アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
契約結婚編

一年半前

「失礼します。ラナンキュラス少将」

 テント式の簡易執務室にいたオルキデア・アシャ・ラナンキュラスは、部下の声で書類から顔を上げた。

「どうした?」

 ダークブラウンの長めの前髪と、肩近くまで伸びた髪を鬱陶し気に払ったオルキデアは、室内に入ってきた部下を見つめる。

「はっ! 軍事施設側を捜索していた部隊から報告がきました。やはり、我が軍の捕虜はいないようです」
「やはり、こちらの襲撃を予測して移送されたか」

 内から悔しさがこみあげくる。
 整った顔立ちの眉間には幾つもの皺が寄った。
 自然と手にも力を込めてしまい、書類がくしゃと小さな音を立てる。

「捜索部隊からの報告では、生存者も皆無との事でした……。見つかるのは、シュタルクヘルト軍の死体ばかりだと」
「そうか……」

 王政国家であるペルフェクト王国は、長きにわたり、民主国家のシュタルクヘルト共和国と戦争を続けている。
 勝率は五分五分。油断は出来ない状況であった。

 近年では、シュタルクヘルトや、両国の中立を謳うハルモニア国を始めとする周辺諸国への亡命が後を経たず、それを取り締まる軍部の負担が増えるばかりであった。

「軍事施設側はわかった。軍事医療施設側はどうだ?」
「それが、まだ報告がきておりません」

 オルキデアは傍らの時計を見る。捜索部隊を派遣してから、三時間は経過しようとしていた。

「何かあったのかもしれん。よし、俺も行こう」
「いけません! 少将の身に何かありましたら、私が困ります!」
「心配するな。自分の身くらい、自分で守れるさ」

 オルキデアは立ち上がると、腰に下げた銃の残弾数を確認する。
 異常がないのを確かめて、銃を元に戻すと、部下を置いて颯爽とテントから出たのだった。
 夕方が近づいている中、軍事医療施設に向かって歩き出したオルキデアの背中を、テントから転ぶように出てきた部下が追いかけてきたのだった。

「お、お待ち下さい! ラナンキュラス少将!」

 そんな部下に構うことなく、足を緩めることは無かった。

(臭うな)

 風に乗って、建物と人の焦げた臭いが、オルキデアの鼻をつく。
 離れたところに建っている軍事施設と、併設している軍事医療施設ーーの跡。
 崩れた建物からは、灰色の細い煙がいくつも立ち昇っていた。
 ペルフェクト軍が破壊したシュタルクヘルト軍の軍事施設と軍事医療施設に、オルキデアは足早に向かったのだった。

 二日前にペルフェクト軍はシュタルクヘルト軍の軍事施設を破壊した。
 そこには、シュタルクヘルト軍に囚われた自軍の兵であるペルフェクト軍の捕虜たちが収容されていると、諜報部隊より報告が入っていた。
 捕虜の中には、下士官だけではなく士官や高官もいるとも。

 そこで、軍はオルキデアを始めとする諸将に、軍事施設と併設する軍事医療施設を破壊して、捕虜を解放するように命じた。
 軍事施設に併設する軍事医療施設では、虜囚となった兵を利用した人体実験が行われているという噂があった。
 一刻も早く、彼らを解放しなくてはならなかった。

 そうして、二日前の夜半、ペルフェクト軍は一斉攻撃を仕掛けたのだった。

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