私、愛しの王太子様の側室辞めたいんです!【完(シナリオ)】
第14話「弱ったときには甘いもの」
〇王城 厨房
ブラッド「ローズマリー様、すごく落ち込んでいらっしゃいますね」
厨房の作業台近くの椅子に腰かけ、ローズマリーはジメッとした陰鬱な顔でブラッドの作業を見守っていた。ボウルに割られた卵が落とされていくのをぼんやりと眺める。ボーッとした顔で、ブラッドを見上げて、ローズマリーは自分の両頬に手を当てた。
ローズマリー「え?……え、そんなハッキリ分かるかしら…?」
ブラッド「……いや、それはもう、誰の目にも明白かと…」
ブラッドは苦笑いをしながら、ねぇ?と同意を求めるように控えていたカリスタへと話を振った。
振られたカリスタも苦笑いを零す。
カリスタ「そうですよ。誰の目にも明らかです」
ローズマリー「そ、っかあ……」
ローズマリーは目をパチクリと見開く。
ローズマリー(まあ、でも……)
思い出すのはついさっき。ローズマリーもブラッドと同じようにお菓子作りをしようとしていたのである。
ローズマリー(手を滑らせて卵を床に落としてしまうし、小麦粉はふるいにかけたら、煙が発生したみたいになってしまったし……)
要するに戦力外通達である。
ローズマリー「なんだか……、上手くいってない気がするわ」
ローズマリーの視線が自然と下を向く。声のトーンも自然と下がった。
ブラッド「上手く、とは?」
泡立て器と筋肉を使って力強くかき混ぜながら、ブラッドは聞き返す。
ローズマリー「うーん、全部……かしら……」
ブラッド「全部」
ローズマリーは動き続けるブラッドの手元を見つめていた。材料を混ぜ終えたららしいブラッドは、フライパンに油をひいた。火をつける。
ローズマリー「……ずっと好きな人がいて、でもその人には私だけじゃない沢山の女の人がいたわ。それでも私が一番で、他の人よりも特別扱いだったから、まだ我慢出来たの」
ブラッド「……なるほど恋愛話」
ブラッドは目を瞬かせ、作業の手を止めやや悩む素振りをみせた。だが、すぐに手を動かし始める。
ブラッド「俺みたいな仕事が恋人の人間には、男女の機微は疎いんですけど……、どうして恋愛が上手くいかなくなったのですか?」
ローズマリー「私が彼の特別じゃなくなったから。それだけなのよ」
ブラッド「え?」

〇第4話 回想〇

ユリシーズはさらに目を細めるだけだった。ユリシーズはブラッドに視線を移す。そして冷え冷えとした声を出した。
ユリシーズ「お前。ローズマリーには絶対手を出すなよ」
ブラッド「弁えております」

