惡ガキノ蕾
     ~ 惡ガキノ蕾 ~
 火事ト喧嘩ハ江戸ノ華篇 薫墨意月
 
    ~はなみ小学二年生~
 学校から帰って玄関のドアノブを引く。いの一番に目に入ったのはテレビの前に座る兄の背中だった。帰り道、同じクラスの凜ちゃんと遊んでいて遅くなったあたしは、その日、兄妹三人の中で一番最後に靴を揃える事になったのだった。「ただいま…」ランドセルを置きながらチラ見した一樹のほっぺたに出来立てピカピカの擦り傷を見付ける。赤くなっている目は一瞬ウルウルしているようにも見えたけど、テレビから聞こえてくるのは『ぷるるん!かわい娘ちゃんの術!』なんてお気楽なセリフ。こりゃどうもテレビの内容に感動して泣いてる訳じゃなさそうだ、と当たりを付けたあたしが思い切って口を開く。「一樹、どうかしたの?」どうかしたの?の、"か"の辺りで、真っ赤に充血した目玉がギロリと効果音付きで動く。視線が合った瞬間にピーンと来て、自分の発言が失言だった事に気付くあたし。……しくじった。声を掛けない事が正解のパターンだったのだ。あたしに向かって飛んで来る「うるせっ!」の金切り声とテレビのリモコン。そのリモコンが頭に当たるのと同時に、当たり処が良かったのか悪かったのか、テレビの電源が切れた。唐突に暗転する画面。自分がリモコンを投げた事実は一切省みず《かえりみず》、たまゝピンポイントでスイッチに頭をぶつける神憑り的なあたしのコメディの才能に更に苛立った一樹が、あたしの後ろに回って止《とど》めのローキック。崩れ落ちながら、あたしは大きく息を吸い込んだのだった。「ウッ・・・わあぁぁあ〰️〰️〰️あぁぁぅぅうあ〰️〰️〰️ん!!」…泣く。思い切りでかい声で泣き喚く。──二分。一頻り《ひとしきり》泣き散らかしながら、リモコンを拾い上げテレビの前に座り直した一樹から、もうこれ以上更なる攻撃が加えられる恐れがない事を薄目を開けて確認。そのまま左右に視線を走らせると、子供部屋へと続く襖が僅かに開いていて、隙間から此方《こっち》の様子を片目で覗いている姉の双葉と目が合った。その右目が隠れた後、四センチ程の隙間から替わりに覗いた唇を読唇術で読む。「ハ・ナ・ミ・コ・ッ・チ・オ・イ・デ・ハ・ナ・ミ・コ・ッ・チ・オ・イ・デ」…‥リ・ョ・ウ・カ・イ。慌てず、ゆっくり、そして油断する事無く、重ねてボリュームを絞った嘘泣きをしぶとく続けながら、ちょっとずつゝその場からフェードアウトしていく。ギリッギリの幅だけ襖を開き素早く躰を滑り込ませると、あたしは無事、安住の地へと辿り着いた。すると、襖をしっかりと閉めた双葉が、まるで探偵が事件の謎解きを披露する時の様な得意気な態度で語り始めたのだった。
 ──それは…小学校からの帰り道、公園で野球をしている一樹と友達数人のグループを見掛けて、双葉が声を掛けようとした時の事だったそうだ。そこへ後からやって来た六年生の四人組が一樹逹四年生に向かって、此処で自分達がサッカーをするのにお前逹は邪魔だから他処《よそ》へ行け、と怒鳴り付けたらしい。だからといって、そこはすんなりと出ていく珠《たま》じゃない一樹、早く行こうよと腕を引く友達の手を振り払って、六年生に向かって行ったんだって。躰の大きさも違う相手、まして四対一じゃ幾ら一樹とはいえ敵う理由《わけ》も無く、当然と言えば当然の成り行きで、自分がサッカーボールの代わりになって遊ばれちゃった‥‥ってのが双葉が話す事の顛末《てんまつ》だった。
