きみが空を泳ぐいつかのその日まで
改札前を塞ぐように、そこに突っ立っていたのは千絵梨だった。

私に気づいて腕を組むと、その口許が何か言いたげにすこしだけひらいた。
それはケンカのあと、仲直りしたいときに見せる彼女のサインだった。

ずっといっしょにいたからわかる。
千絵梨はなかなか自分からは謝れなくて、いつも相手が歩み寄るのを待っている、そんな子だった。

あんなに会いたくなかったはずなのに、そんなずるささえも、懐かしくて恋しくて仕方がなくなった。

「どうしたの、こんなとこで。誰か待ってるの?」

覚悟を決めて、ゆっくりと自転車のスタンドを立てた。

「別に」

つまらなそうに腕組みをほどいた姉の髪色は前より明るくなっている。

胸まであるながい髪をゆるく巻いて、たぶんピアスの数も増えた。

やけに手慣れたメイク。意地悪な態度。
知らない香りが鼻腔を刺した。

いじめにあっている妹がいることが、恥ずかしかったことはわかってる。でもそれだけが私を疎ましく思うようになった理由?

そう思ったら、今彼女のイヤホンから流れている曲を知ることすらもう叶わない気がした。

「元気だった? お母さんは?」

そう言ったら、千絵梨は一歩前に出て私の鼻先にきた。

「あんたまだママが恋しいの? いい加減ガキじゃないんだから、あたしがいつでもあの人と一緒だと思わないで」

言葉とはうらはらに、声がかすれている。
お母さんとうまくいっていないことは薄々気づいていた。

「だったら返してよ。お母さん」

思いきって言ったつもりが、こっちの声のほうがよっぽどかすれてる。

「最初からいらないし。あんなの毒親じゃん」

なんでそんなことを、まるでガムを吐き捨てるように言うんだろう。

「ねぇ。一緒に帰ろう?」
「なんであんたなんかと」

この自転車の後ろに乗せたいと思っただけだよ。

「学校は、どう?」
「どうでもない、そのうち辞める、お金と時間の無駄」
「何でそんなこと言うの?」
「理由なんか別にない」
「そんなわけないよ。だって……」
「あたしには何もないの。だからこんなにしんどいんじゃん!」

千絵梨はずっと、手のひらを握りしめていた。彼女がその手のなかに握りつぶしてしまったものを、見せてほしいだけなのに。

「千絵梨の、何もないを教えて」
「訳わかんないこと言うな!」
「ねぇもしかして私のこと……待っててくれたんじゃないの?」

千絵梨はぜったいに誰かを待っていたはず。弱虫だからひとりではいられずに、隣にいてくれる人を探していたはず。
だってほんとはすごく寂しがり屋だから。

「あんたっていつもそう。必ず上からだよね。前からムカついてたけど全然変わってない。腹が立つ!」

ありったけの勇気を出した台詞だったのに、その言葉は千絵梨を本気で怒らせてしまった。

顔を真っ赤にして、敵意をむき出した。触れられたくない傷をまもる獣みたいに、私を追いはらおうと必死だった。

「違う……そんなつもりで言ったんじゃないよ」
「あんたと話すことなんていっこもない」
「知りたいだけなの。千絵梨が何に苛立ってるのか。倉持君のことだって」

もう彼を目で追ったりしないから。千絵梨の邪魔はしないから。

そう言いたいのに言葉がうまく出てこなくて浅い呼吸を繰り返しているうちに、千絵梨は唾を吐くようにこう言った。

「そんなもんとっくに終わってる」
「なんで? 昨日彼とここにいたよね?」

ふたりが肩を並べて歩くのを見たばかりなのに。

「あんたさ、どこまでめでたいの? 普通殴りかかるでしょあたしに」

とげとげしい口調とはうらはらに、千絵梨はつらそうな顔をしていた。

「そんなことしないよ」
「しなよ!」
「しない」
「そんなんだからいつまでたっても現実が見えないんだよ!」
「見えてるよちゃんと!」

言いながら、千絵梨の手首を掴んだ。

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