さようなら
ノート

今日もカンファレンス


★ノート
今日もカンファレンス室に呼びだされた。
須賀『どう?入院して半年経つけど、まだ何も話せないかな?」
俯くあたし。
まゆみ『…ほんとは話したい。聞いて欲しい…。一人で悩むのが辛い。先生になら話せるって思うようになってたけど、いざとなると、やっぱり話せないの。 …助けて欲しいの。本当の事を知って欲しいの!母親は先生にきっと都合のいいように話してるのは解ってる。でも、それは真実じゃない!兄が可愛くて仕方ないから、だから、あたしが悪者になってるの!」
あたしは、興奮していた。俯いていた顔を上げむきになって喋っていた。涙がこぼれて止まらなくなった。
まゆみ『先生、今日はもう無理。病室戻っていい…かな?」
須賀『うん。無理しなくていいよ。少しずつでいいから。もう夕飯の時間になるし、食べたらゆっくり休んで」
まゆみ『うん。ごめん。」

その晩あたしは夢で魘された。
家族に、いや、兄にされた事。母親に言われた事。父親にされた些細な事。親戚に言われ続けた事。悪夢だった。

目覚めの悪い朝。
食欲も昨晩からない。悪夢が、いゃ、事実が今目の前にあるようで気分が優れない。

(先生、助けて!)

あたしの心が叫んでいた。

あたしはノートを開きペンをとった。

『須賀先生へ
 今まで長い間話せなくてごめんなさい。先生を困らせてきてごめんなさい。
先生を目の前にして話す事ができないので、今ここに告白します。

あたしは、物心ついた時に、既に兄から性的虐待を受けていました。
幼いながらも父や母に話してはいけないのかと悩み続けていました。
まだ、その頃は性器をいじられるだけだったのですが、五年生の頃には、完全に身体をもてあそばされてました。

やめてと言ってもやめてくれず、父母も兄の行動に気づく事なく、それは毎晩のように続き、夜がくるのが恐かった。

本当は早く誰かに相談するべきだったのかも知れません。
けれども、自分が偏見の目で観られるのが恐かった。

そのままずるずると…
あたしが高校生になってもそれは続きました。

あたしは、普通に相談する事もできず、汚ない手を使って担任に気がある振りをし続け担任に相談しました。
妊娠してるともウソをつきました。

けれども、母親から出てきた言葉は、
『まゆみがそそのかしたに決まってる!」
妊娠したとウソをついてた為に連れて行かれた産婦人科では、
『相当遊んでるね」

と言う言葉でした。

父親は、何も言ってくれませんでした。

もてあそばされただけでも辛かったのに、やっと言えたら酷い事を言われ、何度死のうかと思ったかわかりません。

私がいけなかったのでしょうか?

今は家から離れてるからいいけど、退院したら、また同じ生活が待ってるのでしょうか…」

先生がきたら、このノートを必ず渡そう。あたしは決心した。

なのに、3日と開けず逢ってくれていた先生が5日もこない。

まゆみ『須賀先生は最近忙しいの?」
ナースに尋ねた。
ナース『ん?どうだろう。ナースセンターには来てるけど、そうねぇ。そう言われれば最近朝くらいしか顔見ない日が多いかも?どうして?」
まゆみ『マメにきてたのに、もう5日もこないから…」
ナース『先生にもいろいろ考えがあるんじゃない?心配しなくても大丈夫だよ。
須賀先生はまゆみさんの事となるとかなり必死だから」
と笑うナース。
まゆみ『諏訪先生はみんなにそうなんじゃないの?」
ナース『そうであって欲しいんだけどねぇ。何故かまゆみさんが心配でたまらないみたい。休みでもまゆみさんの様子を電話して聞いてくるのよね。笑っちゃう」
とまた笑うナース。
(そうなんだぁ。何でかなぁ?休みの日くらい、好きな人の事考え… ん?何度もお見合いで相手の気持ちがわからなくて、休みの日まであたしの事? …まっさかぁ!
あるわけないない。ほんと笑っちゃうわ。それより、ノート… 渡せるかな…)

須賀先生は結局8日間も会えなかった。
何度もナースセンター行ったり、何度もナースに聞いたり。

(どうして?あたし悪い事した?それとも規則破りがばれちゃって、なんかの処分受けてる?)

