婚約者の使いは、大人になりたい幼い竜


 王国北部の辺境にあるマクライエン領。のどかな風景に馴染む領主邸宅では、朝の澄んだ爽やかな空気とは裏腹に殺伐としていた。


「いい加減にしてくださいませ! 約束もなしにこう何度も来られては仕事になりませんわ!!」

 ロッティは玄関前で眦を決し、威嚇するように大声を張り上げていた。令嬢には似つかわしくない長剣を握り締め、その切っ先はおじであるアレクに向けている。

 アレクは剣を向けられているにも拘らず、にたにたと笑みを浮かべた。まるで物陰に隠れて警戒する猫でも呼びよせるように指先を動かす。

「ロッティ、そんな態度を未来のマクライエン子爵の俺にするもんじゃない。さあ、剣を下ろせ。わざわざ王都からこんな辺境地まで出向いてやったんだぞ」
「出向いてくださらなくて結構ですわ。それより、アレクおじ様にマクライエン子爵を名乗る資格がどこにありまして?」

  わざと嫌みったらしい言い方をするロッティは首を傾げる。

「おまえの両親が半年前の事故で死んだ以上、次の継承権は俺にある」
「次の正当な継承者は弟のジャンよ。だって、あなたは亡くなったお祖父様から勘当されて既にマクライエン家の者ではありませんもの!」

 おじのアレクは祖父の再婚相手の連れ子だった。とはいっても血統を重視している家系ではないので血すじでなくとも彼が爵位を継ぐ権利は充分にあった。

 ところが若い頃から賭博好きで酒に溺れ、果てには祖父の貯金に手を出して派手に遊び回っていたために勘当されてしまったのだ。
 自業自得だというのにアレクは祖父を逆恨みして、虎視眈々と爵位を狙ってきた。義兄である父もいなくなった以上、待ちに待った絶好の機会なのだ。

 ロッティの言い分が癪に障ったのかアレクはやや気色ばんだ。それも束の間、彼はやれやれと首を横に振って肩を竦めてみせた。

「よく考えてみろ。ジャンはパブリックスクールを卒業するのにあと数ヶ月はかかる。それまでの間、領地の管理は誰が? 交易路の莫大な工事費と相続税でいよいよ首が回らなくなったそうじゃないか。使用人すら雇えなくなってこの屋敷にはおまえ以外誰もいない。これだとジャンが卒業するまでに没落するな」

 小馬鹿にするように鼻を鳴らすアレクに、ロッティは悔しげに唇を噛みしめた。



 半年前、他領とこの領を繋ぐ交易路で大規模な雪崩が発生した。想定している量を遥かに凌ぐ積雪のために補強工事では防ぐことができなかったのだ。かといってこのまま交易路が使えない状態だと領民の生活が困窮してしまう。

 ロッティの両親は領民たちの生活を守るため、除雪作業と補強工事に要する日数を見積もりに現場へ向かった。――その最中、二度目の雪崩は起こった。
 巨大な雪煙を立てて山の木々を次々となぎ倒し、雪崩は両親一行をのみこんだ。誰一人として助からなかった。

「確かに昔の俺は道楽息子だった。だが領地の管理・経営は手伝っていたし、今は王都で起業して成功している。それなりに経験も実績もある。素人のロッティには荷が重すぎるだろ?」

 これはもっともな言い分で、先祖代々受け継いできた領地をロッティ一人が管理するのは限界だった。
 両親が死んでから、毎日捌いても捌ききれない量の仕事を一人でこなしてきた。不幸なことに父の右腕として長年働いてきた者たちもくだんの事故でこの世を去ってしまった。助言を与えてくれる人間もいない中、父や祖父の書類や記録を頼りになんとかここまでやってきたのだ。

 しかし、目下の問題は領地管理だけにあらず。なにしろこの屋敷にはロッティの世話をしてくれる使用人が誰一人としていないのだ。
 両親亡き後、数十人いた使用人たちが表向きは一身上の都合を理由に次々と辞めていった。十中八九アレクの差し金にちがいない。

 幸い、商家の娘であった母によって家事は一通り身につけている。家事ができれば生活には困らないし、寝床もあるから大丈夫だろう、と当初は高を括った。

 ところが、使用人ゼロというのはじりじりと効果を現し始めた。なにしろ由緒正しいお屋敷はメンテナンスをしないとすぐに雨漏りや風の吹き込みが発生する。広い庭園は雑草が好き放題に生え、樹木も枝葉が伸び放題の無法地帯となった。手が回らないロッティはただ黙殺することしかできない。

 おかげで古式ゆかしい伝統的だった邸宅は廃墟のごとく無惨な姿となってしまった。


「賢いロッティならどちらにメリットがあるか気づいているはずだ。いい加減俺の慈悲を受け入れろ」

 アレクは上質な上着の内ポケットから小さな四角い箱を取り出した。開ければ、たちまちキラリと光るダイヤの指輪が現れる。
 もう何度も見たアレクの求婚シーンである。

 ロッティは嫌悪感を露わにすると震える唇から声を絞り出した。


「慈悲? あなたの花嫁になることのどこが慈悲ですの? 結局私を嫁にすることで領地も爵位も、全てを手に入れようって算段でしょう? 生憎ですけれど私には婚約者がいると再三申し上げましたわ!!」

