独占欲強めな御曹司に最愛妻として求められています~今夜、次期社長は熱烈求婚を開始する~
同居

――なんで、こんな事に……

 車を運転する羽野の機嫌の良さそうな横顔を助手席から盗み見しながら、雫は心の中で思い切りため息をついた。

 羽野の提案により、雫は彼の家に同居することになった。

 同棲では無い。あくまで同居だ。

 婚約者のフリをすることを了承した日、夜道は危ないからと強引に車で家まで送っていかれ、別れ際に『日曜日に迎えに来るから』と2日後を指定された。早すぎないか。とにかく全てが急展開だ。

 車の知識は無いのでわからないが、ハイグレードなんだろうなと思われる、乗り心地の良い国産車を慣れた様子で運転する羽野は、ブラックのアンクル丈のチノパンにネイビーのシャツをさらりと羽織っている。シンプルだがきっと物が上質なのと、スタイルが良いので雑誌のモデルの様に爽やかだ。

 会社のビシッと決まった隙のないスーツ姿しか見たことがないので、アパートに迎えに来た時『誰だこの爽やかイケメン』と素で思った。彼の雰囲気もいつも以上に柔らかく、どこか楽しそうに見える。

「荷物これだけで良かったの?」

 ミラー越しに後部座席を見ながら羽野が言う。雫の準備した荷物は大きな旅行鞄一つと段ボール1つだけだ。同居は短期間で終わらせえるぞという気持ちが現れている。

「もし、必要なものがあれば取りに帰れば良いですから」

「その時は言ってね。車出すから」


 車はマンションの地下駐車場に静かに滑りこむ。

 事前に住所を聞いていたので何となくは予想はしていたが、驚くほどセレブなマンションだ。会社からは地下鉄で2駅の立地。直接歩いて通勤も可能だろう。近くに公園があって閑静でありながら駅からも近い。

 路線価も相当高いはずなのに贅沢使いの3階建て。ホテルのようなエントランス。これが、高級低層マンションってやつだろうか。でも都会的というより全体的に明るい雰囲気を感じる。

 「ご立派なお宅ですね……」

 人生でこんなマンションに足を踏み入れた事すら無い雫は、気が利かない感想しか出てこない。

「転勤前に住んでいたマンションは処分しちゃったから、新しく用意したんだ。気に入ってくれると良いんだけど」

 駐車場に車を止め、カードをかざして乗るエレベータで3階に向かう。


 羽野は同居にあたり、プライベートな空間は保証すると言っていたのだが、部屋を案内され、なるほどと思った。

 4LDKらしいが、それぞれの間取りが広い。玄関から続く南向きのリビングは天井が高く開放感がある。置いてある家具もシンプルだが高級感がある。大きな窓の向こうにはバルコニーがあり、隣接する公園の木々が葉を伸ばしているのが見える。

 ダイニングから続くのは使いやすそうなアイランドキッチン。独身男性の一人暮らしというよりファミリー向けの物件な気がする。ただし、セレブファミリー用の。

 持ち家かどうかは聞くのはやめておこう。自分には関係の無いことだ。

 リビングとは逆の場所に3部屋配置されており、その中の一つが雫の部屋として準備されていた。シンプルな白を基調とした部屋で、ウォークインクローゼットもある。

 元々ゲスト用の部屋なのだろうか、ベッドもある。

 部屋が広いので雫のアパートのようにベットが部屋を占拠することも無い。


 雫が使う部屋に荷物を運び終えた羽野が声を掛ける。

「さぁて、一息つこうと思うけどコーヒー飲む?先に荷解きする?」

「いえ、片づけは後でも大丈夫です」

 荷物は少ないのですぐに片付くだろう。

「OK、じゃあソファーに座ってて」

 羽野はキッチンに向かう。

 言われた通り、雫は広いリビングの中央にあるダークブラウンのソファーにちょこんと浅く腰掛ける。やけに座面が広く、かえって落ち着かない。

 しばらくするとキッチンにあるコーヒーマシンのミルの音が止まりふんわりと良い香りがしてきた。

(てゆうか、私羽野さんにコーヒー入れさせてるし!)

「羽野さん」

 雫は慌てて腰を浮かせ、キッチンに向かって声を掛ける。

「ん?」

「今更なんですが、本当に良いんでしょうか。別に一緒に住まなくても婚約者の役は出来るような気がしますし、羽野さんにいろいろしてもらっているこの状況がいたたまれないんですが……」

 勤め先の上司であり次期社長だ。家に転がり込み、コーヒーを入れさせている現実に焦ってくる。

「しーちゃん、コーヒー、ミルクか砂糖入れる?」

「……あ、いえ、いつも何も入れません」

「うん。僕もブラック派。たまにミルクだけ入れることもあるけどね」

2つのマグカップを手にした羽野はウォールナットのローテーブルにコトリと置きながら雫と斜め向かいのソファに座る。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 雫もつられて座りなおす。

「例えばね、こういうコーヒーの好みとか癖とか、お互いの事早く知るのって、付き合っている内に自然とわかっていくものだけど、僕らにはないでしょ、そういうの。多分今ふたりで父の前に出て行っても、すぐに見抜かれる。一緒に暮らしていれば、手っ取り早くそういう他人じゃない雰囲気が自然とつくと思うんだ。父に会ってもらうのは早い方が良いからね」

「他人じゃない雰囲気?」

「そう。だから、ここにいる時は会社の上司とか部下とかそういうのは抜きにしてもらえたらいいと思ってる」

 ちょっと踏み込んだ言葉のような気もするが、確かに早くミッションを終わらせるために、この同居は必要なのかもしれない……ような気がしてくる。

「あと、君に襲い掛かったりはしないよう、努力するからそこは安心して」

「そ、そんな事羽野さんがするわけないです」

 急に妙な事を言い始めた羽野に雫は内心狼狽えてしまう。

 努力だなんて、冗談で言っているのだろう。

 実際どうかなんて聞いた事は無いが、目の前で優雅にコーヒーを飲む羽野は、見た目もスペックも王子様だ。今まで付き合ってきた女性は彼に相応しい上品で抜群の美女だったに違いない。間違っても自分相手にそんな気が起こる訳が無いだろう。

 さらに居心地が悪くなった雫に羽野は形の良い口元を綻ばせて言った。

「うん。努力はするよ」



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