あたしは気が気でなくなっていた。
逢いたい気持ちも超MAXに達していた。

9日目。何度もナースセンターに行ってようやく先生に逢えた。
ミユキ『須賀先生!」
須賀『あぁ!ずっといけなくてごめんね。忙しくて。」
そういう先生はマスクをし、かなり酷い咳をしていた。
大方、あの時の寒さにやられ、出勤はしているものの、医局にでも引きこもっていたのだろう。
まゆみ『風邪ひいたの?大丈夫?熱は?」
須賀『薬飲んでるから大丈夫だよ。心配しないで。それより、8日間大丈夫だったの?ご飯もあまり食べてないみたいだけど」
まゆみ『うん。食欲がなくてね… それより渡したい物があって。これなんだけど…」
あたしは、思いきってノートを渡した。渡してしまった。もう後戻りはできない。
須賀『ノート?」
すぐに、ノートを開こうとする先生。
まゆみ『今は見ないで!あたしがいないところで呼んで。呼んでもあたしの事偏見の目で見ないで!」
あたしは、そういうと病室に向かって駆け出した。

当日、翌日、先生はこないし、ノートもどうなったのか。やはりあたしは偏見の目で見られたのかと落ち込んでいた。

3日目。
トイレから戻ったら、テーブルの上にノートが載っていた。
例のノートだ。
開いてみると、赤ペンで何やら書いてある。

話してくれてありがとう。
長い間随分と辛抱してきたね。
辛かっただろう。
僕にはこんな事しか言えない。
けれども、君は決して間違ってはいないよ。よく、勇気をだしたね。これからは無理しないように、一緒に先を考えて行こう。

変な意味で素晴らしく達筆で読むのに時間かかったけど、大好きな先生が一緒に闘ってくれる。もう一人じゃないんだ。
あたしは安堵した。

それからは、暫くの間、主にノートでのやりとりが続いた。

『先生、あたしはもう汚れてる。人を好きになる資格なんてあるのかな?
好きな人に真実を隠したくない。
ちゃんと話しておきたい。
でも、話さなくても良いことなのかな…

君は汚れてなんかいない!むしろ心は綺麗だと僕は思ってるよ。
資格なんてどうでもいい。わざわざ話す事でもない。
けれど、それは僕が決める事ではないんだ。」

『ねぇ、先生。最近ノートでのやりとりばかりだよね。あたしが直接話せないから仕方ないんだけど。
でもね、1つだけちゃんと言葉にして話したい事があるの。
時間つくってくれるかな?

わかった。」

★告白
翌日、先生が呼びにきた。
須賀『ここで話す?」
まゆみ『ううん。カンファレンス室がいい。」
須賀『うん。じゃあ行こうか」
二人でカンファレンス室に入った。
先生はいつもの席に座り、でもペン回しははじめなかった。
須賀『座らないの?」
まゆみ『今日は長く話すつもりないからいい。1つだけだから。」
須賀『何?」
まゆみ『聞いてもすぐに忘れてくれる?」
須賀『それは聞いてみないとわからないよ」
(確かに…でも、もう黙ってられない!思い切れ!まゆみ!)
まゆみ『あのね…」
須賀『うん」
まゆみ『あた…あたしは、…あたしが好きなのは先生なの!あたしは須賀先生が好き!」
あたしはこんな汚れている身体でありながら、先生を好きだなんて烏滸がましいと後悔し、顔を上げられなかった。
須賀『僕もだよ」
まゆみ『……え?」
あたしは思わず顔を上げた。
須賀『僕も君が好きだよ」
先生はまた茹でダコになり、あたしは唖然としていた。
須賀『あ…鼻血」
まゆみ『鼻血?」
須賀『鼻血出てるよ」
あまりにも興奮しすぎたのか、両鼻から鼻血ぶー。
慌ててティッシュで押さえたものの、何故かしら不運。
突然お腹が張り出して、我慢する暇もなく ブッ!! とかなり強烈な音をだしやがった。
あたしはパニックった。嬉しいやら恥ずかしいやら、どうしていいかわからず
まゆみ『び…病室戻る!」
と大声をだし思い切りドアを開けたら顔面を打ち…
須賀『…大…丈夫?」
今度は先生が唖然としてた。
あたしはダッシュで病室に戻り、恥ずかしさのあまり、ベットに閉じ籠った。

さすがに数時間も経ったら全ての言動に対し落ち着きが戻ったし、先生があたしを好きだよだなんて…まるで夢のようでベットが雲のようにフワフワとしていた。

なのに…
須賀『ねぇ、鼻血止まった?顔大丈夫?下剤出す?」
突然くるんじゃねー!
フワフワ夢心地がすっ飛んで、恥ずかしさが出てきたじゃないかーい!
あたしはベットに潜り込んだ。
まゆみ『先生のバカ!デリカシーないんだから!さっさと出てけ!アホ!マヌケ!もう知らない!」
枕は勿論、枕元にあったティッシュや本まで投げつけた。
須賀『ち、ちょっと。危ないから。わかったから!ごめん!戻るから落ち着いて」
先生はあたしが投げつけた物を拾いベットの足下に置いて戻って行った。

