春の雪。喪主する君と 二人だけの弔問客

愛知川のイルカたち

シオンが 思い切って その流れに身を投じた途端、無数の泡が水中に幕となって生じた。

シュノーケルのお陰で、視界はクリア。目の前に拡がる 淡い水の世界は、シオンの考えていたより いつも 流動的だった。

手前にも 奥にも、硝子の欠片みたいな 小さな光が いくつも群れをなして ゆらゆらしている。
川底にある 丸石が 水面から差し込む 太陽の光で まだらに白く発光していた。

シオンは そんな水の世界に 今も魅了されていた。瞬間、

『バシャン!、バシャン!!』

なんの合図もなく 背後から二つの飛び込み音が 淡水の世界に 鳴り響いた。
と、同時に シオンの両腕を スルリとしっとりした感触がまとって、 ぎゅんと 前に通りすぎる。
シオンは 両腕の感触に、初めぞわっとしたのに なくなると 訪れた水温に、 寂しいみたいに きゅっと すくむ。

そんな感触は 二匹のイルカが 両腕から飛び出したような錯覚を作って。
シオンは 慌てて それを追いかけた。

なのに、みる間に遠退く 二つの影に、どう足掻いても 追い付けなくて、 シオンは とうとう 水面に顔を出した。



「おまえ、全然 泳ぎ うまくなんねーな!」

二つの影、イルカの一つは、中銛を振り回しながら 川上から 容赦なく シオンに ことばをぶつけるから、

「ルイちゃん、うるさい! ふたり はやいよ!」
と、 かろうじて川底に足をつけながら 負けじと シオンは叫んだ。が、

「うしろ、みてみ。すすんでないぞ!」
という、ルイの言葉で 振り替えると 川の岸が まだ後ろにあって、気まずくなった。
「……」

「ルイ! シオンちゃん 見てろ。 さかな 突いてくるから」

レイが 中銛を片手に 上流に体を沈めると、慌ててルイも 水飛沫を派手にあげて追随。
「レイより、おれのほうが たくさん突くって!!」

そんなルイの声も すぐ水に沈む。

シオンは 二人の空気穴が どんどん 上流に移動していったのを見ていた。

この辺りでも 魚は充分に多いが、上流にいけば もっと大物もいるらしい。彼らの父親は、そこで 趣味の投網をして、育ち盛りの息子らのランチを 今ごろ 存分に調達しているのだろう。

シオンは、シュノーケルのガラスに入った水を出して もう一度 二人の消えた方向に泳いだが
やっぱり 一向に進まない。

「ながれが、 」
意外に早いのだ。

関西の水甕といわれる マザーレイク。
琵琶湖には大小無数の支流がある。細かい流れは、川辺の市街地に入ると疎水となったり、川端という 井戸を形成したりする。
大きい流れは、隣の京都 。そこからさらにその先 大阪湾にと流れていく。マザーレイクの 細かな支流は 最後、母なる海で、その川幅を とても大きくするわけだ。

シオンは いつも不思議に思う。

琵琶湖としてみる 水はいつも穏やかな水溜まりだ。それでいて 淡水はシルバーグレー色にみえる。なのに、そこから流れ出る川の水は、流れが 本当に早くて、磨かれたように 透明。
どこまでも 見渡せる 美しく 鋭い水中の世界。

だからか、低学年のシオンに 愛知川の水は なかなかその水幕を開いてくれない。
そして、今日も 二匹のイルカに 追い付いて その先に泳ぐことは

出来ない。



「シオンちゃん!! おばさんと お昼、食べちゃおうか?!」

岸から 優しい声が 風にのってきたので、シオンは 水から上がることにする。

夏休みのほとんどの時間を 三人の子ども達は 川で過ごす。たまに、田んぼ。後になると、観光用の巨大な水車なんかも出来て、見に行っりもするが やはり 暑さからか水辺が多い。

経営する会社が休みの日には、 足を伸ばし、叔母夫婦は シオン達を愛知川に お弁当を持って 連れていってくれる。

太陽を背中に
叔母がヒラヒラと白い手を振るのが見えた。

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