あまいお菓子にコルセットはいかが?
3.傷心に、あまいお菓子
 公爵家の舞踏会からタウン・ハウスへと戻ったコレットは、アンリに心配をかけまいと気丈な振舞いを心掛けていた。

「僕は姉さんのことが心配だ。しばらくは邸から通うことにしたよ。上官にも許可をもらえたんだ」

「ダメよ。そんなこといけないわ! 私は大丈夫だから。ね」

 姉としては、一年かけて前向きに人生を歩みはじめた(アンリ)の足枷になどなりたくないので、その提案を全力で断った。が、他にもやることがあるからと言って、アンリは数日ほど邸に滞在したのだった。

 ジルベールとの婚約解消は、翌々日には成立する。まるで七年の歳月など未練はないとばかりに、あっさりとしたものだった。
 コレットにとっては二重のショックであったが、それでも済んでしまったものは仕方ないと、自分にも周囲にも言い聞かせ暗い雰囲気を何とかしようと笑顔を振りまいた。特にアンリを早く寄宿舎に戻さねばと、この時のコレットは半ば意地になっていたともいえた。

「お願いだから、アンリは、自分の生活を大切にしてね」

 アンリに大丈夫だからと何度も伝え、彼が軍の寄宿舎へ戻るのを笑顔で見送る。手を振り続け、馬車が見えなくなったその瞬間、頭の中で緊張の糸がプツリと切れる音がしたのだった。

 コレットの心は満を持して暗闇面(ダークサイド)へと沈む。一日五回の食事と、三回のおやつを全て自室に運ぶようメイドに指示を出し、完全に引きこもり生活を始めたのであった。




 今日もコレットは、シュミーズドレスにガウンを羽織った軽装で、お菓子(ドルチェ)に手を伸ばしながら長椅子でだらけていた。

 テーブルには先ほど運んでもらった、アフタヌーンティーにホットココア。ポットには紅茶を蒸らしてある。
 正直に言って、味などどうでもよかった。迫りくるストレスを甘味で紛らわし、食欲を満たすことで一時的にでも苦痛から解放されたいだけなのだ。

 彼女はいま、その身に起きた出来事すべてにたいして、後悔と自責の念に駆られていた。

 まず、ジルベールと挨拶した後からタウン・ハウスに戻るまでの記憶が曖昧なのだ。失言をしてしまったのではないかと、気が気でない。
 弟の上官の舞踏会で醜態を晒したのも恥ずかしかった。
 そもそも、一年前に弟の婚約破棄を目の当たりにして一念発起したのに、一年後にまさかの同じ轍を踏んだのだ。実に間抜けである。
 そして、コレットの婚約解消に引っ張られてアンリの婚約破棄が再び噂に上がってしまい、申し訳なくて穴があったら入って埋まってしまいたい気分だった。

『シルフォン家の子息令嬢は、お二人とも婚約が無くなったそうよ。その理由が――』

 という具合で、そこら中に出回っているに違いないのだ。何せ相手は両方侯爵家。自分たちに都合の良い噂を振りまいているだろうから。

(……つらいわね。本当にしんどいわ。しかもジル様、私の失態をネタにフルール様と笑っていたのね――ぐふぅ)

 ハイヒールの踵が折れたとき、周囲にジルベールしか居なかったのを内心喜んでいたというのに、今では不特定多数に知られているのかと思うと、死んでも死にきれないと思わずにはいられなかった。

「――うわぁぁぁぁぁ」

 衝動に駆られ、手元のクッションをボカスカと叩く。中の羽毛がフワフワとあたりに舞い上がり、そしてテーブルの上の食べかけのザッハトルテや未だ手を付けていないアフタヌーンティーの上に舞い降りていった。

「うわぁぁぁん」

 先ほどとは別の意味でコレットは悲鳴をあげた。
 ザッハトルテについてしまった羽毛を取りながら、指についたチョコレートをしゃぶる。

(しかもハイヒール以外の話までしたなんて! どれ? どれの事なの!)

