有難うを君に
ブラウンエノキ
1月13日は生憎の空模様だった。

車の屋根を打つ雨音が耳を刺す程に激しく、傘をさしても濡れるのは避けられないだろう。

「こりゃ出掛けるの難しいか・・」

絶え間無く目の前を横切りワイパーを見ながらひとりごちる。

『出掛けるの大丈夫そう?』

駐車場でじゅりにメールを入れてからゆっくりと車を出した。

一度店に行って受け付けを済ませてから、店の直ぐ近くのコンビニの駐車場で待っている手筈になっていたが、この雨だとコンビニまでの間でもずぶ濡れになりそうだ。

『大丈夫!車なんやし、それに私雨女やねん!』

「雨女は濡れても大丈夫な理由にはならんやろ」

じゅりからの返信にツッコミを入れて『わかった、もうすぐで店着くから』と返事をした。

10分程で店に着いて、受け付けをする。料金を払う時に

「時間いっぱい外に居られますか?」

と聞かれた。

「いや、3時間ぐらいで戻って来ます」

「では戻って来られる前にじゅりさんの方からお店に連絡をお願いします。それでは準備が出来ましたらいつも通りお呼びしますので待合室でお待ち下さい」

いつも通り待合室で待っていると「準備が出来ましたのでお車でお待ち下さい」と声をかけられて、店の駐車場に停めていた車に乗り込んでエンジンをかけた。

『雨酷いからそのまま駐車場で待ってて!』

『はいよー』

じゅりにメールを返してから、そのまま駐車場で待っていると裏口からじゅりが出て来てこちらへ向かって走って来た。

「もー!何でこんな降るんよ!」

助手席に乗り込んだじゅりは服に付いた水滴を払いながら不満を隠そうともせずに言う。

「だから外出るの辞めとくか聞いたやろ」

「そんなん嫌や!せっかくやのに!」

「わかったわかった」

唇を尖らせるじゅりにそう言ってから車を出した。

駅前のスクランブル交差点を通り過ぎると、右側に海が広がる。

「船の桟橋迄は遠いん?」

「いや、5分もかからないよ」

「近っ!」

何処に行きたいか聞いた時にじゅりが言ったのは海の向こうに見える港町だった。車で行く事も出来るが、連絡船が出ている事を告げると『乗りたい!』とじゅりが言ったので、俺たちは桟橋に向かっていた。

「でも、この雨で船って出てるん?」

「ネットで調べたら運休にはなってなかったから多分大丈夫だと思うけど」

「そうなんや」

5分もかからずに桟橋に着いて、水族館に隣接された立体駐車場に車を停めた。少しだけ弱くなった雨の中を2人で傘をさして、連絡船の乗船券売り場まで歩いた。

丁度出発前の便があり、船に乗り込むとベンチシートが並んでた船内の1番船首側の席に座った。

「船乗るん久しぶりや〜」

子供の様に笑顔で言ったじゅりを見ていると、愛しさが込み上げて来る。

「そうなんだ?」

「あ、いや、そう言えば去年の夏に乗ったわ」

「全然久しぶりやないやん」

そんなやり取りをしていると、船がゆっくりと速度を、落とし始めた。

「もう着いたん?」

「5分ぐらいで着くからね」

濡れた足元に気をつけてながら船を降りると、雨は小雨と呼べるぐらいに弱まっていたが、代わりに海からの風に煽られた雨が殆ど真横に降り、傘の存在意義を否定していた。

そんな中をくだらない話をしながら5分程歩くと、レンガを基調とした昭和チックな建物が並ぶ街並みが見えて来る。

昼には少し早い時間で飲食店はまだ開いていなかったが、観光客向けの土産物屋が開いていたので、少しひやかして時間を潰した。

飲食店が開き始めたのを見計らって、名物の焼きカレーの店に入る。

メニューを見ると焼きカレーは何種類かあって、その中にキノコをメインにした焼きカレーが目に止まった。

俺がキノコの焼きカレーを避けて、ランチメニューのオーソドックスな焼きカレーを頼むとじゅりも同じものを頼んだ。

「俺キノコ苦手でさ」

「キノコ美味しいやん、なんで?」

「食感か苦手なんよ、あ、でもエノキは好きだな」

「なんでやねん」

じゅりのツッコミを受けて俺が微笑むと「あ!」と、突然声を上げた。

「エノキで思い出した!ブラウンエノキって知っとる?」

「ブラウンエノキ?」

耳慣れない名前に俺はおうむ返しをする。

「そう!茶色って程やないんやけど、ちょっと濃い色したエノキで、めっちゃおいしんやって!」

「へー、初めて聞いた。スーパーとかでは見た事ないな」

「ちょっと探して食べて見て!ホンマめっちゃ美味しいから!」

興奮した様子で言うじゅりを微笑ましく眺めていると、焼きカレーとセットのサラダとスープが出て来る。

じゅりがひと口食べて呑み込むのを待ってから「どう?」と尋ねてみる。

「カレーやな」

「ま、カレーだしね」

「なんか思ったより普通のカレーやな、もっと焼けてるんやと思ってたのに」

不満そうに言うじゅりを見ながら焼きカレーを食べてから店をでた。

さっき冷やかした土産物屋に行って、今度は冷やかさずに品物をカゴに入れてレジに向かう。

「5757円になります」

財布を取り出そうとする俺をじゅりが

「私の買い物なんやから私が出すよ」

と言った。

「いや、いいから、ここは男に華を持たせるとかだから」

「せっかくお財布持って来てんのに意味ないやん!」

「別に財布持って来たからって使わないといけないって事はないやろ。つか、これ店員さん困るやつだから、迷惑だから」

「でも・・・」

尚も食い下がるじゅりに仕方なくトドメの言葉を口にする。

「そんな事言うならもう店行かんよ?」

「・・ズルイわ、わかった。ありがとう」

そんな迷惑なやり取りをしつつお土産を買い終えて店を出ると、いつの間にか雨が止んでいた。

来た道を戻って連絡船で戻り、すぐ側にある市場に向かう。

「お寿司お寿司!」

「めっちゃ食べるやん」

じゅりが外でしたい事に挙げていた、市場の中の寿司屋に行く。あまりお腹は空いていなかったが、最悪テイクアウトすればいいかと思いながら寿司屋のある二階への階段を登る。

