お前は世界で一番!
 義理の妹の秋穂(あきほ)が風邪をひいた。

 いつもなら頼りになる二人の義姉ともう一人の義妹は都合で朝から外出している。帰ってくるのは夕方だ。

 両親はいない。

 別に亡くなったとかそういう訳ではない。

 単に父親がニューヨークに転勤することになってしまったので母親もついて行っただけだ。単身赴任だといろいろと向こうでの生活が大変だとか、アメリカ女に誘惑されたら困るとか、いやもういい歳して新婚気分がまだ抜けきっていないんじゃないかって疑いたくなる。

 俺は風間四季(かざま・しき)。
 風見大学附属高等学校に通う高校一年生だ。

 この春からここで暮らしているが、秋穂たち四姉妹とは血が繋がっていない。俺の父親と秋穂たちの母親が再婚したせいで家族になったのだ。

 最初は戸惑ったが一ヶ月でこの状況に馴染んでしまった。

 我ながらこの適応力に驚いている。

 ……まあ、未だに慣れないこともあるが。



 ★★★



 三人が出かけてから少し経って、俺は秋穂の部屋の前に立っていた。

 長女の春香(はるか)姉が出る前に様子を見たときはまだ眠っていたので、もしかしたら起きていない可能性もある。とはいえ、放ったらかしにもできない。

 片手でおかゆとお茶ののったお盆を持ち、軽くノックしてみる。

 返事がなければちょっと時間をおくつもりでいた。

 おかゆは温め直せばいい。

「はーい」

 ドアの向こうから小さく返事がくる。昨夜よりはましな気がした。

「秋穂、入っても大丈夫か?」

 さすがにいきなり入室するへまはしない。

 前に着替え中にドアを開けてしまい、無茶苦茶キレられたことがある。それからは気をつけているのだ。

 ま、当たり前のことなんだろうけど。

 何せ父親と二人暮らしが長かったからこのへんは勘弁してほしい。男所帯ってのは結構雑なもんだ。

「……」

 よく聞こえなかったから、もう一度たずねた。

「今、平気か?」
「……うん」

 普段に比べたらかなり弱々しい声。

 ともあれ、許可は下りた。

 俺はお盆の上のものを滑らせないよう注意しつつ、部屋に入る。

 女の子の部屋というだけでその空気も違く感じられるから不思議だ。

 何だか甘い匂いがするけど何だろう。

 ……とは思わない。

 そんな男の幻想などもう俺にはなかった。。

 女の子の部屋だろうと何だろうと空気に大差はない。

 ま、多少の甘味はするが、お菓子の袋とかその手のものがゴミ箱に残っているだけだろう。

 秋穂はベッドに寝ていた。窓のそばだ。ピンクと薄緑色の格子模様の掛け布団を肩が隠れるくらいまでかけている。枕は白い。赤い花の絵が描かれているが秋穂の頭があるせいで見えない部分が多い。

 シーツの色も白だ。

 寝っぱなしだったからショートの黒髪に寝癖がついている。秋穂の顔は赤みを帯びていた。

 熱はまだあるのか?

 俺はベッドのそばまで寄り、いったんお盆は桜がらのカーペットに置く。

 秋穂が言った。

「ごめんね、せっかくのお休みの日に」
「気にするな」
「……でも」
「それより、食べられそうか? おかゆ作ってみたんだが」
「四季が? すごい」
「あのなぁ」

 本気で感心しているふうな秋穂に俺は苦笑してしまう。

「このくらい作れなくてどうするんだよ」
「え? あたし作ったことないよ」

 秋穂が大きな目をさらに大きくした。

 うるんでいるように見えるのはなぜだろう。

 ちくしょう、可愛いぞ。

「お前は春香姉と夏菜(なつな)姉に甘えすぎだ」
「うーん。冬ちゃんにも作ってもらったことが……」
「いや、さすがにそれはダメだろ」
「そうかなぁ?」
「早く治せよ。そしたら俺が作り方を教えてやる」
「教えてくれるの?」

 にやり。

 秋穂が悪戯っぽく笑う。

 小さな鼻も薄い唇も、本人にとってはコンプレックスのそばかすも、いつもの数倍も可愛い。

 いつになったらこいつの可愛らしさに慣れるんだ?