〇回想終了〇

ブラッド(いや、俺……前に牽制……、されたよな……?王太子の側室に手なんか出す猛者なんていねぇよ、とは思ったんだが……)
眉をひそめながら、ブラッドは生地をフライパンに流し込む。甘い匂いが辺りに広がった。
ブラッド「王族サマの考えてることは分からん……」
ローズマリー「え?今なんて?」
ボソッとブラッドは呟いた。ローズマリーは聞き取れずに首を傾げる。慌ててブラッドは、誤魔化すように白い歯をみせた。
ブラッド「どうして特別じゃないと思ったんです?」
ローズマリー「そうね……」
ローズマリー(ケイシー様の件は、ブラッドには言えないわ。でも……)
ローズマリー「……私より、ユリシーズ様に大切にされてる方が現れた、って所かしら」
合点がいったようにブラッドは頷いた。フライ返しでフライパンに流し込んだ生地をひっくり返す。やや膨らんで、片面は綺麗なきつね色に変わっていた。
ブラッド「なるほど。それで、ローズマリー様は上手くいってない、と」
ローズマリー「……いいえ、それだけじゃない。この一連の毒事件だってそうよ」
ブラッド「それは……、びっくりしていますが……」
ローズマリー「貴方には悪い事をしたわね」
とローズマリーはブラッドに謝った。周囲にはカリスタの他に、騎士達がローズマリーとブラッドを見守っている。いや、監視と言った方が正しい。
ブラッド「確かに菓子職人としての仕事は出来ない状態ですが、こうして自分の腕と筋肉の修行する時間が増えたので、不便はあまり感じていませんよ」
ローズマリー「筋肉の修行」
フライパンを持つ筋肉の付いたブラッドの腕と、自身の細い腕を見比べる。小枝と丸太くらいの違いがあった。
ローズマリー「私、ユリシーズ様の側室辞めたいから、お菓子作りを始めたの。特になりたいものなんてなかったから、好きなお菓子を作れて、それを仕事にして、一人でも生きていけたらなって。そんな軽い気持ちで」
そして、ローズマリーは続けた。
ローズマリー「……そんな軽い気持ちで、大変な事に巻き込んでしまったわ」
ブラッド「ローズマリー様……」
ブラッドは眉間に皺を寄せた。厳つい顔が一気に険しくなる。ローズマリーは肩を落とした。
ローズマリー「教えて貰って、時間と材料を掛けて作ったお菓子も毒として廃棄されてしまって……、その事についても悲しく思ってしまうわ……」
ブラッドは皿に焼きあがった生地を乗せ、またフライパンに生地を流し込む。
ブラッド「俺には男女の恋愛はよく分かりませんが……、菓子職人としてならば、誰かの喜ぶ姿を想像しながら作ったモノを捨てられるのは、誰だって悲しい出来事です」
やや膨らんできた所で、ブラッドは生地をひっくり返す。
ブラッド「でも、ローズマリー様のお気持ちは充分にユリシーズ殿下に伝わってると思いますよ」
ニッとブラッドは歯を見せて笑みを浮かべた。
ブラッド「ユリシーズ殿下の為に頑張ってお菓子を作った、って事は誰にとってもバレバレですし」
ローズマリー「ち、違うわよ!!」
慌てて首と手を横に振りつつ、ローズマリーは否定する。
ブラッド「ローズマリー様が弱気になるのも仕方がありませんよ。でも、弱気になっていた所で、解決しない問題もありますし――」
ブラッドは、ローズマリーの目の前に皿を置いた。
ホイップクリームとフルーツが盛り付けられたパンケーキが乗ったお皿を。
ブラッド「弱った時には甘い物、です。ずっとご覧になっていた通り、毒なんて入ってませんよ」
ローズマリーは目を輝かせた。
ローズマリー「お、美味しそう…!!」
ブラッド「悩んだってどうにもならないんですから、ローズマリー様はいつも通りに過ごされては?」
ローズマリー「いつも通り……」
ローズマリー(………………)
ローズマリーは自分の行動を振り返る。日頃、お菓子を食べたり、勉強しながら船を漕いで女官長に叱られたり、ユリシーズと庭園に出かけたり……。
ローズマリー「な、なんか、すごく私が能天気みたいじゃない?!」
ブラッド「能天気なんですか?」
ローズマリー「そそそそそ、そんな訳じゃないけれど!」
慌てて否定をしたローズマリーだったが、ふと思い直す。
ローズマリー「でも、私が何かできる訳でも無いものね」
ローズマリー(……逆にマイナスになってしまうかもしれないし)
完全に思考を切りかえて、ローズマリーはニッコリ微笑んだ。
ローズマリー「そうね、私はいつも通りに過ごすわ!」
ブラッド「そうですよ。きっと、ユリシーズ殿下も」


〇後宮 ローズマリー私室
カリスタ「ローズマリー様、ローズマリー様宛にお手紙が……」
ローズマリーが私室で紅茶とクッキーを摘んでいると、カリスタが許可の後に入ってくる。ローズマリーはきょとんとした顔のまま、カリスタから手紙を受け取った。
宛名のみの封筒。ひっくり返してみても、シンプルでこれといった装飾は特にない。
ローズマリー「これは……」
ローズマリーはやや目を見開いた。
ローズマリー(リリアン様から……だわ。準備が出来たって書いてある……)
ローズマリー「カリスタ、これは燃やして貰えないかしら?」
カリスタ「ローズマリー様……?なんと書いてあったのですか?」
ローズマリー「……準備が出来たみたいよ」
カリスタ「準備……?」
カリスタは最初なんの事だか分からないといったようだったが、ハッと合点がいったような表情に変わった。
カリスタ「まさか……!」
ローズマリー「ええ。ここから逃げ出す準備が、ね」
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