★悪夢
最近、親戚の夢をよく見る。
『まゆみはそんなんだから可愛げがないんだ」
『すぐ反抗する」
『口だけは達者だな」
『親不幸物」

あたしはそんな事を散々言われてきた。
母親は兄は可愛いがあたしの事は大嫌いだ。
兄がしかけてきた喧嘩にのったら、それはもう大変。

『まゆみがなぁ…」

とすぐに、あたしを悪者にしてたったの数時間で親戚中にしれわたる。

あたしは悪くないのに!

と言う気持ちが反抗するになるわけだ。
何を言い訳しても通じない。

そんな気分の悪い夢を見てたある日、悪夢がまいこんできた。

母『まゆみがキヨシをそそのかしたんだよ!恐ろしい魔物だよ!医者に行ったら、外でもかなり男遊びしてるっていわれてなぁ。」

(違う!あたしはそそのかしてない!お兄ちゃんが無理矢理に…
あたしは悪くないの!ねぇ、あたしは何もしてないよ!ねぇ、わかってよ…)

目が覚めたあたしはボロボロと泣いていた。
どうにもこうにも気持ちの整理がつかない。
ただ、ただ、大声で泣いていた。

須賀『大丈夫?どうした?」
先生がかけつけてきてくれた。
あたしは、何も言えず、先生に抱きつきひたすら泣きまくった。
先生は黙ってあたしの背中にてを回し抱きしめてくれていた。

どのくらい泣いていたのだろう…。
ようやく落ち着き先生の両手を握りしめた。
まゆみ『ありがとう。もう大丈夫。」
須賀『うん。何かあった?」
まゆみ『夢見たの。ノートに書いた夢」
須賀『もう何も言わなくていい。」
先生はまた抱きしめてくれた。
『不安になったらすぐに呼んでいいんだよ。我慢しなくていいんだよ。いない時もあるけど、僕もできるだけ力になるから」
まゆみ『うん。ありがとう。こんなあたしでごめんなさい。」
須賀『ばかだな。気にするな」
先生はあたしの頭をぽんぽんとして病室から出て言った。

面会
『池田さん、なんか工事の服みたいなのをきてる人が、お兄さんだって面会にきてるんだけど…。先生は本人に任せるって言ってるんだけどどうする?」
まゆみ『……談話室で会います」
あたしは逃げたくなかった。もう一人じゃないから。あたしには須賀先生がいるから。
談話室はナースセンターからも見える。
きっと大丈夫!!

まゆみ『何しにきたの?」
きよし『…痩せたな」
まゆみ『…何しにきたの?」
きよし『面会だよ。それより、背の高い眼鏡かけてるのがまゆみの担当か?」
まゆみ『そうだけど」
きよし『あの事言ったのか?」
まゆみ『言われちゃまずい?たったら何でそんな事してきたの?あたしの人生返してよ!」
あたしは興奮していた。
ナース『まゆみさん、落ち着いて。ね!
今日もう病室戻りましょう。お兄さん、もうしわけないですけどお引き取り下さいね。」
きよし『兄としてまた面会はできるんですよね?」
まゆみ『はぁ⁉どの面下げて言ってんだよ‼」
ナース『まゆみさん、とにかく落ち着いて。お兄さん、面会は担当の医師の判断にもよりますが、患者本人の状態にもよりますので、お兄さんとの面会は無理かと思われます。とにかく今日はお引き取り下さい。さ、まゆみさん、病室戻りましょう。」
ナースに促されあたしは病室に戻った。
イライラする。心配で面会にきたわけではないのは明確だ。
自分がしてきた事を病院側にはなしてないかどうかの確認だ。
謝罪の言葉すらないのか?
本当にイライラする。
頭が混乱している。
不運にも須賀先生の姿はナースセンターにはなかった。

