ブアメードの血

60

 八塚克弥は憤慨していた。

決死の思いで、警視庁に着いたものの、連れてきた女子大生の江角と阪水は一般人だからと入庁を拒否されたのだ。


「殺人現場の重要参考人ですよ!」

八塚が食い下がったのは、矢佐間殺害時に現場を任された増屋警部補だ。


 本来であれば、まだ、現場に残って調査しているはずだった。

だが、余りの事件の多さに加え、警視庁での”暴動”もあって、捜査員全員に、一旦、帰庁するように通達が出されていた。


 「もう個別の案件に構っていられない状況だ。

取りあえず、連絡先を聞いたら、引き取ってもらえ」

「引き取るって、それこそ、こんな状況で無理なことはおわかりじゃないですか」

「かといって、警視庁内でも、いつ、また、誰が発症するともしれん。

さきほどから、単発的にではあるが、発症者が出ているところだ。

次元が違う、変わったんだ。わかるだろ」


増屋のいうことも、尤もだ。だが…

「わかりました…」

八塚が引き下がると、増屋はすぐに捜査一課の部署に戻った。

その様子を気にするように伺った八塚は、疲れ切って待つ二人の元に向う。


 「も~う、まじ最低、二度とあんなことしたくない…」

「そりゃ、私だってしたくなかったけど、仕方ないじゃない。

こうして無事でいられたんだから、そこは素直に喜ぼうよ」

江角と坂水は警視庁に入る直前の話をしていた。


 警視庁の入口にたむろしていた発症者達を躱すべく、三人は最後にゾンビの真似をして入った。

それは功を奏したものの、恥ずかしい思いのやり場のなさを江角は坂水にぶつけているのだ。


 「お待たせして、すまない…

あの…ちょっと、二人とも、着いて来て」


八塚は二人の会話を意に介さず、周りの目を気にするように廊下を進んで取調室に入ると、ドアを閉めた。


「正直に言う。

本当はここに君たちを留めておくことができない。

ぶっちゃけ、警視庁が機能してなくて、取り調べどころじゃないんだ。

ただ、その分、混乱していて、誰がどこにいても、構っている余裕はない。

だから、君たちにはこれからどうするか、選択してもらおうと思う」

「選択?どういうことですか?」

江角が不機嫌そうに訊いた。

「簡単に言えば、このままここに留まるか、うちに帰るか、だ」

「うちに帰る?そりゃあ、一刻も早く帰りたいですけど、一体どうやって?」

江角は両の掌をオーバーに上に向けて見せた。

「俺はもう、ここに残らなきゃならない。

悪いが、ゾンビのふりをしてでも、自分で歩いて帰るしかないな」

「そんなの無理なのは、刑事さんも知ってるでしょう!」

江角は益々、機嫌を悪くする。

「――わかりました。こことに留まります」

そう言ったのは、坂水だった。

「美加佐~」

江角は坂水に対して、不貞腐れる。

「私だって、家に帰りたいけど、あの中をまた歩いて進むなんて、もう無理じゃん。

私はここにいるわ」

「すまん。俺も君たちを帰らせてやりたいのは山々なんだが、どうしようもない。

ここまでが精いっぱいだ」

「そりゃあ、刑事さんが一生懸命やってくれたのは理解してますよ…

じゃあ、私も残ります…」

江角もしぶしぶ、承諾した。

「ありがとう。

だったら、取りあえず、二人ともここで待機していてくれ。

たぶん、誰も入ってこないはずだ。

万が一、入って来ても、取り調べ中に刑事がどこかに行ったとでも言えば、この混乱だ。

怪しまれることはないだろう。

俺の名前を出してくれても構わない。

あ、増屋って刑事がここにいろと言った、とでも言った方が、よりリアルかな」

そう説明して、八塚は苦笑いした。

「あと、これは全部、置いて行くよ」

八塚は、買っておいた飲料数本を、スーツから次々取り出すと机の上に乱雑に置いた。

「トイレはここを出て、左だ。それじゃあ」

「あ、ちょっと、待ってください」

阪水が八塚を呼び止めた。

「なんだい?」

「あの…リネ、交換してもらっていいですか?