「あいつら四人掛かりでさ…」悔しそうに話す双葉の瞳《め》からは、今にも泪が零れそうになっている。思い返してみても、双葉はあの頃から兄妹思いの姉だった。──ふと思い付いて、「じいちゃんは?」と訊ねると、「あたしが帰って来た時にはもう居なかったから、きむ爺のとこでも行ったんじゃないの」って。…あ、きむ爺っていうのはじいちゃんの友達で、近所に住んでるじいちゃんとニコイチの爺さんの事。ニコイチって言葉も、パパがよくそうい言ってからかっているのを聞いてただけで、意味は知らなかったけど。当時一樹は四年生、双葉が三年、そして私《わたくし》はなみが小学校二年生と、なんだかややこしいけど、あたし逹は年子の三兄妹で、これにじいちゃんとパパを加えた総勢五名が、我が桜木家の主要メンバ-だった。ママは‥‥。ママの話しを少しだけすると、ママはあたしを産んで直ぐに死んだ。…こんだけ。冗談抜きにしてあたしがママの事で覚えてる事なんてなぁんにも無いし、今日まで誰もあたしにそれ以上の説明をしてくれないから、話そうにも話す事柄が全く浮かんで来ない。強いて話すならあたしの名前"桜木はなみ"。冗談じゃなきゃ酔っぱらって付けたとしか思えないこの名前だけが、ママがあたしに残してくれたものらしいんだけど…。──さて、話しを戻して、頼りのじいちゃんが居ないんじゃどうやって一樹のご機嫌を取ろうか双葉と二人頭を悩ませていると、そこへ聞き慣れたバイクの排気音が近付いて来た。窓の向こうでスタンドを立てる音がして、エンジンが止まる。途端に双葉の顔がほころんだ。多分あたしの顔も。何時《いつも》もだったらここは二人揃って玄間までお迎えと行きたいとこなんだけど、其の日に限っては子供部屋から出て行く事が出来ずに、隣の部屋から伝わって来る一樹の発する負のオーラに躰の動きを封じられていたのだった。──ドアが開く音。パパの声。「ただいまつたけ」、確か昨日は「ただいますおさん」。「ドンッ」と荷物を置く音。──「ガララララ」とリビングの引き戸を開く音が続く。──毎度お馴染みの「ふぅ~」と長い吐息が一つ聞こえて、一樹の斜め向かい、何時もの場所にパパが座ったのが分かった。目配せし合い揃って襖の向こうに聞き耳をたてるあたし逹。……話し声らしき物はなんにも聞こえて来ない。(一・ニ・三・四……)頭の中で十まで数えてから、そっとニセンチ程襖を開ける。双葉とあたしは音を立てないように細心の注意を払いながら、横にした頭を縦に二つ並べて覗いてみた。テレビの中では男の子の忍者が怪獣みたいなでっかい蛇を相手に闘っていて、見ているパパは…と言えば、缶ビールを片手にピクリともせず画面に集中している。顔を見合わせたあたし逹は長いゝため息を吐く《つく》。(ちょっと!帰って来るなりいい大人がアニメに見入ってる場合じゃないでしよ!子供の心配するのが先なんじゃない!?よく見て、ほら!一樹の顔!怪我してんじゃない!)と、声には出さず突っ込んでみるけど、もう瞬きすらしていないパパは気付かない。まあ、声に出してないんだから気付かないのも当たり前なんだけど…。それにしても…。アニメとかプロレスを見ている時のパパっていっつもこう。そんなにか!そんなに面白いのか!あんた一体幾つなんだ!?そういえば前から思ってたんだけど、パパの着てるダブダブの作業着ってじいちゃんがよく見てる時代劇に出てくる忍者の服みたいだし、もしかしてコスプレってやつなのかな?あれっ、じゃあひょっとすると、鳶ってコスプレの名前なのか?そんな事を考えているうちにテレビでは終わりが近付いて、もう締めのセリフ。『自分で自分を裏切るな!』ババ~ンと決まってエンディング曲が流れ始める。「かっこいいなぁ」と、これまた暢気《のんき》なパパの声。「なあ」と投げられたパパの声をあっさりスルーする一樹。ガン無視されてんのに全く気にしていない様子で更にパパが「やっぱり男の子はなあ…」と続けた。煙草にマッチで火を点けると、天井に向けて煙を吹き上げる。あたし逹の鼻にもマッチ特有の薫りが届いた。テレビには"次回予告"の文字。主人公の声で『諦めるまでは終わりじゃない!!』。残っているビールを苦そうに飲み干すと、空になった缶を音を立てて握り潰すパパ。ここで二度目の「なあ」。またゝスル―…かと思ったら、勢いよく立ち上がった一樹は黙ったまま玄関を出て行ってしまった。
(なんだ?どうした?何処《どこ》へ行った?)
