きみが空を泳ぐいつかのその日まで
下手くそな抱っこでもユキは大人しくしていた。本だって案外好きなのかもしれない。たぶん親父と似ている。

「なぁ理人。だいぶ前になるけど、あれはどうした?」
「あれって……あー、あれね」

中学に上がるか上がらないかくらいの頃だったと思う。親父から一冊の文庫本をもらった。たぶんそれのことを言いたいんだと思う。

でもそのあとすぐに再婚話が出て、イラついて捨てようとしたんだった。

そこは思いとどまったけど、代わりに授業をサボって昼寝をするときのアイマスクにしてたからすでにボロボロだしタイトルすら知らない。

「……持ってるよ」

読んでないし、読む予定もないけど。

「そうか」

呆れたのか、親父は小さく笑っただけだった。

書斎を出るとキッチンに戻って、なんとなく母さんに声をかけた。

「あのさぁ、母さんは親父のどこがすきなわけ?」

仕事ばかりで、家のことは何ひとつまともにできないし、やっぱり俺にはただの不甲斐ないおっさんにしかみえない。
しかも俺みたいなどうしようもないコブ付きだ。

「うーん。何してても呼べば必ず目を見て返事してくれるとこかな。仕事中でも、新聞読んでても、急いで出かける間際でも、どうした? って振り向いてくれるの」

母さんは椅子にゆっくり座って、穏やかな表情のまま頬杖をついた。

「なにその地味な答!」
「話とかちゃんと聞いてくれるし。優しいよ」

寝不足で疲れているはずの母さんの顔がぱっと華やぐ。この人は親父のことがほんとに好きなんだなと思う。

「そういうのが、一緒に生活していく上ですごく大事だと思うんだよね。簡単そうで、なかなかできることじゃないよ、家族の声にきちんと耳を傾けるなんて。それがすごくホッとするし、頼もしいの」
「頼もしいの? あれが」
「そうだよ、あれが」
「ふーん」

母さんは楽しそうだ。

「母さんて呑気だよな。母ちゃんにやきもち妬いたりしないの?」

何気なくそう聞いたら母さんは少し首をかしげてみせた。

「うーん、死んじゃった人にはどうやったって勝てないからさ。やきもちとか無意味かな、って思ってる」
「そんなもん?」

大人って、シンプルなのか複雑なのかよくわかんない。
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