氷の貴公子は愛しい彼女を甘く囲い込む
 広すぎるこの住居にも多少慣れて来た気がする。といっても、掃除が大変なので一部しか使っていないが。
 大体、メゾネットタイプだからと言って、リビングの中に階段があるとか、浴室が2つあるとかどういうことなのかと思う。
 使っていなくても掃除が必要な所は定期的に業者に清掃を依頼している。
 しかし、手に余る感はまだまだぬぐえない。
 
 海斗にそういうと『子供が出来たらちょうどいいんじゃないか?』と言い出し慌てた。

 いやいや、ちょうどよくする為にはいったい何人産めばいいんだと思ったのだが、
『じいさんもひ孫を楽しみにしているし、出産もヒルズ内に最高の設備が整った病院があるから安心だ』
 と逆に色々と追い込まれてしまった気がする。
 
 たまにふと我に返り、自分の置かれている状況に怖くなる時もあるけれど、こういうのにも慣れていくしかないのかなと思う。

(郷に入れば郷に従え……ていうもんね。通いやすいのは助かるし、何より……)

 確かに職場まで徒歩数分で、通勤が有り得ない程楽だし、休憩の度にこうして戻って来れるのも便利だ。
 
 綾はキッチンの冷蔵庫から朝作っておいたサンドイッチ取り出し、リビングの大きな窓辺の端に置かれたベンチタイプのソファに座る。綾がここで休憩する為のものだ。
 
 ここからは病院、ショッピングモール、オフィスビルが一望出来る。最近はこの風景が綾のお気に入りだ。
 レジデンスには広いルーフバルコニーもあるが、最近はここに座ってペンギンのぬいぐるみを隣にのんびりするのが日課となっている。この場所にいると大きなガラスキャビネットに飾られた祖父母の江戸切子のグラスも視界に入るから嬉しい。
 
「綾」
 
「あ、海斗さん、お帰りなさい」
 
 リビングの扉が開き、スーツのジャケットを脱ぎながら海斗が入って来る。今朝出勤したままのイケメンを保ったままだ。一緒に暮らして色んな彼を見て来たがどんな瞬間を切り取っても、彼の貴公子ぶりは崩れた事は無い気がする。
 
「コーヒー入れましょうか?」

「ありがとう。でも、会食の後出されたのを飲んできたから」

 腰を浮かしかけた綾を制して海斗は迷いなく彼女の横に座る。
 
 海斗は社長としてますます忙しい日々で、一緒に暮らしてるのに思ったよりふたりの時間が過ごせない。
 それが耐え難いという彼は、綾が昼休みは家に戻ると聞くと時間を縫って自分も家に戻って来る。
 会食が無く、時間が合うときは綾と一緒に昼食を取る時もある。
 
 城山が言うには綾と一緒に暮らすようになってからの海斗は、仕事の采配は相変わらず冷静適格迅速だが、以前のような他人に対しての冷たさが少しだけ軟化しているそうだ。

『社内も良い雰囲気になって、業績も順調だし早くもメリットを生んでいますよ』

 特に私の胃痛が随分楽になりました。これが最大のメリットです。と笑っていた。

 彼に冷たい面があると言うのが未だに信じられないのだが、自分がそんな影響を与えられているというのは大げさにしても、少しでも役にたっているのなら嬉しいと思う。
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