 パパもテレビを消しながら「ビ-ル買って来て貰おうと思ったのによぉ…しょうがねえなあ」と呟いて、立ち上がり玄関を出て行く。
(そんなら、ついでにあたし逹もお菓子買って貰おう!)と閃いて、あたしは双葉に視線を振った。
 ──「うわおっ!!」…びびった。…ってか何?
 其処《そこ》には鉢巻きを締め、腰に二本の刀を差したサムライが居た。──竹光どころかプラスチックではあるけど。
「行くよ」短く言って、玩具箱の中から新聞紙に包まれたマグナムをあたしに渡す双葉。            ‥‥B・B弾の鉄砲で何を…。
 一体これから何が始まるというのか?凡そ《およそ》正気とは言い難い双葉の装いは何の為?何故、空気銃が新聞紙で包まれていたのか?頭の中を駆け巡るさまゝ″な疑問を呑み込んで、玄関へ向かう双葉の後ろを訳が分からないまま付いていく。上がり框《あがりがまち》に腰を下ろして靴紐を結ぶ姉の小さな背中に、やっとのことで一つ声を掛けた。
「どこ行くの?」
「安全装置は外しときな」
 あ-そうか。 …いやいや、そうじゃなくて、
「だからぁ、どこ行くのって-」
「バンッ!!」
返事の替わりに威勢よくドアが閉まる。「しょうがないなぁ…」マグナムの銃身をスカ-トに差し込んでエアコンのスイッチを切る。ドアを開けると、吐く息が白くなる夕暮れの町にあたしは跳び出した。

 少し走って大通りに出ると、程なく手を上げて横断歩道を渡るサムライ発見。透かさず《すかさず》大声を出すあたし。「待ってえぇ-っ!」信号が変わる前に何とか追い付くと、双葉の見詰める先には、前を歩く一樹の姿が在った。「シッ」と、唇の前に中指を立てた双葉の真剣な眼差しに反射的に空気を読んで、「普通人差し指じゃないの」というセリフは忘れて口をつぐむ。10メ-トル程の距離をとって尾行を開始するあたし逹。
 進む先に、今日一樹がサッカ-ボ-ルにされた公園が見えて来る。入り口には公園に訪れる人々を逸早く《いちはやく》出迎えようと、道路に飛び出した櫻の枝が寒そうに震えていた。先を往く一樹の後を追って小走りでその枝下まで近づくと、植え込みに隠れ公園の中をうかがうように二人並んで首を伸ばす。すると、四・五本先に立つ木の影にサッカ-をしている六年生逹を見詰める一樹の後ろ姿が在った。…一・ニ・三・四。憎き《にっくき》仇敵の数は全部で四人。中でも一番躰の大きな野球帽を被った奴は、学校でも威張っているのを何度も見た事のあるガキ大将だった。サッカ-やってるくせに、帽子には思いっきりジャイアンツのマ-ク。
 …それは…まあ、…別にいいか。
 その六年生のグループから20メ-トル位離れた場所。肩幅よりも太い櫻の木を背にした一樹が空に向けて大きく息を吐く。一つ……二つ……。いつもと雰囲気が変わった一樹に、もしや分身でもするのかと期待して、あたしの躰にぐぐっと力が入る。
