あまいお菓子にコルセットはいかが?
2.公爵家の舞踏会
 シルフォン家のタウン・ハウスの敷地に一台の馬車が入っていく。車中では金髪に菫色の瞳の麗しい青年へと成長したアンリが、窓の外を眺めていた。

 もうすぐ、一年ぶりに姉のコレットとの再会を果たす。それを思うと、嬉しくて思わず口元に笑みを浮かべた。

 軍に入り寄宿舎生活になってから、アンリは姉のコレットと幾度も交わした手紙の内容を思い出す。
 そこには、毎回姉がどれだけ痩せてドレスのサイズが変わったのかが書かれていた。何度も書くので余程嬉しいのだろうと、読むたびにまるで自分のことのように喜んでいたのだった。

「姉さんに会えるのが楽しみだ。果たしてどれだけ痩せられたのやら」

 それでもきっと、自分のほうが何倍も変わっただろうと、アンリは内心確信していた。最近ではしなやかな筋肉を追い求めて特別メニューまで取り入れた。おかげで腹筋が六つに割れ、肩から腕にかけて厚みもでたのだ。

「まぁ、軍の筋肉野郎は大胸筋が動くほど鍛えている奴もいるから、僕の変化くらい可愛いもんだけどね」

 上には上がいる。婚約破棄されて家を出て軍に入隊したことで、アンリは今まで知りえなかった世界を知ることができた。当時は傷心で辛い日々だったが、今ではこの生活を非常に気に入っている。

 邸の前に停車した馬車から降り、出迎えてくれた家人、メイドに挨拶をしていると、エントランスには、見知らぬ女性が笑みを浮かべて立っていた。

(金髪に菫色の瞳。なら親戚の誰かだろうか? この年齢の女性は――いたかな?)

 不思議に思いながらも、アンリは目の前の女性に挨拶をした。

「初めまして。失礼ですが、お名前を伺っても?」

「――え、ええ。初めまして……」

 声をかけられた方も、笑みを浮かべてはいたが、アンリの事が誰か分からないといった風であった。

「――アンリ?」

「……ねえさん?」

 感動の再会は、けれど長い沈黙と困惑で微妙に重たい空気が充満した。
 互いが互いを認識したというのに、二人は目の前の相手が自分の姉弟であることを受け入れられなかったのだ。

「コレット様、アンリ様。まずは屋敷の中へお入りください。お話はサロンでお茶でもしながら。舞踏会まで時間はありますから」

 シルフォン家に長年仕えた執事もまた、アンリの変貌に言葉を失っていたが、この場でいち早く意識を取り戻し二人をサロンへと案内した。

 言われるがまま、サロンでお茶をして会話したが、やはり姉弟はお互いに変化を受け入れられずにいた。始終よそよそしく会話をしたあとは、二人とも準備のために一旦それぞれの自室へと戻る。

 夜、コレットとアンリは真新しい正装に身を包み、エントランスで再び顔を合わせた。これから舞踏会に出かけるのだが、二人とも相手の変身ぶりに再び言葉を失ったのだった。

「こんなに美しい男性が、自分の弟だなんて信じられないわ」

「僕だって、こんなに美しい女性が姉だなんて、まだ受け入れられない」

 言葉だけ聞けば禁断の愛に発展しそうだが、二人の顔はまるで未知の生物(クリーチャー)にでも遭遇したかのように(しか)められている。

「――このままだと遅刻してしまう。とりあえず出発しようか、姉さん」

 アンリに差し出された腕に掴まり、コレットは馬車へと乗り込んだ。
 馬車の中で互いに向かい合うように座り、その顔を眺め続ければ、やっとその変化に慣れを感じはじめたのだった。

「そういえば、アンリに良くしてくださった上官のお家が主催する舞踏会なのよね。その上官の話を聞かせてちょうだい」

 アンリの変化に戸惑っている場合ではない。コレットは姉として同伴するために必要な話を聞くことにした。
 弟のアンリがこれほどの変身をして、かつ日常的にお世話になっているなら、ちゃんとお礼を伝えねばならない。
 コレットは気合を入れなおすと、道中ずっとアンリから話を聞いたのだった。

 話によると、フランシスは入隊直後、周囲から遠巻きに距離を置かれ、組手の相手が得られないアンリにいつも声をかけてくれたそうだ。鍛錬の内容によってはフランシスにとって、全く役に立たないものもあったのだが、笑って付き合ってくれたのだという。

