運命が変えた一夜 ~年上シェフの甘い溺愛~
実家が無くなることは寂しくないのかと聞いたとき、母はきっぱり言った。
『寂しいわけないでしょ。だってそのころはあの世でお父さんと一緒なんだから。家なんていらない。思い出なんていらない。もう十分よ。思い出に助けられて、支えられてあの人のいない世界で生きるのは。』

母のその時の微笑みを忘れられない。
どこまでも、遠くを見つめる母は、きっと亡くなった父が見えていたのだろうと思う。
その姿が、母にだけは感じられたのだろうと確信している。

悟は実家のあった場所のそばにある高台にある両親の墓に定期的に顔を出している。

いつものように墓に着くと、掃除をして新しいお茶や線香を供える。
母の好きだった花も。

そして長く長く手をあわせながら報告する。
父には料理人としての自分のことを。
母には・・・綾乃のことを報告した。
『まだまだ俺は夢の途中だって思ってる。でも、見つけたんだ。夢だけじゃなく、失いたくないものを。つかみたいものを。手放したくない。あきらめたくないことを。』
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