「四季?」
「……ああ、何でもない」
「変なの」
「考え事してただけだ」
「いやらしいこと?」

 秋穂が布団をめくり、誘ってくる。

「あたしでよければどうぞ」
「アホか!」
「ふふーん、あたしは暖かいよ」
「それは熱があるからだ」
「うん。四季のこと思うと熱くなる」
「……だいぶ熱にやられているな」

 俺は何だか恥ずかしくなって視線を秋穂から窓に向けた。

 秋穂か春香姉か、どちらかが開けたらしく黄緑色のカーテンはかかっていなかった。二階の窓からは薄青い空がよく見える。今日は雲一つない。

 絶好のお出かけ日和だ。

「ねぇ、四季」
「ん?」
「キスして」
「断る」
「えぇーっ、ひどい」
「いや、ひどくないから」

 ぷくっと頬を膨らませ、秋穂が俺をにらんだ。

 ……これはこれで可愛いな。

「中学のときに告白してきたくせに」
「それ持ち出すか」
「四季みたいな美少年に告られたら、その時点で勝ち組だったんだからね。あたしの中では」
「さいですか」
「だから、ね、キス」
「断る」

 迷いもなく返すと秋穂が大きくため息をついた。

「……もうあたしに飽きちゃったの?」
「嫌な言い方するな」
「だって……」
「風邪が治ったらな。それまでお預けだ」
「うーん。我慢できるかな」
「少なくともアホなこと言える元気はあるんだな」
「愛の力?」
「寝てろドアホ」

 俺は部屋を出ようとする。

 すかさず呼び止められた。

「待って、一人にしないで」
「お子様か」
「じゃ、おかゆふーふーして」
「猫舌か」

 秋穂がまたため息をついた。

「……それ以上あたしを粗末にしたら、四季のこと嫌いになっちゃうよ」

 訴えるような目。

 うぅ。

 それは……。

 俺はやむなく退出を諦め、秋穂のそばに戻る。

 それにしても、本棚のコミックスとラノベっぽい文庫本の数が尋常じゃないな。

 俺の部屋の本棚なんかすかすかだぞ。

 秋穂が半身を起こし、俺はベッドの上にお盆を置いた。こぼしたりしないように注意しないとな。

「……ちょっと冷めちゃったね」

 俺が食べさせてやると、秋穂がぽつりとこぼした。

 やむなし。



 ★★★



 別の日。

 偶然にもまた家に秋穂と二人きりになってしまっている。

 この前と異なるのは俺と秋穂の立場が入れ替わっていることだ。ものすごく微妙に嬉しさと嫌な予感が交差している。

 ……どうせ感染するんなら、キスしておけばよかった。

 なんて、アホなこと考えていたら、ドアをノックする音がした。

「四季、入るよ♪」

 秋穂だ。

 返事も待たずに入ってくる。

「今日はずーっとあたしが看病してあげるからね」

 ……えーと。

 俺はその格好にどう反応したものかと迷う。

 こいつ、まだ熱が下がってないのか?

 いや、これにも慣れてない俺がいけないのか?

「……秋穂」
「ん? なぁに?」

 満面の笑みを浮かべている。その手にはおかゆとお茶をのせたお盆。

 おそらく、春香姉が作っておいてくれたのだろう。こいつが作れるはずがない。俺もまだ教えてないし。

「あ、これなら心配ないよ。冬ちゃんが用意してくれたのを温めただけだから」
「そうか……いや、それはそれでダメだろ」

 もうどうつっこんだものか。

 問題はこいつの格好だ。

 どこにあったのか看護士のコスプレをしている。真っ白なワンピースタイプでスカート部分がやたら短いのは違和感ありまくりだけどな。

 ここはお店か?

「じゃ、早速おかゆ食べよ。冷めるといけないし」
「ん、そうだな」
「あたしがふーふーしてあげる」

 にこにこスマイル全開の秋穂。

 てか、そもそもお前は風邪ひいたらダメだろ。

 何とかは風邪ひかないって言うのに、お前がひいてどうするんだ。

 この世界で一番風邪をひいたらダメな奴。

 それがこいつだ。

 こいつから感染する俺も俺だが……。

 笑顔いっぱいの秋穂がお盆をベッドの脇に置き、上半身を起こした俺に言う。

「でも良かった。四季ってバカじゃなかったんだね」
「……」

 俺はジト目で秋穂を見る。

 こいつだけには言われたくなかった……。
 
 
 
**本作はこれで終了です。

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