丸くして望月を見る。

松本「だから俺の送別会と望月の昇進祝いってことで。一杯だけ付き合ってください」
ゆり子「あっ!」
松本ががゆり子の手首を掴み、強引に足を進める。

〇同・一階フロア
松本に手を引かれながら、定時を過ぎて誰もいない受付カウンター前を通るゆり子。

松本「そうだ。後で連絡先を交換しましょうよ」
ゆり子「えっ?」
松本「こうやって再会できたのも、運命だと思うんですよね」
と、ゆり子を見てニコリと笑う。

ゆり子(運命って……。私、この人に運命感じてないし)
松本の笑顔を見たゆり子の顔が引きつる。

ゆり子(それに、ごっつい人ってタイプじゃないし)
松本のガタイのいい体を見たゆり子のこめかみに汗が伝う。

ゆり子(それに、毛深い人って苦手だし)
自分の手首を掴む松本の手の甲と、指に生えた毛を見たゆり子の顔が青ざめる。

ゆり子(それに、ゴリラは無理~!)
松本がゴリラに変身。ゴリラを見たゆり子が心の中で泣き叫ぶ。

望月「松本チーフ。昨日も送別会と昇進祝いだと言って、飲んだじゃないですか」
ゆり子の手首を掴んでいた松本の手を、望月がパシンと振り払う。

望月「今日はまっすぐ帰りますよ」
松本「(甘えるように)えー。望月くん。飲みに行こうよ」
望月「(かぶせ気味に)行きません」
冷たく言い放った望月が、ゆり子と松本の間にさり気なく割り入る。

ゆり子(今、助けてくれたよね?)
ドキッと胸が高ぶる。

松本「それじゃあ、家まで送りますよ。どこですか?」
ゆり子(うっ……無視したいけど、無視できない)

ゆり子「……目黒です」
松本「もしかして山手線ですか?」
ゆり子「はい」
松本「奇遇だな。俺も山手線なんですよ」
と、ニタリ。
ゆり子「……」

望月「松本チーフは内回りでしょ」
と、ツッコむ。
松本「今日は外回りで帰りたい気分なんだよ!」
望月「外回りで帰りたい気分ってどんな気分なんですか!」
言い合う望月と松本。

ふたりの様子を見たゆり子がクスッと笑う。
ゆり子「仲がいいんですね」
望月と松本の足が止まり、お互いの顔を見合う。

望月と松本「(同時に)そんなことないですよ」
と、顔の前で手を左右に振る。

ゆり子(やっぱり仲がいいじゃない)
息の合ったふたりの様子を見て、ゆり子が再び笑う。

〇東京駅・丸の内(夕)※三月中旬、午後六時三十分
構内。声のみ。
ゆり子「望月さんはどちらですか?」
望月「俺は恵比寿です」

〇電車内
山手線内回りの電車にひとりで乗る松本が、満員電車の中でもみくちゃになっている。

山手線外回りの満員電車内の中央部で、片手を上げて天井に近い手すりに掴まる望月。彼の前で、両手でバッグを抱えるゆり子。

ゆり子「四月からチーフなんですね。昇進おめでとうございます」
望月「ありがとうございます」

ゆり子「あの、望月さんって入社何年目なんですか?」
望月「俺は八年目です」

ゆり子(八年目っていうと三十歳?)
目を丸くして驚いていると電車がガタンと揺れ、後ろの乗客がゆり子の背中にぶつかる。
ゆり子「キャッ」
バランスを崩して前のめりになったゆり子の体が、望月の胸にトンとあたる。

メガネの下からゆり子を見下ろす瞳、長いまつ毛、高い鼻、きめ細やかな肌。
視線を上げたゆり子の目に、望月の顔が映り込む。

ゆり子(綺麗……)
バッグを胸に抱えたまま、目の前に迫った望月の顔に見惚れてしまう。

望月「大丈夫ですか?」
ハッと我に返り、恥ずかげにうつむくゆり子。

ゆり子「ご、ごめんなさい」
望月「いいえ」
近すぎる距離に驚いたゆり子が慌てて体を離す。

電車内に「次は目黒」とアナウンスが流れる。

ゆり子「私はここで。お疲れさまでした」
望月「お疲れさまです」
視線を伏せたまま、望月に背中を向ける。

目黒駅に到着した電車のドアが開く。

ゆり子(ふたつ年下の彼が、チーフか……)
ため息をついたゆり子が、電車から降りる。

〇野口不動産・食堂(昼)
混雑している食堂で、向き合って食事するゆり子と市原。

市原「(ためらいがちに)あのさ……。今夜ヒマ?」
ゆり子「……残念ながらヒマです」

市原「そうか。だったら飲みに行かないか? この前行けなかったし」
ゆり子「うん。あ、私トリ吉に行きたいな」
と、笑顔。

市原「……もっとさ……オシャレな店にしない?」
ゆり子「え、どうして?」
困り顔の望月を見て、首を傾げるゆり子。

市原「今日はふたりきりだし……。俺、香山に話があって……」
徐々に小さくなる市原の声。
ゆり子「えっ? なに?」
普段と様子が違う市原に、ゆり子は気づかない。

市原「……なんでもない。わかった。トリ吉な」
と、ため息をつく。
ゆり子「うん。楽しみだね」
市原「ああ」
もりもりと食事するゆり子を見た市原が、あきらめ顔で微笑む。