「めっちゃ並んでるやん」

と、言ったのはじゅり。

平日だからと油断していたが、観光スポットでもあり、そこそこ有名な市場なのだから考えれば当然の事だった。

「これはちょっとキツいな・・」

文字通り時間に限りがあるこの状況で、並ぶ事に貴重な時間を割くのは流石に厳しい。寿司は食べさせてあげたかったが、仕方なく代案を提案する事にした。

「今度、俺がテイクアウトで店に持って行くよ、それでいい?」

「ええの?」

「それぐらい何でもないから大丈夫」

じゅりが納得したのを確認してから時計を見ると12時半を少し回った所だった。

「そろそろ戻ろか」

「せやな、行こ!」

市場を出て車のある立体駐車場に向かっていると、簡素なテントがあり【武は蔵と小次郎に会える!】と大きく書いてあった。

どうやらVRで巌流島の戦いを再現しているらしい。

「・・・これやりたい!」

「子供か」

じゅりのあまりの無邪気さに思わずツッコミを入れてしまう。

「えー!ええやん!やろうや!」

「わかったわかった」

スタッフらしき女の人に2人分の料金を払うと、テントの中に案内され、まずじゅりが映画で見る暗視スコープのゴツい版の様な機械を被らされた。

「おお!めっちゃすごい!」

おそらく今じゅりの視界には立体映像が映っているのだろう。

「やばっ!」

とか

「へ〜!」

とか、言いながら少しずつ歩いて行く。5分遅れで俺もVRゴーグルを被らされた。

時代背景の説明などが流れつつ、最後は巌流島での武蔵と小次郎の決戦で映像は終わった。

ゴーグルを外すと、先に終わっていたじゅりが

「めっちゃ楽しかった!」

と、興奮気味に話しかけて来た。

それをスタッフが微笑ましく見ていたが、どう見ても子供に向けた顔だった。

店までの車の中でまた雨が降り出し、本来なら少し離れた所でじゅりを下ろす予定だったのだが、雨の所為で店の真横で下ろして部屋で再び合流した。

「誕生日おめでとう。気にいるかわからないけど」

部屋に入ってから用意しておいたプレゼントを渡す。

「そんなんええのに!外に連れて行ってくれるだけで充分やって!」

「いや、もう買ってるし持って帰っても使えないし」

「む〜!・・じゃあありがと。開けてええ?」

「いいよ」

「あ!もこもこや!」

ラッピングされた袋を丁寧に開けて、じゅりが中から取り出したのは青地に白のマーブル模様の入った部屋着。言葉通りにふわふわの触感が特徴的パジャマだ。

「何がいいか悩んだんだけど、アクセサリーしてるの見た事ないし、アクセサリーって結構好みでるから実用的な方がいいかと思って、センスはともかく」

「めっちゃ嬉しい!着てみてええ?」

「もちろん」

服が雨に濡れていたので丁度良かったかもしれない。服を脱いで下着姿になったじゅりの均整の取れた肢体に見惚れた。何度見ても綺麗で慣れる事は無い気がする。

「ふふん、もこもこで気持ちいい!」

レディースのフリーサイズを買っていたのであまり心配はしていなかったが、問題なさそうで安心した。

「良かった。で、何で下は履かんの?」

じゅりが着たのは上だけで、下は下着のままなのでお尻の半分程は見えたままだ。

「なんとなく、今は上だけでええわ」

2人でシャワーを浴びてベッドに寝転んで、他愛もない話しをする。

何が美味しいとか、面白い事があったとか、どの芸人が好きとか、見た目は子供で頭脳は大人な名探偵のアニメにハマってるとか。

そんなゆっくりとした、でも、心地よい時間。

「そう言えば、司の誕生日はいつなん?」

「内緒」

「なんでよ!」

「なんでも」

「いっつもして貰ってるんやから、それぐらいさせてや!」

「じゃあおめでとうって言ってくれるだけでいいから、それなら教える」

「む〜!・・わかった。おめでとうだけにする」

「2月12日」

「もうすぐやん!」

関西弁特有の語尾上がりの言葉。

驚いた顔。

拗ねた顔。

子供の様な無邪気さ。

いつの間にか心に入って来る図々しさも。

じゅりを作る全ての要素が愛おしい。

「ごめん、じゅり」

「ん?いきなりどうしたん?」

「別に何も望まないから、ただ、伝えたいだけだから」

「・・うん」

「俺はさ、この間話した彼女の事があってから、誰も好きにならない様にしてきたんだ。あんなに辛いなら1人でいいって思ってた。それでいいと思ってたし、これからもそうだと思ってた」

傷付くのが怖かった。

だから、逃げ続けて来た。

それが出来たから。

逃げられない程の想いを抱く事がなかったから。

でも



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