メガネ王子に翻弄されて
第五章

〇野口不動産・住宅事業部オフィス外
市原「俺、香山のことが……」
すぐに顔を上げた市原が、ゆり子を真っ直ぐ見据える。

ふたりの間に沈黙が流れるなか、ガチャリとドアが開き、市原がゆり子から慌てて離れる。

木村と数名の女子社員がオフィスから出て来る。

木村「あ、市原さん」
うつむきがちに頭を掻く市原に木村が気づく。

市原「……お疲れ」
わざとらしい笑顔で、木村と向き合う。

木村「お疲れさまです。これからみんなで香山さんのお別れ会をするんですけど、、市原さんも一緒にどうですか?」

市原「……いや。まだ仕事残ってるから俺はいいや。今日は女子だけで楽しんできて」

木村「そうですか。それじゃあ、お先に失礼します」
市原「お疲れさま」
木村を先頭に、女子社員たちが頭を下げて市原の前を通り過ぎていく。

市原「香山。新部署でもがんばれよ」
ゆり子「ありがとう。市原くんもね」
最後にゆり子と市原が向き合う。

市原「ああ」
うなずいた市原がゆり子に背中を向ける。

ゆり子(さっきのって、お別れのハグ?)
市原に抱きしめられた感触を思い出し、頬を赤くする。

ゆり子(結局、市原くんの話ってなんだったんだろ?)
オフィスに戻って行く市原の後ろ姿を見ながら、首をひねる。

木村「香山さん。エレベーター来ましたよ」
ゆり子「うん。今行く」
と、エレベーターに向かって小走りする。

〇野口不動産・開発事業部オフィス(朝)※四月一日
ドアがカチャリと開き、部長の後に続いてゆり子がオフィスに入ってくる。

窓から日差しが差し込む明るいオフィスで作業をしている社員の視線が、ゆり子に注がれる。
その中に、望月の姿も。

望月とゆり子の視線がパチリと合う。
視線が合っても表情を変えないふたり。

メガネのブリッジを押し上げ、自分の横を通り過ぎて行ったゆり子の後ろ姿を見つめる望月。

引き続き部長とゆり子がオフィスを進む。オフィス前方に辿り着いたふたりの足が止まる。

部長「おはようございます。今日から新年度になり……」
部長の挨拶がしばらく続く。

部長「……一致団結をして頑張っていきましょう。では香山さん、挨拶をお願いします」
ゆり子「はい」
と、頭を下げる。

ゆり子「住宅事業部から本日付で異動になりました香山ゆり子です。経験を活かしつつ、早く皆様のお役に立てるように努めます。よろしくお願いいたします」

挨拶を終えたゆり子が頭を下げると、パラパラと拍手が起きる。

部長「望月。香山さんのこと、頼むよ」
望月「はい」

オフィス前方に移動してきた望月の足が、ゆり子の前で止まる。

望月「チーフの望月です。よろしくお願いします」
ゆり子「香山です。こちらこそよろしくお願いします」

望月(なんか照れるな……)
ゆり子(なんか恥ずかしい……)
ぎこちない笑顔を浮かべて挨拶を交わすふたり。

望月「香山さんのデスクはあちらです」
ゆり子「はい」
うなずいてオフィスを進む望月の後をついて行く。

望月「ここを使ってください」
と、デスクを案内。
ゆり子「はい。ありがとうございます」

望月「ちなみに俺のデスクは向かいですので」
ゆり子「はい。わかりました」

望月「わからないことがあったら、遠慮なく聞いてください」
ゆり子「ありがとうございます」
再び、ぎこちなく笑い合うふたり。

橘「橘幸太郎、二十三歳。入社二年目です。趣味はサッカーで、見るのもプレイするのも好きです。よろしくお願いします」
ゆり子の斜め前の席の橘が立ち上がり、ペコリと頭を下げる。

望月「なんだよ。その合コンみたいな挨拶は」
と、あきれ顔。

ゆり子「こちらこそよろしくお願いします」
微笑みながら橘に挨拶を返す。

あかね「望月チーフ、楽しそうですね」
ゆり子の隣のデスクの野口あかね(26歳)が笑う。

望月「うるさくして、ごめん」
あかね「いいえ。望月チーフはちっともうるさくなかったです」
と、ニコリと微笑む。

あかね「野口あかねです」
ゆり子「香山です。よろしくお願いします」
と、頭を下げる。

あかね「早速ですがこのデータ入力をお願いします」
ゆり子「はい」
イスに座ったゆり子の前に、あかねが一枚の書類を差し出す。

あかね「ここと、この数字を……」
書類を指さすあかねの指先には、派手なネイルが。

視線をチラリと上げたゆり子の目に映るのは、あかねの赤い唇とマロン色の巻き髪。
胸元にはハートのネックレス。

ゆり子(オシャレだけどちょっと派手かな)
視線を書類に戻し、あかねの説明に集中する。

〇同・食堂(昼)
ランチがのったトレーを持ち、空いている席を探すゆり子に気づいた市原。
市原「香山!」
と、手を上げて空いている向かいの席を指さす。

うなずいたゆり子が、市原の前の席に腰を下ろす。

市原「どう? 新部署は」
ゆり子「わからないことだらけで、新人になった気分」
ため息をつくゆり子の前で、市原が声をあげて笑う。
市原「あはは。ずいぶん年くった新人だな」

ゆり子「それってセクハラだからね」
市原「すんません」
ゆり子に鋭い視線を向けられた市原が肩を落とす。

ゆり子「市原くんのほうこそどうなの? チーフは」
市原「今のところ、とくに変化なし。徐々に仕事は増えていくと思うけどな」
ゆり子「そっか。がんばってね」
市原「サンキュ」

