年下ピアニストの蜜愛エチュード
6 セレナーデを君に
 五月も半ばになると、庭のバラはほぼ満開になる。

 白、クリーム色、ピンク、紫――母が丹精している花々に彩られて、遠くからでも家全体が華やいで見えた。

 土曜日、千晶が働く内科クリニックの受付は午後一時までだ。気候がいいせいか患者も少なく、今日は残業せずに職場を出ることができた。

「ああ、いいお天気」

 千晶は大きく伸びをして、家路を急ぐ。順が食べたがっていたアイスクリームを買ったから、早く帰りたかったのだ。

(そういえばチャオチャオのジェラート、おいしかったな)

 ジェラートマエストロのジェラテリア、ハイブランドばかりが軒を並べるきらびやかなショッピングモール、美術館のように端正な『ベリーヒルズ・メディカルプラザ』、そして秋の日差しの中で微笑んでいた優しいアンジェロ。

 ジューンベリーの木々が立ち並ぶベリーヒルズビレッジで過ごした日々が、何年も前のように思える。

 だが千晶が健診センターを辞め、順と共に東京の郊外にある実家に戻ってから、まだ数ヵ月しかたっていなかった。

 辞職の理由は、うつ病気味の母を介護するというものだった。しかし実際は庭仕事に精を出せるほど回復していて、持病がある父親もそれなりに元気だ。

 むしろ参っていたのは千晶自身だった。

 ベリーヒルズにいれば、いずれアンジェロと出くわすかもしれず、気持ちも揺らいでしまう。彼を思いきるには、あの美しい街を離れるしかなかったのだ。

 幸いすぐに就職が決まり、順も新しい保育園に慣れてくれた。

 仕事の傍ら、母と手分けして家事をしながら、淡々と日々を重ねていく――そうしていれば心の傷も癒え、失った恋に涙することもなくなると、千晶は自分に言い聞かせていた。

「きっともうすぐ帰ってくるよ」

 ちょうど家の前まで来た時、順の声が聞こえてきた。誰と話しているのか、いつになくはしゃいでいる。それに重なるように父や母の笑い声もした。
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