蕾の恋〜その花の蜜に溺れる〜
過去と記憶



「ここ、どこ?」


早足で廊下を通り抜け
正面玄関から外へと抜け出せば

見たことのない景色が広がっていた


広い駐車場に赤いポスト
タクシーの列を眺めて肩を落とす


どこだか分からないけれど
駅まで戻ればなんとかなるかと

落ちた気分を誤魔化して
タクシー乗り場へと足を向けた


たいして待つことなく乗り込めたタクシーで
中心駅前を告げると此処が比較的近い場所であることを教えられた


渋滞もなく十分余りで到着した駅前は
記憶に残る人集りは無くて


ホッとすると同時に胸に痛みが走る


支払いを済ませてタクシーから降りた

何気無しに見上げた駅舎の壁に付く大きな時計の短い針は四時を指していた


「・・・っ」


一瞬総毛立って・・・脱力
鼓動が煩いくらいに騒いでいる


三時間半近くも病院に居たことになるから
間違いなく祖父が心配しているはず・・・

百合の花と鞄を抱え
ゆっくりと、でも早足で駅北へと歩き出す

集合時刻の十八時には駅の裏口に戻らなければならない


往復の三十分を削れば
祖父と居られる時間が僅かになってしまう

淑女の基本を破るように
車二台は通れそうな歩道の真ん中を突き進む

やがて街並みに紛れるように建つ
クラシカルな店構えが目に入ると
なんだかとてもホッとした


少し重めの扉を開いて
中へと足を踏み入れる

なんとも言えない独特の匂いに
懐かしさが膨らんだ


「ただいま」


ディスプレイやカウンターをすり抜けて奥へと続く扉を開ける


「ただいま」


もう一度大きな声を出せば


「・・・蓮か?」


祖父の声が聞こえた

居住空間との境目にある引き戸の手前で靴を脱いでいると

カラカラと引き戸が開いた


「お帰り」


「ただいま戻りました」


春休みも戻らなかったから
お正月に会ったのが最後で

久しぶりに会う祖父の
変わらない笑顔にやっと深い息が吐き出せた気がした










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