会社から自宅マンションまでは、電車で二駅の距離である。時刻は現在午前10時32分。このまま帰宅しても、お昼前に到着してしまうという、ものすごく残念な時間だった。
(くそっ、どうやって愛衣さんと一緒にいられる時間を、少しでも作れることができるだろうか)
「須藤課長、体調は大丈夫ですか?」
「体調? 皆に心配されるような具合の悪さはまったくないので、こうして帰ってることが心苦しい感じですね」
記憶の写真を全部拾うことをせずに、ピックアップして整理したら、気持ち悪さはなくなっていた。多分、記憶の容量に余裕ができたおかげかもしれない。
「須藤課長が元気なら、どこかでお昼を一緒に食べませんか?」
「でも愛衣さんは、お弁当を持ってきているのでは?」
「そんなの、気にしないでください。須藤課長が食べたいものがあれば、それを食べましょうよ」
駅に向かっていた足が、自然と止まってしまった。
(本当はそういう言葉を俺から言えばいいのに、彼女に言わせてしまうなんて、ダメな彼氏の見本だろ)
「俺の食べたいものは……、愛衣さんのお弁当です」
真っ昼間から愛衣さんを食べたいなんて言ったら、絶対にドン引かれるのは間違いないので、当たり障りのないことを言ってみた。
「私のお弁当ですか?」
「ちなみにお気に入りは、卵焼きです」
美味しかったオカズを思い出し、愛衣さんの顔を見つめながら告げたら、目の前で嬉しそうにほほ笑む。迷うことなく、心のシャッターを切った。過去の写真も大事だけど、愛衣さんの顔をこれからたくさん写していきたいと思わせる笑顔だった。
「俺の家の近くに、大きな公園があるんです。今日は天気もいいし、そこでお昼を食べましょう」
「はいっ!」
「愛衣さんのお弁当を俺が食べるとして、愛衣さんの分は駅前に移動販売車が出ていたので、そこで購入するのはどうですか?」
出張の際に使ったことのある移動販売車のことを、タイミングよく思い出せた。
「どんなものを売ってるんですか?」
訊ねた愛衣さんの利き手を優しく掴み、ゆったりとした足取りで歩きはじめる。
(彼氏としてリードするタイミングは、こんな感じで大丈夫だろうか?)
「いろんな種類のお弁当を販売してました。ロコモコやピザ、牛丼もあった気がします」
「バリエーションが豊富なんですね。楽しみかも!」
俺の掴んでいる手を愛衣さんが握り返してくれたことが、すごく嬉しかった。
「愛衣さんの好きな物を選んでください。奢りますよ」
「自分の分くらい買います」
「でしたら飲み物は、愛衣さん持ちでどうですか?」
俺が愛衣さんのお弁当を貰うのに、律儀だなぁと思いながら提案した。
「だったら、駅の中にあるコーヒーショップに寄っていいですか?」
愛衣さんと目と目を合わせつつ、なにげない会話をしているだけなのに、とても穏やかな気持ちになれるのは、この世で一番好きな人と一緒に過ごしているからだろうか。
こんな贅沢な時間の過ごし方ができることを提供してくれた、経営戦略部のメンバーに感謝しながら、あらためて幸せ噛みしめたのだった。