仕事を終えて去るときはいつもほっとして、少し寂しい。

「おつかれさま、相原さん。現地も寒くなってきた?」

 帰り支度を始めた麻衣子に、出海が声をかける。

「慣れてるから大丈夫」
「体に気をつけて。風邪ひかないようにね」
「ありがとう。新城君も」

 出海はさりげない気づかいのできる同期だ。優男が嫌いな麻衣子だが、出海の上品さに悪い感情は持っていない。

「あと、危なくなったら仕事を投げてでも帰国してね。本社が君を待ってるよ」

 冗談交じりに出海が言ったとき、麻衣子は笑ってごまかすことしかできなかった。

 こうやって同期がそろったとき、まったく無言の男を気にしていた。

「じゃ」

 本当は彼と一番話したいのに。麻衣子はそっけなく言い捨てて、晃に背を向けるしかできない。

 ん、という声が背中に聞こえた気がした。言葉とはいえないようなその声に全身の神経を傾けている自分がいた。

 キャリーバッグを引いてレク室を出る。数歩歩いて、麻衣子は頭を押さえる。

 仕事だから仕方ないでしょ。そう言い聞かせても、今日の私も彼に気に入られるところは欠片もなかったと泣きたくなる。

 彼との接点は仕事しかないのに、一緒に仕事をする機会といえば対立ばかりだ。まして今回はひどかった。晃の立場だったら、リスクをリスクで叩き返した麻衣子には不愉快しかない。

 泣くのは格好悪いからという意地だけで歩いて半刻ほど経った頃、麻衣子は本社へのお使いを思い出した。

 支社の社員から、本社の恋人へクリスマスプレゼントを持っていってほしいと頼まれて、バッグに入れたガラス細工がある。

 素敵、海を越える恋ね。ほっこり幸せな気持ちになったのは支社の社員本人には言わなかったが、壊れないようぐるぐる巻きにして大事に持って来た。 

 麻衣子はすでに駅まで出かかっていたところを戻ってきて、その恋人の女性にプレゼントを渡したら、彼女はまんざらでもなさそうだった。

 そういえばクリスマスなんだ。あんまりに一人でいる時間が長くて忘れちゃった。ちょっとしょげて廊下を歩いていたら、レク室の前を通りかかった。

 ガラスの向こうで、出海と晃だけがまだレク室にいた。でもどうしてか、晃が頭を抱えているのが見えた。

「そんなに落ち込まなくても。君は立派に仕事をしたよ」
「仕事なんか大嫌いだ」

 晃の吐き捨てるような一言を聞いて、麻衣子は思わず足を止めた。つい隠れるように壁に身を寄せてしまう。

「今日の俺も、あいつに気に入られるところは欠片もなかった」
「そうかな。今日の晃のネクタイの色はなかなかいいと思うよ。彼女に会うとき、いつも新調してくるよね」
「やめろ。馬鹿馬鹿しいと自分が一番わかってる」

 二人の姿は見えなくなったが、麻衣子がいるときとは違う男同士の気安い空気は感じる。

 出海は椅子を引いて背を伸ばしたようだった。背もたれが音を立てて、出海の苦笑がそれに重なる。

「彼女は甘やかして振り向いてくれる人じゃないしなぁ」
「あいつは馬鹿真面目で潔癖だ。そこがいいんだ。憎たらしいが」

 晃は憮然として、うなるように言う。

「情にも厚すぎる。何もかも背負うのはいい加減にしておけと、怒らないようにするだけで精一杯なんだ」
「君が全身で心配だって訴えてるのにね。なんか君、彼女の父親みたいだよ」

 父親と聞いて、麻衣子の中に小さな痛みがあった。

 たぶん彼が私を気にするのは、父親が心配するようなものなんだ。

「父親なわけないだろ」

 でも心が痛む理由がわからないままうつむいた麻衣子に、晃の怒ったような声が聞こえた。

「父親はいつか離れる。俺は離さない」

 晃は苦い声でぽつりと付け加える。

「迷惑だろうな。あいつにはずっと好きな男がいるんだから」

 麻衣子が息を呑んだとき、出海はくすっと笑った。 

「きっと今夜、それが誰かわかるよ」
「笑うな。俺は全然笑えない」
「大事な話をするんだろう?」
 
 麻衣子の心臓がどくんと大きく跳ねる。

 晃は心に決めるように低く告げた。

「ああ。今夜」

 二人の会話を聞き終わる前に、麻衣子はその場を逃げるように立ち去っていた。

 夕方の外気はずいぶん冷たくなってきていた。

 でもそれも遠い世界のように、大事な話という言葉が麻衣子の頭にこだましていた。