ニセモノの白い椿【完結】

episode2 人生は、何が起きるか分からない



「――あの日の勢いはどこに行ったんですか?」

不敵な笑みを崩さずに、私を見据えている。

あの日の、男――。

バーで酔いつぶれていたところを見せ、同じベッドで寝た男……!

何もなかった。絶対に、何もなかった。
でも、飲んだくれて泥酔したところを見られている。
おまけに、寝顔まで見られている。

そして何より。自分がこの男に何を喋り、何を曝け出したのかがまったく分からない。

私、一体、どこまでこの男に話した――?

確認しなければならないことは山ほどあるのに、ただ口がぱくぱくと動くだけで声にならない。
人って、本気で焦ると喋ることができなくなるらしい。

「――め、がね」

それでも、何か言わなければと必死になって声にしたのがそれだった。

「……え?」

「眼鏡、してなかった……」

大事なところは、そこじゃないだろ!

思わず自分にツッコミを入れた。
どうやら、冗談抜きで混乱しているらしい。

「ああ。これね」

そう言って、男が眼鏡を掲げる。

「社内でモテても面倒なだけだからさ。地味に見せるための、小道具」

は――? 

なんだ、こいつ。やっぱり、ふざけてる。

でも、確かにこんなにも印象が違うのは、その眼鏡が理由であることに間違いない。
そもそも、ここの廊下でぶつかった時に顔を見たのだってほんのわずかな時間だった。
覚えていなくても無理はない。

「あれ、何か言い返して来ないの? あの夜と、全然違うじゃない」

私は一体、どんな態度を取ったのだ。

「飲んで喚いて、突っかかって来たあなたと、落ち着いていて笑顔を絶やさない感じの良いあなた。どっちが本当の姿なんだろうな。まあ――」

喚いて、突っかかって来た――?

ただ、青ざめて行くことしか出来ない。

「聞くまでもないか。わざわざ醜態を晒した姿を演じる人なんていないもんね。あっちが、本性かな?」

醜態――。

目の前でほくそ笑む姿に、反論できない悔しさとこの先の不安で、結局何も言葉に出来ない。
あの日の、一日の失敗で済むと思っていた。
すべてリセットして、新しい生活を始めようと思っていたのに。

新しい環境で、上手くやって行こうと思っていたのに――!

私は、一体、どうすれば……。

「――生田さん」

混乱と戸惑いと恐怖に渦巻く脳内に、聞き覚えのある声が飛び込んで来て一時思考停止になる。
小さなバッグを持った白石さんが、現れた。
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