 ぴしゃりとロッティは言い放った。
 ロッティには婚約者で竜族のセリオットがいる。
 彼は隣国スウェルデ国の君主であり、竜の中でも最強の力を持つと言われている。


 スウェルデ国は竜族が治める魔法大国で、人の姿で暮らす竜や魔法が使える人間たちが共生している。ロッティの暮らす国は小国で魔法が使える人間の数は少ない。スウェルデ国から輸入される魔具で生活水準を上げているのでかなりの恩恵を受けていた。

 君主の竜は五百年ごとに交代し、人間のような世襲君主制を採用していない。要するに竜の中で最も強い者が期限付きで国を治めるのだ。因みにセリオットの治世になってまだ五十年ほどしか経っていない。



『ロッティの結婚相手は竜王のセリオット様だ。十八歳になったらセリオット様が迎えにくるからそれまでに立派な淑女になるんだよ』

 物心ついた時から両親に何度もそう言い聞かせられて育ってきたロッティは、刷り込みによって他の誰かと結婚するという選択肢がまったくない。そして血は繋がっていなくとも、おじであるアレクなど論外である。

 いつもは大体ここで長剣を振り回せばアレクは引き下がるのに、今日はそうもいかなかった。
 アレクがロッティを憐れむような目で見つめてきたからだ。

「十八もとうに過ぎてるっていうのに。迎えにこない奴をいつまで待つ? 一度も顔を合わせたことがないそうじゃないか。おまえは騙されているぞ」
「それは……」

 ロッティは言い淀む。
 アレクの言うとおり、五ヶ月前に十八歳になった。誕生日を迎えた日、セリオットはおろかスウェルデ国からの使者の姿もなかった。

(でもおじ様は一つ間違えているわ。だってセリオット様とは、もう何度も会っているもの)


 ロッティには誰にも明かしていない秘密がある。それは十六歳の時、自室のバルコニーでセリオットと会っていたということ。夜になるとセリオットは姿を現し、話をしにきてくれた。

 彼は二十代半ばで背は高くてすらりとしている。さらさらとした青みがかった銀髪に春を思わせるような明るい緑の瞳。人間離れした顔立ちは典麗で、あまりの美しさに初めて彼を見たロッティは危うく気絶しそうになったほどだ。

 君主だからと威圧的な雰囲気はなく、全てを包み込むような慈愛に満ちている。だからこそロッティはこんな平凡でなんの取り柄もない自分が彼の婚約者でいいのだろうか、と最初は不安になった。

 片や小国の辺境田舎娘、片や大国の君主。到底釣り合うはずがないと一度婚約解消を持ちかけたこともある。すると、セリオットは瞳に水膜を張って泣き出しそうになった。

『竜族にとって番と出会うことは悲願だ。一生のうちに出会える確率などゼロに近い。ロッティがどうしてもというならその意思を尊重する。他の竜のように無理強いはしたくないから……』

 捨てられた子犬のように哀愁漂う姿は、まだ十五歳のロッティの庇護欲さえも存分にかき立てた。
 当時は竜族の番の習性について中途半端な知識を持っていたため、彼の決断がどれだけ重く、自分のためを想っての発言だったのかは後から知った。

 通常、竜族は番に執着する。もともと固体数が少なく番と出会える確率も低いので一生のうちに出会えたとなると雄はすぐにでも求愛するのだという。中には強引に連れ去ったり、逃げられないように閉じ込めたりととんでもない輩もいるらしい。

 しかし、セリオットはどこまでも紳士的だ。番だと分かっても連れ去ることはせず、家族とも過ごせるように成人するまで待ってくれている。

 不実な態度を取ってセリオットを悲しませたと分かったロッティは何度も謝った。自分の覚悟が足りないことにも気づき、番として相応しい人間になろうと決めてからは彼に教えを請い、スウェルデ国の文化や風習など必要な知識を教わった。


 そんな日々が続いたある日、セリオットが少し申し訳なさそうに、けれど真剣な面持ちで話を切り出した。

『明日から誕生日まで会いに来られなくなる。でも、ロッティが十八歳になったら必ず迎えにくる。それまで毎日あなたを想って手紙を出すから……だから誰のものにならないで』

 セリオットは悲痛を帯びた声で言うと、ロッティの両手を握り締める。
 ロッティも堪らず彼の手を握り返した。

『誰のものにもなりません。待っています。セリオット様が迎えに来てくださるのをずっと――』

 十八歳の誕生日まで会えなくなるのは寂しかった。
 しかし彼はスウェルデ国の君主。忙しい中今まで時間を作ってきてくれていただろうし、これ以上仕事に支障が出ては申し訳ない。ロッティは寂しさを心の奥へ押し込んで、笑顔でセリオットを送り出した。
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