夕飯後。
須賀『まゆみさん、ご飯食べられなかったみたいだね」
まゆみ『先生…きてくれたんだ…」
須賀『うん…ちょっとカンファレンス室行こう」
まゆみ『うん」
あたしは先生の後ろに付いていった。
須賀『今日はごめん」
まゆみ『面会の事?」
須賀『うん。実はお兄さん前にもきた事あるんだ。まだ、君が話しをしてくれてないとき」
まゆみ『今日はどうして面会許可したの?」
須賀『君の気持ちを確かめたかった」
まゆみ『気持ち?」
須賀『君がどこまで強くなれたのかって」
まゆみ『…辛かったよ」
須賀『ナースから聞いたよ。一人で頑張ったね」
まゆみ『一人じゃない。あたしには先生がいるから。だから頑張れた。ガツン❗と言えたよ❗」
あたしの目から涙がこぼれだした。
まゆみ『先生…なんでいてくれなかったの?」
須賀『ごめん。急患が入ってたんだ。僕も気になって仕方がなかった」
先生は握りこぶしをつくっていた。
まゆみ『あたしだけの先生じゃないもん。仕方ないよね。
気にかけてくれてただけで充分。ありがとう」

★図書室
月日はさらに流れもう秋になっていた。
病室から葉が舞落ちるのが見える。

須賀『池田さん?」
まゆみ『なーに?」
須賀『今日の予定は?」
まゆみ『う~ん…焼き芋屋さんきたらダッシュで買いに行って食べる」
須賀『じゃあ、今日は我慢して」
まゆみ『なんで?」
須賀『ちょっと出かけるとこあるから。」
まゆみ『どこに?」
須賀『後で話す。今すぐに、できるだけ大学生みたいな服に着替えて化粧もナチュラルでしてね!」
まゆみ『大学生みたいな服? ロングタイトスカートならあるけど、あたしまだ高校生だし、入院してんのに化粧品なんか持ってないよ?」
須賀『じゃあ、友達に借りて❗どれくらいで支度できる?」
まゆみ『…3、40分かなぁ?」
須賀『じゃあ、その頃またくるから。」
まゆみ『ねぇ、どこ行くの?」
須賀『まだ言えない。誰にも言っちゃダメ!本当にダメだからね!急いでね!」
そういうと、先生はさっさと出て行ってしまったが、いつよりも顔が強張っていた。

それからのあたしは忙しかった。わけのわからないままの状態でロングタイトスカートはいてブラウスとカーディガン探しだし、隣の病室の友達に
まゆみ『御願い。大学生らしいナチュラルメークしてほしいの。」
と無理強いをし。
友『外泊?」
まゆみ『いや、その…気分かな。今日は大学生の気分。これで売店行こうかと思って。」
友『気分転換にいいね!でもさ、その格好とこのメークに、素足にサンダルはないと思うよ?」
まゆみ『あ!ストッキングもハイヒールもない… 貸してくれます?」
友『いいけど、まゆみちゃんちびだからサイズ合わないでしょー」
まゆみ『何とかする!」
友『なんかあやしいなぁ。彼氏でも来るの?」
まゆみ『彼氏なんかいないよ!ただ、本当に気分。後は自分の病室でやるから大丈夫!ありがとう。」
あたしはさっさと病室に戻り、大きすぎるヒールの爪先にティッシュを詰め、ストッキングをはき、髪をまとめた。

須賀『支度できた?」
あたしはカーテンを開け
『これで精一杯だよ!」
と。
先生はあたしを見るなり赤面して
『充分綺麗だよ。じゃあ、下の売店の前で待ってて。僕も時間ずらして行くから」

病棟を出ようとするとナースに引き留められた。
『池田さん、どうしたの?おめかしして。
まゆみ『あたしは女の子だよ。たまには背伸びしたいじゃん。綺麗?」
『そうね。似合ってる。綺麗よ」
まゆみ『ありがとう。」
そこには、まだ顔を強張らせてる先生がいて、チラチラと見ていた。

まゆみ(おっそいなぁ。もう20分も待ってるのに…)
売店の前の壁に寄りかかりながらキョロキョロと見渡し先生を待つあたし。
慣れないヒールに脚も痛んできている。

(あ!やっときた!あたしの事急かしたわりにはのんびり歩いてるんだから!)
あたしはちょっといらついたが、わざと気づかないで落ち着いて待ってる振りをした。

須賀『遅くなってごめん。なかなか抜け出せなくて」
まゆみ『別にいいんだけどさぁ、こんな格好させてどこ行くの?」
須賀『まだ言えない。これから僕の言う事をよく聞いて!僕から少し離れて歩く事。絶対になにがあっても話しかけないこと。わかった⁉」
先生の顔が相変わらす強張っている。
まゆみ『は、はい」
須賀『じゃ行くよ。ちゃんと離れてついてきてね!」
黙って頷くあたし。

