麻衣子にとってレイリス支社は五か所目の職場だが、本音を言えば一番仕事がやりにくいところだった。

「マイコ、何してるの! 僕が持つから!」

 麻衣子が小さな農薬の箱を持って歩いているだけでも、男性社員が集まって来て荷物を奪っていく。

 レイリスでは女性というのは弱い存在であって、庇うのが当然と思われているからだった。

 実際、麻衣子はレイリス支社で初めてにして唯一の女性社員だ。まだ会社勤めの女性自体珍しいので、一年前に麻衣子がやって来たときはレイリス支社のトップニュースだった。

 日本では当然にできたこと、車を運転することも残業さえも一々渋られるのだから、仕事がやりにくいことこの上ない。

「寒かっただろ? 今お茶淹れるよ」

 ただ必ずしも仕事のやりにくさが居心地の悪さにつながるわけではなくて、レイリス支社は今までで一番安心する職場だった。

 夕方、帰社した社員たちが集まって甘いお茶を飲む。誰が指示したわけでもないのに、問答無用で麻衣子に一番近いところにストーブが用意される。

「俺、茶じゃなくて酒が飲みたいな」
「仕事中だろ」
「もう仕事したくないもん」
「あきらめろ。俺たちはマイコさまがいいと言うまで帰れないのさ」

 レイリス支社は、ちょっと男子校のような雰囲気がある。どこからが冗談なのかわからない軽口が飛び交い、年配の男性もお茶目なことを平気で言う。

「VIP扱いは入社三年目までです。先輩方はカリカリ働いてください」
「俺たちの扱いひどいです、マイコさま」

 麻衣子も他の支社では言えなかった冗談が言える、そういう暖かい雰囲気がある。

 外は氷点下の季節なので、暖房とストーブをダブル使いしてもまだ寒い。そういうときにみんなで飲む熱いお茶は、冷えた体に染み渡るようだった。 

「ようやくここまで来たのだから、なんとか実現したいわね」

 麻衣子がカップを置いてため息をつくように言うと、皆手を止めた。

 難しい顔をして口ひげをなでる社員、年若い社員だとだいぶ疲れた顔をしている者もいる。

 麻衣子は先ほど運んでもらった木箱を開けて、そこから農薬の瓶を取り出す。

「国際基準の五百倍希釈。輸出のために大変な苦労をして、この壁を乗り越えたのが十年前」

 レイリス支社は元々地元企業だった。食品輸出にノウハウを持つ新城商事の傘下に入ったのがまさに十年前、麻衣子が入社した年だ。

 厳しい国際基準は取引農家には当初受け入れられず、自分たちを見捨てるのかと泣く人もいたと聞いている。

「外国と競争するのも、手を結ぶというのも難しいね。何かと壁がある」

 年配の社員が苦笑しながら言う。

「前はこういう場では青茶で一服したものだったが、アレルギー反応があると言われてからは在庫もすべて処分したしね」

 麻衣子がレイリス支社に来てまもない頃、何気なく青茶というレイリス特有のお茶が出されてどきっとした。レイリスには珍しい植物が多いが、時々国際基準では毒となるものも流通している。

 だが青茶は地元人なら昔から当然に飲んでいて慣れているもので、彼らには毒とはならない。レイリス支社でも愛好されていたが、今はめっきり見なくなった。

「不自由を強いてると思うの」

 麻衣子は口の端を下げて黙る。

 今飲んでいるお茶だって、本来ここまで甘くして飲まない。外国人で女性の麻衣子に合わせて、砂糖をたっぷり入れてもらっている。

 輸出しようとしてレイリス特有の作物をずいぶん品種改良したみたいに、変えてしまったことが多すぎる。

 自分が来る前の、男性だけでわいわい言い合う職場はきっと気安くて楽しかっただろう。そんなことも考えてしまって、麻衣子の中には後ろめたさのような気持ちがある。

「海路輸送のプロジェクト、実現したいね」

 誰かがさらりと言う。
 
 麻衣子が顔を上げると、カップを傾けながら陽気に笑う仲間たちがいた。

「それで幸運がやって来るかどうかは女神しか知らないからさ。気負わずにやろうよ」

 支社のみんなには、自分の中の陰に入りかける麻衣子の弱さを知られている。それで当然のように庇う。

「わかってるわよ」

 やはり麻衣子にはやりにくくて、憮然としてお茶を飲み干した。

 今日は金曜日で、明日半日休憩したら一昼夜かけて日本に発つ。あと数時間が勝負だ。

「お疲れ様。そろそろ再開しましょうか」

 自分を落ち着かせるように息をついて、麻衣子はデスクに向かった。