 七年という時間は残酷である。意図せずうっかり起きてしまう事件事故にミスなどは多数あった。覚えている限りどの場面もジルベールしか居なくて、本当に良かったと胸を撫でおろした記憶がある。つまり黒歴史。

(ダメだ。死にたい。いいえ、死んだらもっとダメなのだけど!)

 頭の中で、黒歴史のシーンが次々と駆け巡る。切り替わるたびに当時の羞恥心が迫り上がってくる。

「――うわぁぁぁぁぁ」

 衝動に駆られ、手元のクッションをボカスカと叩く。中の羽毛がフワフワとあたりに舞い上がり、再びテーブルの上に舞い降りていった。

「うわぁぁぁん」

 へこんでは悩み、記憶に翻弄されては叫んで暴れる。コレットの一日は、ほぼこの繰り返しである。
 その合間に供給された食事とおやつを口にして幾ばくかの安寧を得る。日がな一日ゴロゴロするばかりであった。

 アンリには到底見せられない自堕落生活だが、邸の勤め人はみんな優しいので、全て見ない振りをしてくれているのがありがたかった。


 ―― コンコンコン

「お嬢様、ミアでございます。領地のカントリー・ハウスより移動となりました。今日付けでこちらに仕えますので、またよろしくお願いいたします」

(え! ミアが来たの? どどど、どうして? 何で?)

 ミアはカントリー・ハウスでコレットのダイエットを峻厳に管理した優秀な侍女である。
 彼女は主人に対し物怖じせず厳しい発言を遠慮なくする。そのおかげで自分に甘々なコレットでも、ダイエットの目標達成に漕ぎつけることができたのだ。
 ゆえにコレットにとって今は会いたくない人物上位にランクインしていた。できればこのまま今日も明日も優しくされたいし、甘やかされたいのである。

 しかし甘やかし担当の筆頭である執事が、部屋に籠りきりのコレットを心配した結果、領地で仲良くしていた侍女なら話し相手になるだろうと気を効かせて呼び寄せてしまったのであった。

(どうしましょう。ミアが来たなら斧でドアを破るくらいしかねないわ)

 ミアの登場に思わず慌てたコレットであったが、すぐに無気力に長椅子に寝そべった。
 見渡す部屋は散らかり放題であり、床にはお菓子の食べかすに、食べこぼしのシミが絨毯にいくつもついている。羽毛がそこら中にちらばっていて、とてもではないがミアを入れるのは躊躇われたのだ。
 そのまま目を閉じ聞こえないふりをする。

 部屋の外から人の気配が消え、コレットは安堵する。気分を変えようとサイドテーブルに置いてある本を手に取る――が、ものの数分もしない内に脳内は悩み事に占拠され、再び悶絶するのであった。



 ――ガンガンガン

「ドレスを持ってきたわよ! ランジェリーも! いい加減に出てきなさい。あなたの家の勤め人が全員困っているじゃない」

(っ! か、カロリーヌだわ。ミアが呼んだのね)

 流石にカロリーヌは無視できないので、ベッドのリネンを剥ぎ取り身にまとって体を隠し、コレットは少しだけドアを開けて対応した。

「ご機嫌いかがかしら、コレット?」
 そう言いながら、カロリーヌは片足を扉に滑り込ませる。

「……カロリーヌ。私は具合が悪くて死にそうだわ」

 次の瞬間、ドアは開け放たれリネンを強く引っ張られる。あわてて死守しようとしたコレットだが、カロリーヌは攻めの手を緩めない。

「ちょっと、何よこの汚さ! なにしているのよ!」

 彼女の叫び声と共に、息をひそめ待機していたメイドが一斉に部屋へと入ってくる。
 リネンにくるまったコレットはミアに抱きかかえられて、部屋の外へと連れ出されてしまった。

「ミア、申し訳ないけど別の部屋を借りられるかしら?」

「かしこまりました。むしろありがとうございます。カロリーヌ様」

 二人の連携タッグにより、コレットの引き籠り生活は終止符が打たれたのだった。
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