「上官は部下を鍛えるのも仕事のうちだからといって、指導までしてくれたんだ。本当に感謝しているし尊敬している」

 フランシスの鍛錬にならないことが申し訳なくて、アンリが辞退を申し出れば、早く鍛えて相手になるように成長するのが真摯な姿勢というものだと言ってくれた。

「上官に認めてほしくて頑張れたと思っている。僕はとても人に恵まれたよ」

 アンリが成長すれば周囲の態度も軟化し評価も様変わりしてった。そのことを話すアンリの表情と声に、大変さと嬉しさが入り混じり、聞いているコレットの胸を熱くする。

「素晴らしい上官ね。私も早く感謝を伝えたいわ」

 アンリが婚約破棄を突き付けられたあの日、コレットは庭の物陰で一部始終を聞いているだけで、間に入ることもなく傍観した。その後のやりとりも何もできずアンリの看病していただけである。

(ちっとも役に立たない姉でアンリに申し訳ないわね。その分、今日はフランシス様に感謝を伝えましょう)

 きっと優しいかたに違いないから、早くお会いしたいと待ち遠しくなる。

「そういえば、ジルベールさんにはもう会ったの?」

 アンリは、自分の話ばかりではなくコレットの話も聞きたいと思った。将来の義理兄は実弟ですら受け入れられなかったコレットの変貌を、どう受けっとったのだろうかと興味がわいたのだ。

「まだお会いできていないの。私も楽しみで仕方ないのよ!」

「そうだね。感動して勢いでプロポーズでもされるんじゃないかな」

「もう! 姉をからかうなんて、アンリったら」

 美しい婚約者を取られたくなければ、さっさと結婚するに限る。そう思わせるほどの威力は十分にありそうなので、アンリは割と本気でプロポーズの可能性があると思っていた。

「今年は結婚が増えると思うよ。第一王女のアガット殿下が隣国の王子と婚約成立して結婚の日取りまで決まったそうだから。さらに十五歳になった第二王女殿下がアマンド国の留学から戻られて婚約者選定に入る話も出ている。ロイヤルウェディングにあやかって、入籍する人がちらほら出ているって噂だよ」

「まぁ! おめでたい話ね。シーズン中はきっとその話題でもちきりね」

 会場に向かうあいだ、姉弟の会話は始終途切れることなく盛り上がった。おかげで再会当初の戸惑いは消え、仲の良いシルフォン家姉弟の姿を取り戻したのだった。

 ◇◆◇◆

 会場につき、主催のジェラト公爵夫妻に挨拶を済ませる。そのとき子息のフランシスは到着が遅れていると聞かされた。

 二人はフランシスを待つあいだ、フロアの一角に設置されたビュッフェ形式の軽食とデザートのテーブルの前で、思わず立ち止まる。

「――おいしそうね」
「――そうだね、姉さん」

 思わずゴクリと喉が鳴った。
 アンリは、軍の生活でお菓子(ドルチェ)やデザートといった嗜好品とは縁遠い食生活を送っていた。
 コレットは、ミアの食生活に合わせミアの厳しい食事管理下にあったためバターと砂糖に縁遠い食生活を送っていた。

 つまり、久方ぶりの甘い誘惑に遭遇し、二人は思わず目を奪われたのだった。

「私ね、食事は一日に三回が普通だって知って、驚いたのよ」
「僕も、軍の食事提供が一日三回だったから、絶望したんだ」

 巨漢を維持するにはそれなりの根拠があるものだ。周囲がかわるがわる食べ物を与えるせいで、二人は一日の食事が、最低五食で他におやつの時間が三回あるのだと本気で思い込んでいたのだった。

「ビュッフェのケーキは、小さくて――いいわよね」
「マカロンも一つだけなら少量だし。クリームブリュレも小さ目のココットで――いいよね」

 二人の目はテーブルの上のデザートにくぎ付けで、その口からは、それらを褒め称える言葉が絶えず紡がれる。
 もうどのデザートも小ぶりなら、一つくらい食べても大丈夫だろうと、二人は自分を正当化しはじめる。
 むしろ相手が食べようと誘ってくれたなら、仕方ないという体で便乗する気満々なのだ。

「やあ、アンリ。遅くなってしまって、すまなかったね」

 そこへ今しがた到着したフランシスが、アンリを見つけて声をかける。
 二人は無事デザートの誘惑から逃れることに成功したのだった。
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