 ‥‥残念ながら、忍者でも何でもない一樹は、三秒待ってみても一人のままだった。一樹の吐く息が、煙草の煙みたいにほんの束の間色づいて、未だグラデ-ションを残した若い夜空に消えて往った。…そこから…記憶の中では、見えて来る物全部の動きがスロ-モ-ションだった。‥‥初めは隣でゆっくりと刀を抜く双葉の姿。何かが始まる高揚感に包まれて、スカートに手汗を擦り付けてるあたしの目に、声を揚げながら走っていく一樹の背中が映る。この映像もやっぱりスロ-モ-ションでね。それを見て、あたしも何を口走ったったのかは覚えていないけど、意味を成さない言葉を喚きながら、双葉の後ろを四人に向かって駆け出したんだ。先頭を走る一樹が野球帽の顔面に頭突きで突っ込んでいく。縺れて《もつれて》転がる一樹逹と残りの三人の間に割って入って、二刀流を振り回す双葉。最後に追い付いたあたしは、間髪入れずその三人に向けてマグナムの引き金を、引き金?あれっ?引き金が……だめだっ、ひ…ひけない。──あっ!安全装置!やばっ……間に合わないっ!
 ──「バンッ!」「バンッ!」「バンッ!」テンパって無我夢中のあたしは、気が付いた時には大声で叫んでいたのだった。背中に日本刀を思わせる双葉の鋭い視線を感じながら。「……はなみっ!!」双葉の尖った声が心の臓《しんのぞう》に突き刺さる。怒ってる。御怒りになっていらっしゃる。「馬鹿っ!!!」怒声と共に首の後ろに振り下ろされる刀。「ゔぎゃん!」…ガチで打ち首かって疑う位の痛み。その頃のあたしは、幸いにも未だ打ち首された経験は無かったのだけど、いやほんと、その位強烈な衝撃だった。それにしても安全装置外すの忘れたからって、幾ら何でも酷すぎる仕打ちでしょ。痛いのと悔しいので、やはりここでも泣くあたし。この世の終わりを迎えたテンションで泣き声を揚げる。呆気にとられて、ポカンと立ち尽くす六年生の三人。そりゃそうだ。一心不乱に二刀を手に暴れる小さな女剣士と、弾の出てこない拳銃を向けて、口でバンバン威嚇するガンマン。この世に生まれ落ちて初めて目にするであろう光景に、三人共頭の中が付いていけないに決まってる。大声で騒ぎ過ぎた所為《せい》か酸欠気味で、段々頭がポ-ッとして来るあたし。
 ──不意に躰が持ち上げられる。
「はい、おしまい」
 あたしを抱き上げたパパは、まだ野球帽の上に馬乗りになっている一樹の頭を空いている方の手でポンポンと叩いた。外灯の光を受けて、鼻血と涙でてらゝとギラつく野球帽の顔は、アフリカ奥地の原住民が着ける仮面みたいに毒々しい。
 片手で野球帽を立たせたパパが、その手に黙って手拭いを握らせる。
 数秒の沈黙が流れて、顔を見合わせた野球帽と三人が一言も喋らず自転車に跨がって《またがって》帰って行った。その四人の後ろ姿と双葉が刀を鞘に収めるのを見届けて「帰るぞ」ってパパ。
 前を歩く一樹の後ろで、双葉がパパの手を握る。抱っこされたまま空を見上げたあたしの両目を、真ん丸のお月様が塞いだ。月明かりの下で未だ固そうな櫻の蕾を、風が撫でるように揺らして去って行く。あたしの持ってる一番綺麗な月と櫻。
< 2 / 24 >

この作品をシェア

pagetop