何かあった時に連絡とれないし…」

「ああ、そうだね。それじゃあ」

二人は互いに端末を操作して振り合った。

それはリネ以外の繋がりとなる行為になったのかもしれない。


 取調室を出た八塚は、特別捜査本部が置かれている大会議室に入った。

皆、忙しく動いている中、机上に乱雑に置いてある捜査資料やパソコンのモニター画面に目を通す。


 八塚が逃げている間に、事態は急速に展開していた。

想像以上に悪い方に。

 ◇

 佐藤邸では野次馬や捜査員が発症し、佐藤父娘が行方不明。

その他の現場でも、発症者へ対応した捜査員まで発症するケースが続出し、収集が付かず。

電話回線は一時間ほど前からパンク状態で、優先されている緊急通報までも全く通じない。

警察無線のみが唯一の通信手段。

それまでに受けることのできた通報も、この事件に関することだけで数千件。

重大だと認知される殺人事件でさえ、数百件を超え、全く手に負えない。

その他、ほとんどの主要道路で大渋滞が発生し、車での移動は一切不可。

火災が百件を越えて発生しているが、その渋滞のため、緊急車両も現場に向えない。

田羽と田成便だけで、旅客機の墜落や消息不明が計四件。

全国の原子力発電所は大事を取って、緊急停止したとのこと。

国はこのパニックを鎮めるため、憲政史上初の戒厳令を発令、既に自衛隊だけでなく、在日米軍も出動しているという。

公にはしていないが、発症者への発砲まで許可まで出している。

しかし、自衛隊員や米軍兵にも発症者が続出、いずれも機能不全に陥っていた。

幹部クラスほど、情報を把握し易く、動画を視聴するため、発症率が高くなっているのだ。

インターネットを通して、瞬く間に発症者が世界中に出現し始め、朝を迎えるアメリカ大陸でも急速に動画が広がっていた。

 ◇

 「こんな馬鹿な…たった数時間で、そんな…

これはもうどうしようもない…」

八塚はその場にへたり込んだ。


「いちまるきゅうより本部へ、いちまるきゅうより本部へ――」

まだ生きている無線から声が聞こえてきた。

「――岡嵜母娘を確保し、輸送中だったヘリ、スズ412、墜落について、現在、自衛隊に確認要請――」

<墜落、だと?>


 「何をしているんだ?」

八塚が無線に気を取られている内に、背後から声をかけてきたのは、片本警視だ。

「お前、志田から休養をとるよう言われなかったか?

いや、こんな事態だ。休んでいる暇なんてないのは、わかるんだがね」

片本は笑みを浮かべ、八塚の腕を、パン、と叩く。

「すみません。警視庁に戻る途中にいろいろありまして。

それより、岡嵜母娘確保というのは、本当でしょうか」

八塚の言葉に片本は表情を引き締めた。

「ああ、まず、間違いない。

まあ、どういう訳か、公安に先起こされたようだがね。

官房長がお怒りだよ。桐谷長官に手柄を横取りされたってね」

「しかし、そのヘリも墜落したとか…

それが事実なら被疑者死亡という結末に…」

「ああ、それも確認中だが、事実だろう。

うちも無線を傍受していたが、ヘリに繋がる気配が全くない。

ただ、犯人は死亡したと言っても、件のウィルスは残って猛威を振るっている。

このままじゃ、ことが収まっても日本はただじゃ済まんよ。

今回の事態は、警視庁のトップだけの責任じゃすまない。

政治、経済、あらゆる面で、日本は国際社会からけじめを取らされるだろうな」

「何か、事態を収拾する方法はないんですかね?」

「そうだな。私見だが、ひとつ、誰も責任を取らずに済む方法があるかもしれん」

「え?」

「このまま、世界が最悪の方向に向えば、だよ。

岡嵜の望むとおり、このまま事態が最悪の方に向かい続け、人類が滅亡してしまえば、な」

片本がまた笑みを浮かべた。

「何を…」

「いや、別に私はそれを望んでいる訳では、もちろんないよ。

だが、あまりにも急激に悪い方向へ進んでいて、打開策は何も…いや、ひとつふたつあったかな」

「え!?それは一体…」

「先ほど、科捜研の成瀬捜査官が、帝都大の佐藤教授を重要参考人として連れて来たところだった」

「え?成瀬が?」

「知り合いか?」

「ええ、まあ…それより、佐藤教授をお連れしたということは、岡嵜が犯人だと見抜いたから、でしょうか?

