私に攫われてください
それは、穏やかな夜のこと。誰もが寝静まり、物音一つ聞こえてこない。

高級住宅街に建てられた一軒の大きな屋敷。そこに住む住民は一人を除いて全員眠りについていた。

三階のベランダにレースのついたネグリジェ着た女の子がぼんやりと外を眺めていた。時計は先ほど二時を指したばかり。夜明けはずっと先だ。

「……なんてつまらない日々なのかしら……」

女の子はポツリと呟く。その言葉に夜風はざわめくだけで、何も返してはくれない。

長い栗色の髪が揺れ、女の子はうつむく。その横顔は満月に照らされ、女の子の美しさをさらに際立たせていた。

コツ、と女の子の頭上から物音がした。女の子は上を反射的に見上げる。そこにあるのは、いつもと変わらない屋敷の屋根ーーーではなかった。

「あなたは……」

屋根の上に、一人の男性がいた。白いシルクハットとスーツを着て立っている。その人に女の子は見覚えがあった。彼を世間で知らない人はいない。
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