笑い合って食事をするゆり子と市原に、食堂に入ってきた望月が気づく。

望月「……」
無言のまま、楽しそうなゆり子と市原の様子を遠巻きに見続ける。

〇同・八階エレベーター前(昼休み)
ランチを終えたゆり子がエレベーターから降りる。

フロアの時計は十二時五十分。

ゆり子が廊下を進んでいると、背後から肩を叩かれる。
振り向いた先には、望月の姿が。

望月「香山さん。ちょっといいですか?」
ゆり子(なんだろう)

ゆり子「……はい」
廊下を曲がる望月の後を追う。

〇同・八階の非常階段ドア前
左右を見て誰もいないことを確認した望月が、非常階段のドアを開ける。
望月「どうぞ」
ゆり子「……どうも」
望月の顔をチラリと見上げたゆり子がドアを通る。

〇同・八階の非常階段踊り場
後ろ手でドアを閉める望月。
望月「……」
黙ったままの望月がゆり子に向かって足を進めてくる。

ゆり子(えっ? なに?)
望月に迫られる理由がわからず足を後退させていると、ゆり子の背中が踊り場の壁にぶつかる。

逃げ場を失ったゆり子の顔の横を、望月の腕がスッと通り過ぎていく。
壁に望月の手がトンとつき、ゆり子を囲い込む。

目を丸くしているゆり子に、望月の整った顔がゆっくり近づいてくる。

ゆり子(な、なんなの?)
壁ドンされたゆり子が動揺していると、望月の動きが止まる。

ゆり子と望月の距離は、鼻先が触れ合ってしまいそうなほど近い。

望月「開発事業部に異動してくることを黙っているなんて、香山さんも人が悪いですね」

ゆり子(人が悪いって……)
ムッとした表情を浮かべる。

ゆり子「異動辞令通達を見ればわかることですよね?」
望月に鋭い視線を向ける。

望月「俺は香山さんから直に聞きたかったんですよ」
と、拗ね顔。

ゆり子「そんなこと言われても住宅事業部での引継ぎで忙しかったし……」
瞳を伏せる。

望月「……もういいです。でも今後なにかあったらチーフの俺にきちんと報告してください」
壁から手を離した望月が、体の前で両腕を組む。

ゆり子(なによ! 年下のくせにずいぶん偉そうじゃない)
頬を膨らませる。

望月「いいですね?」
再び顔を近づけてくる望月に抵抗できず、うつむくゆり子。

ゆり子「……はい」
ため息をついた望月がゆり子の横を通り過ぎ、ドアを開けて出て行く。

バタンとドアが閉まり、ゆり子がひとり取り残される。

ゆり子(嫌なヤツ、嫌なヤツ、嫌なヤツ!)

ゆり子「もうっ!」
イラついてあげた声が、非常階段の踊り場に反響する。

〇同・八階廊下
非常階段のドアから出る望月。

食堂で仲よさげに笑い合う、ゆり子と市原の様子が頭から離れない望月。

望月「……」
眉間にシワを寄せながら、オフィスに向かって足を進める。

〇同・開発事業部オフィス(夕)
あかねがゆり子のデスクに書類をドスンと置く。

あかね「香山さん。これもお願いします。入力方法はさっきと同じなので」

オフィスの時計に視線を向けるゆり子。時刻は午後五時四十分。

ゆり子「……今日中に?」
あかね「なるべく早く終わらせてもらえると助かります」
と、にこり。

ゆり子「わかりました」
と、にこり。

ゆり子(わざとだな……)
心の中で舌打ちをする。

午後六時三十分を指す、オフィスの時計。

デスクでパソコンに向き合うゆり子。隣の席のあかねの姿はもうない。

橘「香山さん。半分手伝いましょうか」
ゆり子のデスクの上に積み上げられた書類を見た橘が声をかけてくる。

ゆり子「ありがとう。でも大丈夫だ」
望月「橘、帰るぞ」
ゆり子の言葉を遮った望月が橘に声をかける。

橘「でも……」
仕事が終わっていないゆり子を気にする橘。
望月「六時が定時だ」
と、ビジネスバッグを手に取りドアに向かう。

橘「……はい」
望月に言い返せない橘が気まずそうにゆり子を見る。

ゆり子「橘くん。私もすぐに終わらせて帰るから。お疲れさま」
と、微笑む。

橘「すみません。お先に失礼します」
ペコリと頭を下げた橘が望月の後を追い駆ける。

望月と橘が出て行き、ドアがカチャリと閉まる。

ゆり子(私だって、定時で帰りたいわよ!)
プリプリしながら入力作業を再開させる。

ゆり子(なにがメガネ王子よ。カッコいいのは外見だけじゃない!)
キーボードを叩く音が徐々に強くなっていく。

ゆり子(嫌なヤツ!)
エンターキーを強く叩いた音が、オフィスに響き渡る。

〇同・開発事業部オフィス(夜)
ゆり子「あー! 終わらない!」
作業の手を止めてデスクに突っ伏す。

オフィスにはゆり子のほかには誰もいない。
時刻は午後七時三十分。

ゆり子(これ、今日中に終わらせるのは無理だよね……)
一向に減らない書類を見てため息をついていると、ドアがカチャリと開く。

上半身を起こすと、望月の姿が。
ゆり子「えっ?」
目を丸くしているゆり子のもとに、望月が近づいてくる。


つづく
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