あの夜の散歩以来、平野君とは一度、朝に家を出るタイミングで会った。

ゴミ袋の中にはコンビニ弁当の空き容器がほとんどを占めていて、自炊の形跡がない。


 目が合って挨拶はしたけど、朝の忙しい時間ということもあって長く立ち話はできないし、平野君もあたしを避けるようにさっさと階段を降りて、ゴミを捨てて部屋に戻ってしまう。


マダムもとい、施設の職員はあの怒鳴り込みの一件以来、一度も隣の部屋には来ていなかった。





 それから何週間も見ない日が続いて、平野君の存在は部屋から聞こえる微かな物音と彼の咳の音で確認するようになった。

 夜の9時過ぎ、アパートの廊下に平野君の咳が響く。

風邪が長引いているようで、ここ最近は夜の間中、咳の音がひどい。

眠れていないんじゃないか。お節介かもしれないけど、何週間もこの状態だとさすがに見過ごせない。



 玄関を出て「平野君」と呼びかけた瞬間、視界が暗く遮られた。


体全体に重たいものがのしかかって背中が反る。

ものだと思っていたのは平野君本人だった。

意識を失って、ヒューヒューと壊れた笛のような音を出しながら呼吸をしている。



「平野君!?」



 肩から落ちそうになる体を、両脇に手を入れて支えてぎょっとする。あまりにも軽い。

意識がないのに、平野君の体は女のあたしが支えて歩けるほど軽かった。

……なんだこれ、どういうことだよ。大人の男の体重じゃねえぞ。