売店前の通路から真っ直ぐどこまでも行き、エレベーターに乗り、降りたらもうどこだかわからない所。さらに真っ直ぐ行ったり曲がったり。一体どのくらい歩いただろう。

すると先生がいきなり振り向いてあたしは壁ドンをされた。
『あそこに入り口があるけど、今からそこに入る。大学生らしく振る舞って。誰とも余計な会話はしない事!挨拶されたら挨拶しかえす。勿論僕にも話しかけないこと!いいね!行くよ❗」

先生の顔がさらに強張っている。
これからなにがおきるかもわからないあたしも、先生の気迫に迫られ黙って頷いた。

『こんにちは」
女性が挨拶をしてきた。
先生の肩がビクっとした。

まゆみ『こんにちは」
大学生らしく挨拶をして笑みを浮かべる。

それが3回あったけど、その度に先生の肩がビクっとしていた。

先生の足がある白いドアの前で止まった。

須賀『いい?君は今患者ではなく大学生。この中は大学の図書室。そうだなぁ。時間は1時間後。またここで」

そういうと、先生はさっさと中へ入って行ってしまった。
追って中へ入るあたし。

さりげなく先生がよってきた。
『君が読むような小説はないけど我慢して」
と小声で言う。
真っ先にあたしの目に入ったのは心理学入門書。
まゆみ『大丈夫。あたし、こういうの好きだから。じゃーね!」
と先生から去る。

興味があったせいか、あっという間に読み終えてしまった。

まだ時間が20分もある。
あたしは読みたい本を見つけたがちびのせい、いや、本が高すぎて届かない。
脚立も大学生が使ってる。

フッと横を見ると先生が同じ列にいた。
あたしは先生の隣に行き、本を選ぶ振りをしながら
『本に手がとどかないからとって」
といい、元の場所に戻った。

さりげなく探す振りをして本に手をかける先生。
あたしは(違う)と微かに首を振る。
やっと見たい本に手をかけたので頷くあたし。
先生は本を取った。
まゆみ『痛っ!!」
鼻に激痛が走り、つい声を出してしゃがみこんでしまった。

先生が手を滑らせ、本があたしの鼻を直撃したのだ。

これはヤバイ展開だ!

須賀『すみません。大丈夫ですか?」
まゆみ『…大丈夫…です。」
須賀『本当に大丈夫ですか?」
まゆみ『たいした事ないですよ。どうぞご自分の用を足して下さい」
須賀『すみませんでした」

あまりの痛さに先生の顔はみられなかったけど、かなり冷やひやしていた事だろう。
あたしは暫くうづくまっていた。
側で脚立に乗っていた学生が苦笑していた。

そうこうしているうちに時間になってしまった。

帰りももちろん、
『こんにちは」
まゆみ『こんにちは笑」

またその度先生の肩がビクっとなる。

そして、大学に通じる通路を出しばらく歩いた人気のない所で、また先生が壁ドンをしてきた。
先生の顔は冷や汗だらけになっていた

須賀『ハァァ… 緊張した… 心臓が爆発しそうだったよ…」
まゆみ『先生、今日のは治療じゃないでしょ。あたしが読書もしたいって言ったからでしょう?何でそんな危険犯すの⁉」
須賀『君がしたいことだからしてあげたかったんだ」
まゆみ『だからって!…でもありがとう。言葉にできないくらい感謝してる。あたし、大学生なれてた?」
須賀『うん。みごとだった」
まゆみ『あたし、ナースになりたいって前に言ったでしょう?なれるかな?
須賀『君なら絶対なれるよ。保証する」
まゆみ『じゃ、先生この病院でナースになってあたしがくるの待っててくれる?」
須賀『もちろん。君はいいナースになれるよ。個人的にも待ってる」
先生はまたタコになった。
まゆみ『約束ね!あたし、先生のお嫁さんになる。」
須賀『絶対だよ」

とても幸せ。この幸せが思いがけない形でなくなるとは当然思っていなかった。

面会(親)
須賀『ねぇ、そろそろご両親との面会も考えてるんだけどどう?」
まゆみ『面会かぁ…母親がなぁ…」
須賀『やっぱりお母さんがネック?」
ミユキ『あたしの親、多分先生の思ってるような親じゃないよ。裏表凄いし」
須賀『誰しも少なからず裏表はあるもんだよ。」
まゆみ『…やっぱりわかってない…」
『なにが?」
まゆみ『何でもない。面会いいよ。先生はもう何回も面談してんでしょ?その上で面会考えてるんでしょ?だったらいいよ。」
須賀『うん。じゃあ、お母さんには連絡入れとくからね」
まゆみ『…うん」

