獅子に戯れる兎のように
【5】恋愛下手な兎は婚期を逃す
【柚葉side】

 ――数日後、家庭教師派遣会社から『先方の都合により家庭教師は不要になったとの連絡がありました』と電話があった。

 これで、彼ともう拘わらなくてもいい。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、『先方が、担当の先生に何の落ち度もありません。お世話になりました。宜しくお伝え下さい、と仰有っていたわ。何があったか知らないけど、苦情は入ってないから、これでヨシとするしかないわね』

 先方が……
 そんなことを……?

 取り敢えず円満解決に至ったが、『あなたは家庭教師に向いていない。今回の件は先方に感謝することね』と、最後まで嫌味を言われた。

 私はセクハラを受けた被害者だ。
 彼に感謝することなんてない。

 派遣会社によると、電話の主は若い男性だったらしい。

 彼が両親を説得したのだろうか……。
 あのご両親がよく納得したな。

 それとも彼が勝手に電話したのかな。彼ならやりかねないけど、あの彼にそんな電話応対が出来るなんて、信じがたい。

 昨日帰り際にいただいた焼き鳥の包み紙に視線を向ける。

 派遣先と私がトラブルを起こしたことは、会社も薄々気付いている。彼の気遣いで穏便に済んだが、もう次の派遣先はないだろう。

 家庭教師の仕事は怖くてもう出来ない。

 家庭教師派遣会社との契約を自ら打ち切り、在学期間は近所のファミレスでウェートレスとして働き、学生生活を終えた。



 ――卒業後、花菜菱《はなびし》デパートに就職した私は、会社の独身寮に入る。

 小暮とのことも、彼とのことも、長い人生の中で通り雨にあったようなものだと割り切り、過去の苦い体験を封印し二度と振り返らないと心に決めた。

 ◇

 ――二千十五年四月、花菜菱デパート、本社――

 本社に配属され五年が経過した。現在は総務部庶務課に所属している。総務部は経理財務課、庶務課、人事課とあるが、同じフロアでそれぞれの課が仕事をしている。

 庶務課は比較的仕事は楽だと思われがちだが意外と忙しい。パソコン中心のデスクワークではあるが、仕事に追われていると苦い過去の記憶も年月と共に薄らいだ。

 五年も経つと仕事にも慣れ精神的にゆとりも生まれる。俯き加減の人生を送っていた私も、気の合う仲間に恵まれ、徐々に性格も変化し前向きになることが出来た。

 これも、好きな人が傍にいてくれる安心感から、自然と笑顔になれるのかもしれない。

 ――昨年四月、こんな私に交際を申し込んだ男性がいた。

 同期の虹原晃平《にじはらこうへい》、同じ花菜菱デパートの社員。総務部の経理財務課所属。

 『同じ店舗での社内恋愛は禁止』とされている社内の規則を知りながら、私達は密かに交際を続けている。

 虹原は男性不信だった私が、唯一心を開いた相手だった。
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