きみが空を泳ぐいつかのその日まで
上体を起こしたら、自転車が止まった。
正門前の桜並木に差し掛かる前で、生徒はまださほど見当たらない。自転車を降りたら彼女は息を弾ませてうっすら汗をかいていた。

「ありがと」
「久住君、ここから歩ける?」
「うん、ここからはね。てことで明日もよろしく」
「えっ……」

冗談のつもりだったのに、露骨に嫌そうな顔をすんのがなんか面白い。

「神崎さんは、もっと体力つけたほうがいいって」
「……そう、かな」
「飯。弁当ちゃんと食べなきゃ」

昨日盗み食いしてそのまま隠すように持ち帰ってしまった彼女の弁当箱を、スクールバッグから取り出した。

「ごめんな。俺昨日余計なこと言ったかなって。あと弁当もったいないなと思って食いました」

他人に謝るときは敬語だ、敬語。

「え?」

黒目がちな目がまんまるになる。

「え。しか言わねーし」

やっぱこの子笑える。

「だからお詫びっていうか、とにかく中身入れてきた。神崎さんは今日弁当持ってきてんの?」
「うん……あるけど」
「じゃ、交換しよ」
「……なんで?」
「なんでって。んー、なんでだろ」

どうしたらこの人昼飯食うのかな、って思っただけなんだけど。

「お弁当、作れるの?」
「まぁね。うちはずっと父子家庭だったし、しかも父親がポンコツだから」
「でも今日のお弁当は……」

彼女が言葉を濁すのがまどろっこしい。

「交換するかしないか。どっち」

少しイライラして高圧的になってしまったか。見た目を地味にしても、短気は簡単には治らない。

「交換、します」

彼女はバッグから自分の弁当箱を取り出して、ちいさくお辞儀した。

「卵焼きうまかったなぁ、すげー甘いヤツ。今日も入ってる?」

そう言いながら弁当を差し出したら、俺の目をじっとみつめてきた。

「……なに?」

焦った。一瞬、泣き出したと思った。
でも実際は、大きく見開いた瞳から大粒の涙が音もたてずにポロポロと次々頬を伝っていくような、そういう幻を俺が勝手に見ただけだった。

「あのさぁ……えーと」

彼女は泣いていない。
それなのに、この気まずさはなんだろう。

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