数日後。父母が面会にやってきた。
母は病室に入るなり、
みんなに、手土産を配りながら丁寧に挨拶をした。
(出ました!猫被り!)
父は黙ってそれを見ている。
かかあ天下なので、父は母にはさからえないのが実情だ。

挨拶が終わってようやくあたしの元へときた。
母『まゆみぃ、久しぶりだねぇ。やっぱりずっといないとお母さんも寂しいよ。ねぇ、お父さん」
わざとらしい。猫なで声で気持ち悪い。
すると、母の態度がいきなり変わった。というより、いつもの母になった。
私の耳元でささやく。
母『お前の担当医は一体なんなんだ⁉
ぬぼーっとして何考えてるかもわかりゃしない。だいたい、何できよしが悪く言われるんだ!お前が余計な事言ってるんだろう?それも見抜けないなんて、大した医者じゃねーな!」

似たくはないが『ぬぼーっとしてる」は親子して同じ事思っていたんだ。胸糞悪い!
まゆみ『…確かにぬぼーっとしてるけど、先生は良い先生だよ。それに、あたしは、何も悪い事なんか言ってない。事実を話しただけ。」
母『また反抗して!」
母はヒステリックになった。
父『お母さん」
と言いながら首を横に振る。
珍しい事もあるもんだ。
母は、ハッとし、
母『じゃあ、また後でくるからね。あ、お小遣い置いていくね。それじゃ皆さん、失礼します」
と、深々と頭を下げ病室を出ていった。

それからというもの、父母は10日から2週間に1度は面会にくるようになった。
親戚の面会も許可されていった。

母『まゆみの担当医が変わってるんだよ。きよしの事ばかり悪く言ってなあ。ちゃんと物事を見てないんだよ」
親戚『そんなんじゃぁ、一生懸命やってるつきちゃん(母)も浮かばれないねぇ。まゆみちゃんだってそんな先生で大丈夫なの?
まゆみちゃん、ちゃんと先生に言ったら?」
まゆみ『お母さんが言うほど悪い先生じゃないから。むしろとってもいい先生。焦らせないでじっくり向き合ってくれる先生なの。おばちゃんまで先生を悪く言わないでほしい」
母『また!ホントにまゆみは反抗ばかりで…どこでどう間違っちゃったのか…」
母は泣き出した。
親戚『つきちゃんはちゃんとやってるよ。そんなに自分せめちゃだめだよ?
ほら、まゆみちゃん。まゆみちゃんがそんなんたからお母さんいつも泣かせて。おばさんも本当に怒るよ!いつまでも親不孝してないでしっかりしなさい!」
母の涙は本当の涙ではない。心の中では、また親戚を騙せた。と、あっかんべーしているのだ。
まゆみ『…」
呆れかえって言葉がでてこない。が、先生を悪く言われる事だけは許せない。
『でも、先生はいい先生だから」
母『まゆみ、もしかして先生を好きなのかい?」
あたしはどぎもを抜かれた。
ここでばれたら先生が何をどう言われるかわからない。
母『あの先生だけはやめといて。きよしがかわいそうで…」
まゆみ『好きと良い人とは別でしょ?
あたしは、良い先生だと言ってるだけだよ。」
親戚『つきちゃん、あたしもまた面会にきたらまゆみちゃんによく言っておくから、今日はもうこのへんにしときなよ。家じゃないんだし。ね? 」

おばちゃんの言葉で母は納得し(した振り)帰って言った。

あたしはホッとした。今回はおばちゃんに助けられた。おばちゃんがいなかったら、いつまでも先生との事を聴かれまくっていただろう。
母にバレるわけにはいかない。
母の性格に問題があるからだろうが、それ以上に何かが脳裏に引っ掛かって母だけにはバレるわけにはいかないと感じたのだ。

そういえば、最近、あんなにマメだった先生とのカンファレンスがない。
病棟にいるのはいるのだ。
病室の他の担当患者の所へもくるはくるのだ。
けれど、あたしの所へはこない。
精々廊下ですれ違った時に挨拶する程度。
まゆみ『先生!」
あたしは振り替えって先生を呼び止めた。
須賀『ん?」
先生も振り向く。
まゆみ『最近なんで会ってくれないの?」
須賀『ごめん。忙しいんだ。今から別の患者のカンファだから。じゃあ」
そう言われたらあたしは何も言い返せない。
先生は医者なのだから他の患者も診て当然だ。
(顔が見られるだけでも幸せだ)
あたしは無理矢理そう思いこんだ。
そういう状態が2ヶ月位続いた。

