離婚するはずだったのに、ホテル王は剥き出しの愛妻欲で攻めたてる
虫のよい話
 街路樹もすっかり色づき秋の深まりを感じる夜。数年ぶりにその場所を訪れた私は、足を止めて一軒の古びた建物を見上げる。

 その懐かしさに、胸がぎゅっと締めつけられた。

 看板はなく、人の出入りがない二階建ての建物は窓や壁が雨風で汚れている。さらに年月を重ねてあちこちいたんでいるように見えた。

 しばらく建物を眺めていた私は、視線の先にいた人物の存在に気がつき声をかける。

「郁実。待たせてごめん」

 仕事終わりのスーツ姿で寒そうにポケットに手を突っ込みながら立っていたのは、郁実だ。

 以前カフェで郁実に会ってから、約一週間が経っていた。

 昨日突然郁実から電話があり、彼は私が電話に出るなり開口一番私の仕事が早く終わる日を訪ねてきた。

 この前の高城とのやり取りが脳裏を過った私は『ごめん。しばらく会えないや』と告げたのだけれど、郁実は改まった口ぶりで『頼む。大事な話があるんだ』と嘆願した。
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