静まり返った世界で、ずっと携帯の着信音がどこかで聞こえていた。

 麻衣子が重いまぶたを持ち上げると、枕元に投げるように置いたバッグの中で携帯が光っている。

 泣き疲れて眠るなんて何年ぶりだろう。動く気力もしぼんでいて、麻衣子はしばらく動けなかった。

 やがて泥のような意識は上り、携帯に光る文字にくしゃりと顔を歪める。

 「反田君」。入社したときの登録名のまま表示されていて、もう尽きたと思っていた涙がまたあふれる。

 時々晃は携帯に連絡をくれた。でも麻衣子は一度もそれに出たことがなかった。

 出てしまったら泣き言ばかり言ってしまいそうで、そんな弱い自分を見せたくなかった。 

 でも今は心がばらばらで、一生懸命築いてきた壁もどうして築いたのかさえ思い出せない。

 麻衣子はうつろな目で携帯に手を伸ばす。

「相原か」

 麻衣子が電話に出ると、晃は仕事中とは違う心配をはらんだ声で問う。

「どうしたんだ。今日、新城の妹と約束していたんじゃなかったのか」

 麻衣子はうん、と子どものように相槌を打つ。

「ごめん……」

 ぽたっと涙が落ちる。

「相原?」
「璃子、帰っちゃったよね。今、何時……」

 どれくらい時間が経ったのか実感がまるでなくて、のろのろとベッドサイドの時計を見る。

 夜十一時を過ぎた頃で、約束の時間から四時間以上経っている。

「一時間ほど前に出海と帰った。相原の携帯にもずいぶん連絡を入れたみたいだが」

 きっと彼女にとっては幸せな報告を携えて、三時間近く待ってくれていたのに。麻衣子は申し訳なさと、その報告を少しも喜んでいない自分に消えたいような思いがした。

「会いたい……のに、会えない」

 今日だけなのか、それともこれからずっとなのかわからない。麻衣子は携帯を持ったままずるずると座り込んでつぶやいた。

「熱でもあるのか? いや」

 電話口の向こうで晃は言いよどむ。

「……泣いてるのか」

 麻衣子は涙を拭いて首を横に振る。

「泣いてないわ」
「動けないのか? 今どこにいる?」
「放っておいて。そんな子どもじゃないの」
  
 嘘は簡単に見抜かれてしまっても、麻衣子はなお言い返す。

 だが晃はぴしゃりと跳ねのけるように言った。

「意地を張るのもいい加減にしろ」

 少し声を荒らげられて、麻衣子は一瞬口をつぐんだ。

「新城の妹から宿泊先のホテルは聞いてる。部屋を一つずつ当たってでもそっちに行く。相原」

 だから泣くな。そう言われて、麻衣子の中の精一杯の虚勢がぱらぱらと音を立てて崩れていく。

 泣きすぎてまともな考えなどできなくなっていたのかもしれない。麻衣子はうつむいて、ぽつりとホテル名と部屋番号を答えた。

 わかったと晃は言って電話を切った。麻衣子はぼんやりと携帯電話を眺める。
 
 本当に来るつもりなのだろうか。婚約者がいる身で? 大事な彼女を置いてこんな女のところになんて来てはいけないのに。

 でも……それでも来てと思っている、ずるい自分もいる。

 来て、来ないで、来て……。自分でも気持ちの境目がわからなくなった頃、ノックの音が麻衣子の耳に届いた。

 日付が変わる時刻、切ったはずの暖房の駆動音がどこかで聞こえる。

 シーツだけを体に巻いて戸口に立つ。扉のノブに手をかけて、開いた。

 驚いた表情の晃がいた。それだけ確認しただけだった。

「相……」

 切望するように聞きたかった声を閉じ込めるようにして、麻衣子は彼にキスをした。