(あたしは嫌われたのかなぁ…)

★松本さん
夜中になにやらがさごそとする音で目が覚めた。
あたしはドキッ!とした。
暗闇の中、誰かがあたしの側にいる。
慌てて灯りをつけたら、同室の松本さんがあたしの台の引き出しを開けて何やらまさぐっている。
まゆみ『何やってるの⁉」
松本さんは黙って自分のベットに戻ってしまった。
それは度々続き、さすがのあたしも頭にきて、もういい加減にして!とビンタをしてしまった。

ある日の食後の投薬の時間。あたしの病棟ではナースの前で薬を飲み、一人一人口をあーんと開けてちゃをんと飲んでるか検査されるのである。
あたしは自分の順番を待っていた。
すると、突然背後から思いきり頭を叩かれたのだ。
振り返ると松本さんだった。
松本さんは、手を止める事なく集中して連打してきた。
『松本さん、何してるの!!」
ナースが慌てて止めに入り松本さんを引き離した。
『まゆみさん大丈夫?怪我はない?」
まゆみ『ちょっと痛いけど大丈夫」
『あそこまでやられて、どうしてやり返さなかったの?」
まゆみ『いや、やり返すも何も突然だったから唖然としちゃって…」
『そりゃそうよね。びっくりするわよね。かなり傷むようだったらちゃんと言ってね」
まゆみ『はい」
あたしには心当りがあった。以前のビンタの仕返しであろう。
後で知った事だが、松本さんは統合失調症の上、糖尿病でかなり厳しい食事制限をされていたらしい。
それを考えたら、あたしが悪かったという思いで、やり返すのはやめておこう。と思ったのが正直な所だ。

須賀『池田さん、ちょっとカンファしたいんだけどいい?」
翌日久々に先生がきた。
まゆみ『今日は忙しくないの?」
須賀『まぁ、いつもよりは。」

 ーカンファレンス室ー
須賀『昨日は大変だったんだって?」
相変わらすペン回しをしている。
まゆみ『昨日?何かあったっけ?」
須賀『え?覚えてないの? 松本さんだよ」
まゆみ『あぁ!あれは痛かったわぁ。」 
頭をさするあたし。
須賀『かなり激しかったみたいだね。君、何もやりかえさなかったんだって?
ナースが褒めてたよ」
まゆみ『やり返すも何も突然だったから唖然としちゃってさ。」
須賀『それにしたって、君の性格じゃあそこまでやられたらやり返してるんじゃないの?」
まゆみ『そうだねぇ。あたし短気だもんね笑。でも、仕方ないんだよ。夜中何度も引き出しまさぐられて、あたし1度ビンタした事あったんだ。だから、その仕返しだと思う。松本さんが食事制限されてるなんて知らなかったし。なのに、あたし…。だから、仕方ないんだよ」
須賀『君、考えが成長したね。益々ナースに向いてきた。」
まゆみ『そう?益々好きになった?」
須賀『話しそらさない!」
先生はまた茹でタコになった。

須賀『まぁ、それはおいといて…
お父さんやお母さんとの面会はどう?」
まゆみ『お父さんはたまに、元気か?っていうくらいで他にはしゃべらない。お母さんばかりが喋ってる。病室の人にも猫被りして喋ってるし。反抗ばかりするとか、突然泣き出したりとか。」
須賀『何か反抗したの?」
まゆみ『…先… お兄ちゃんの事悪く言ってるんだろうって言うから、事実を話しただけだって言った。それだけで反抗してるって。いつもそんなんだよ」
須賀『じゃあ、面会はあまりうまく行ってないの?」
まゆみ『かもね。」
二人は暫く沈黙した。
須賀『今はお兄さんの事どう思ってる?」
まゆみ『どうって… 許せないにきまってるじゃん!忘れたくたって忘れられないよ!殺してやりたい!」
あたしは取り乱した。
須賀『まぁ落ち着いて」
まゆみ『先生が出した話しでしょ?」
須賀『…ごめん。でも、いずれ話さなくちゃならない事だよ。君、お兄さんの事でも以前、一歩前に出られたよね。
僕も一緒だから少しずつ前に進もう」
あたしは深呼吸をした。
まゆみ『ごめん。そうだよね。あたし一人じゃないんだよね。 でもね、先生。
あたしにはお兄ちゃんにされた事許せる時なんかこないと思うし、忘れられないのは事実。そんなんでどうやって前に進むの?」
須賀『それをこれから一緒に学んで行くんだよ。
大丈夫。君ならできるから。」
まゆみ『…うん… でもさ、最近先生会ってくれなかったから、あたしはやっぱり一人なんじゃないかって思ってた。嫌われたんじゃないかって思ってた」
あたしの目から、また涙が落ちた。
須賀『う~ん。忙しかったのも事実なんだけど、ちょっと君とご両親の様子を見ていたかったんだ。これから、またご両親と面談を入れて行こうと思ってる」
まゆみ『…お母さんは変わらないよ。どうせ猫被りで良い母親演じてるだけだよ」
須賀『うん。けどね、いつかは退院する時がくるんだよ。その時の為にもいろいろと進めないと。」
まゆみ『退院…させたいの?」
須賀『今はまだ無理。先の話しだよ」