でも、今はそれどころでは…」

「いや、それもあるんだが、今回の事件のウィルス、岡嵜がオメガと呼んでいたものに、教授が発見したもが非常に似ているらしくてね。

ウィルスの特性や抗体の有無などについて、これから聞き取りする予定だ」

「それは、科捜研で?」

「ああ、そうだが…行くのか?」

「行かせてください」

「お前が行っても何も…まあ、いいか。

お前は休憩中って建前だ、好きにしろ。

ただ、わかっているだろうが、邪魔だけはするな」

「ありがとうございます!」


八塚はすぐに科学捜査研究所のある八階に向かった。


 上がるとすぐに、部屋から出てくる女がいた。

成瀬だった。


「お前…無事だったか、良かった」

「ちょっと、もう付き合っていないんだから、いきなり、お前っていうのやめてくれる?」

「すまん、心配してたんだ」

「別に…それより、たった今、重要人物を連れて帰ることができたわ」

「佐藤教授だろ?」

「ああ、知ってたの」

「で、聞き取りするんじゃなかったのか?」

「それが感染研の連中がやって来て、私はたった今、締め出されたところよ。

後から、結果のみ、ご丁寧に知らせていただけるって。

ったく、連れて来たのは私なのに、いい加減にしてほしいわ」

成瀬は嫌味っぽく愚痴ると、口を尖らせた。


「それで、佐藤教授の娘と、池田って探偵がいたろ?」

「ああ、それともう一人、中津っていう探偵事務所の女性がいたわ」

「で、その三人はどこに?池田にも会いたいんだが」

「あの、ちょっと」


成瀬は周りを気にして、廊下の端によると、八塚に顔を近付けた。

「ここだけの話、彼らは志田さんと落谷さんと一緒に、岡嵜邸に向かった」

「岡嵜邸に!?」

「しっ!もう、だから、声が大きい。

いい?静かに聞いて。

岡嵜邸の場所はどうやら先に公安が掴んだらしいのよ」

「ああ、それはついさっき、警視から聞いた。

ただ、岡嵜母娘は確保したものの、その二人を乗せたヘリが墜落したらしい」

「え!?それ、本当!?」

「おま…じゃなくて、成瀬さんも声が大きいよ」

「うるさいわね。

でもそれじゃあ、彼らが行っても、空振りってことかしら」

「まあ、その部分はあるだろうが、成瀬さんも例の動画で知っているだろう、佐藤家の長男が監禁されていたのを」

「ええ、知っているけど…まさか、まだ生きているとでも?

生きていたとしても、それは…」

成瀬はその先の言葉を躊躇った。


「やっぱ、そう思うよな、普通。

だが、池田の依頼内容はそのお兄さんの捜索。

あいつのことだ。

なんとかかんとか、それらしいことを言って、強引に志田さんたちに着いて行ったんだろう」

「ええ、そうね。私は彼のそういうところが苦手だったというか…

ほんと、瑠奈に紹介するんじゃなかった。

まあ、でも、弟にならなくて良かったけど」

「バカ正直だな、おま…成瀬さんは。

俺は義兄弟になれるかと、楽しみにしていた時期もあったぜ?」

「また…あなたも、バカなこと言わないで。

それから、もう、その…

お前、でいいわよ」

「うん?いいのか?」

「二人きりの時ならね。

もう、ないと思うけど」

成瀬は八塚の胸に、軽くパンチをお見舞いした。


付き合っていた頃に、照れ隠しに良くやっていた仕草。

八塚がその手首を握ると、成瀬は閉じた拳を開き、そのまま八塚の胸に当てた。


「そう言えば、ネクタイどうしたの?」

「ああ、手を噛まれた娘の止血に使ってしまった。

気に入ってたんだが…そういやあれ、お前がくれたやつだったか」

八塚が胸の成瀬の手に手を重ねる。

「気に入ってくれてたんだ」


成瀬、そして八塚も、耐えられぬほどの不安の中、互いの仄かな温もりを感じ合った。
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