〇居酒屋・トリ吉の外(夜)
紺地の暖簾に白地でトリ吉の文字。
暖簾をくぐった市原が引き戸をガラリと開ける。

〇同・店内
店員「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
市原「はい」
店員「こちらにどうぞ」
案内されたゆり子と市原がテーブル席に向き合って座る。

店員「いらっしゃいませ。なににしましょう」
市原「取りあえず、生ビールをふたつと手羽先の盛り合わせを」
店員「かしこまりました」
と、去る。

市原「懐かしいな」
ゆり子「うん。昔はよく来ていたのにね」
市原「そうだな」
ゆり子と市原が懐かしげに店内を見回す。

梁や天井が剥き出しの木造作りのレトロな店内。壁には手書きのメニューが貼られている。

ゆり子(同期とトリ吉に来ては、仕事のことや恋愛のことを熱く語り合ったな……)
当時の様子を思い返す。

店員「お待たせしました。生ふたつです」
テーブルにふたつのジョッキがドンと置かれる。

ゆり子と市原「乾杯!」
ジョッキをガチンと合わせ、ゴクゴクと飲む。

ゆり子「プッハァ! 生き返る!」
息を吐き出したゆり子が口についた泡を手の甲で拭う。
市原「オヤジかっ!」
ツッコミを入れた市原がケラケラと笑う。

市原「ほかになに食べたい?」
ゆり子「そうだな……」
ふたりでメニューを覗き込む。

店員「お待たせしました」
テーブルの上に手羽先の盛り合わせと取り皿が並ぶ。

市原「適当に頼んでいいか?」
ゆり子「うん。お願い」
市原「すいません。シーザーサラダと……」
と、店員に追加オーダーする。

市原「さて、食うか」
ゆり子「うん」
ふたりで手羽先を頬張る。

市原「異動のことなんだけどさ。開発事業部って大規模プロジェクトに関わる花形部署だろ。そこに異動ってすごいことだよな」
ゆり子「……そう、かな」
市原「そうだって。それにメガネ王子もいるしな」
と、ニヤけ顔。

ゆり子「……っ!」
今まで望月との間にあったことを思い出したゆり子の顔が、瞬く間に赤くなる。

市原「あれ? なに赤くなってんの? もしかしてメガネ王子のこと、マジで意識しちゃっるとか?」
と、興味深くゆり子を見つめる。

ゆり子「そ、そんなわけないでしょ」
市原「怪しいな~」
プイッと横を向いたゆり子をからかう市原。

店員「お待たせしました」
オーダーした料理がテーブルにずらりと並ぶ。

市原「相変わらず彼氏いないのか?」
ゆり子「うん、いない。市原くんは?」

市原「俺もいねえ」
ゆり子「だと思った」
ふたりで笑い合う。

市原「でもさ、同期も含めて周りがどんどん結婚していってるだろ? 香山は焦りとか感じないの?」
と、ビールを飲む。

ゆり子「私はちっとも焦ってないけど……。えっ? 市原くんは焦ってるの?」
市原「……まあな」
目を丸くしているゆり子から視線を逸らす。

ゆり子「彼女がいないのに結婚を焦るって……まさかお見合いでもするつもり?」
市原の顔を食い入るように見つめる。

市原「見合いなんかしねえよ。……俺、ずっと前から気になっているヤツがいて……。でもそいつは俺のことなんか眼中にないみたいでさ……」
と、肩を落とす。

ゆり子「そうなんだ。片思いって切ないよね……」
と、しんみりしたのも束の間。
ゆり子「いい年なのに片思いか……。プッ!」
と、吹き出す。

市原「プッ!ってなんだよ! 同情するようなこと言っておいて笑ってんじゃねえよ!」
と、ゆり子の額を人差し指でコツンと突く。

ゆり子「ごめん、ごめん!」
笑いながら謝る。

ゆり子「ねえ。その片思いの相手って、住宅事業部の子?」
市原「……」
ゆり子「黙ってるってことは、そうなんだ! 木村さん? それとも井上さん?」
市原「……」

はしゃぐゆり子を見てため息をつく市原。

市原「すいません! お代わり!」
と、空になったジョッキを掲げる。
ゆり子「あ、私も!」
と、慌てて手を上げる。
店員「はい! かしこまりました!」

〇トリ吉前・道路
市原「悪い。酔った……」
ゆり子「ううん。気にしないで」
ふらついている市原を支えてタクシーに乗る。

〇タクシー・車内
市原「目黒まで」
運転手「はい」
タクシーが発車する。

ゆり子「先に市原くんの家でいいよ」
市原「酔っていてもきちんと送るって」
ゆり子「ありがとう」
と、微笑む。

市原「(しんみりと)四月から寂しくなるな」
ゆり子「うん。私も住宅事業部を離れるのは寂しい」
と、しょんぼり。

市原「あー。そうじゃなくてさ……」
うつむいた市原が頭を掻く。
ゆり子「ん? なに?」
と、市原を見つめる。

顔を上げた市原がゆり子の手を握り、指を絡めてくる。

絡み合ったお互いの手を驚きながら見つめるゆり子の耳もとに、市原が唇を寄せる。

市原「お前がいなくなるから寂しいって言ってんだよ」
ゆり子「市原くん……」
瞳を揺らすゆり子。

つづく
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