★自傷
先生の言う事は理解できる。
けれど、あたしは本当に先に進めるのだろうか…

そう思う日々が続いていた。
同時に兄にされてきた事が毎日のように思い出され、こんなに汚れている自分は生きていていいのだろうか? いや、先生はこんなあたしでも好きだと言ってくれた。待ってると言ってくれた。
そんな思いが混ぜ合って、死にたい、生きたいの気持ちが自傷に走った。
生きている証がほしい。
ある夜中から、朝に出る牛乳瓶で左足の膝の横を何度も何度も殴りまくり、傷みで生きているんだと感じる日々が続いた。

その痕はどうにもこうにも隠せない程に大きく紫色になっていた。
ナースに見つかり問い質されたが、『わからない」としか言いようがなかった。
須賀先生にも問い質されたが答えは同じだった。
検査にまわされたが、当然外部からの刺激と判断される。
その後も先生に問い質されたが答えは変わらなかった。
何をどう言えばいいのかがわからなかった。

病院側のミスと判断したのか、両親が呼ばれ、先生はあたしの目の前で両親に状態を説明した。
母『何でこんなになるまで気がつかなかったんですか❗やっぱり担当を替えて下さい!」
須賀『治療を進めすぎたのが原因かと思います。申し訳ありませんでした」
母『とにかく担当を替えて下さい!」
あたしはどうしていいのかわからなかった。
ただ、担当は替えないでほしいとしか言えなかった。
自分がした事なのに、先生が責められてる。あたしが謝るべき事なのに、先生が謝っている。
あたしの心臓がドキドキと早く鼓動をうち始めた。
ハァハァ…
呼吸が荒くなる。発作が出てしまったのだ。
いくら深呼吸をしようとしても無駄だった。発作は酷くなり、あたしは倒れた。

だが、みんなの声だけは聞こえた。
父『まゆみ!大丈夫か!まゆみ!」
須賀『袋持ってきて。後投与!」
須賀先生が治療を始めた。
母『先生じゃダメです!他の先生にして下さい!」
ナース『まゆみさん、ゆっくり深呼吸して!」
師『お母さんお父さん落ち着いて下さい。治まりますから安心して先生にお任せ下さい」
発作はかなり長引いたが時期に落ち着いた。
あたしは久々の大発作でかなり疲れうとうととしていた。
母はまだ興奮している。
母『娘をこんな目に合わせて、それでも医者なの⁉早く担当替えてよ!」
須賀『すみませんでした。しかし、本人の意思もきかないとそれはできかねません。今回は我々の不注意でしたが、ご家族にも問題があるかと」
母『何言ってんの⁉全く…」
父『月子!」
母の話しをさえぎるように、父が怒鳴った。
ナース『発作も落ち着きましたし、お話しはまた後にしましょう。本人もだいぶ疲れてるようですし、今日の所はお引き取り下さい」
父『ご迷惑をおかけしました。お母さん帰るぞ!」
父『まゆみゆっくり休めよ」
父はあたしの耳元でささやいた。
(お父さん…ごめん。ありがとう)
その日を境に、牛乳瓶で殴る事はなくなった。
代わりに、生きている実感もなくなっていた。

翌日。
須賀『おはよう」
まゆみ『おはようございます。昨日はすみませんでした」
須賀『久々の発作だったね。今日は体調どう?」
まゆみ『…あまり良くない」
須賀『…担当医の事な…
まゆみ『須賀先生じゃなくちゃダメ!」
あたしは先生の話しを遮った。
須賀『うん。わかった。お母さんには何とか説得しとくから」
まゆみ『面倒かけてごめんね」


                ~続く~
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