真紅の花嫁
第1章 出会い

初夏。梅雨がもうすぐ明ける季節。6月も後半に差し掛かる。
数日ぶりの晴れ間に暑い日差し。もう夏になるのだと実感させられる気候。
高校に入って2年目のそんなじめっとした空気の中、私は通学路を一人歩いていた。すると、後ろから駆けてくる足音が聞こえる。
「結羽、おっはよ~!」
「おはよう、明美!」
よく見知った声に少し振り向き、挨拶を返す。すぐ隣に並んできた少女の額は少し湿っていた。
「走ってきたの?今日結構暑いけど大丈夫?」
「全然大丈夫じゃない!あっつーい!」
「もう…」
ぱたぱたと手を振って一生懸命顔に風を送っている明美を見て、苦笑いを返す。
鈴木明美。彼女は私の小学校の頃からの友人だ。彼女とずっと一緒に育ってきた、親も公認の親友同士だ。
暑いと愚痴を漏らす明美と共に校舎に入っていく。


「おい明美、汗かいてんぞ。くっせー」
「はぁ!?うっせー晴夫!ぶつよ!!」
教室に入るなり、私たちを見た湯口晴夫くんが明美をからかう。私は隣で元気な明美と晴夫くんのやり取りに笑ってしまう。
「・・・結羽も、はよー」
「晴夫くん、おはよ」
今気づいたとでも言いたげな態度で晴夫くんは私に挨拶をする。こういう時は大抵晴夫くんと私の目は合わない。
彼が合わせないのだ。
「はぁ、ったく…晴夫~あんたもう少し愛想よくしないとー…嫌われちゃうよー?」
明美が晴夫くんに仕返しをする。
それを聞いた晴夫くんは慌ててしまい、顔が赤く染まる。
「は!?いや、意味わかんねーし…!」
「そうですかあー?あははっ!でもざんねーん。結羽は私のものでーす」
そう言って晴夫くんの目の前で私に抱き着く明美。そんな彼女に少し照れてしまう。
「お前なぁ…」
「はー…ほんとこんなに暑いのにさぁ。あんたはお花みたいな匂いするから大好きよー!いいにおい~…」
「・・・・・」
始めは呆れていた晴夫くんも、私の匂いを嗅ぎ始める明美を見て黙ってしまった。
――花の匂い。
昔からどうしてか、私からは柔軟剤でも、コロンの匂いでもない。よくわからないが、花のような匂いがするらしい。
コロンはつけたことはない。だから、これは私の身体から香る匂い。私自身、その匂いは感じられない。
けれど、この匂いは――
ちらりと晴夫くんを見る。晴夫くんの顔がほんのり色づいていて、もどかしそうに私を見ている。


彼がこうなり始めたのは、高校2年に上がって同じクラスになった頃。
隣の席だった晴夫くんが教科書を忘れてしまった。
私は机をくっつけて、一緒に見ていただけだった。けれど、授業が終わると彼は私と目を合わせなくなってしまった。
私が彼を見ていない時だけ、私を見る。うっとりとしていて、欲望に満ちた目で。


きっとこの匂いは、異性を惹きつけてしまうのだと悟った。
小学生のある日を境に、異性から告白される回数が増えたこと。知らない誰かに連れ去られそうになったこともある。
憧れの先輩と付き合えたこともあったけれど、日増しに束縛されるようになり、別れることになってしまった。
誰かと一緒にいると、私には受け止めきれない愛情を抱かせてしまう。
それは、この身体から香る匂いのせい。彼らは執拗に、この匂いに執着していたから。
だから、あっけらかんとした明美といる時間が心地いい。
教室の扉が開き、担任が教室へと入ってくる。
それを合図に、各々席へ戻っていく。明美も名残惜しそうに私から離れる。
今日も平和な一日が始まる―――。



「もう終わりにしましょう。出て行ってくれる?」
家に帰ると、父と母が言い合いをしていた。
高校に上がってからは頻度が多くなっていた二人のケンカ。けれど、私は何もできなかった。
言い合いをする二人の間に入ることも、二人の話を聞くことも…だからこうなってしまったのだろう。
「結羽」
リビングから父の声がする。私が聞いていることに気づかれたらしい。おずおずと中へ入る。
ソファに座る母と向かいに立っている父。「結羽、あなたどっちについてきたいの?」
怒り冷めやらぬといった様子で母は私を見る。
父を見ると、諦めているような顔だった。もう、家族はバラバラになってしまったのだ。


私は父へ付いていくことにした。
母は昔から気性が荒く、落ち着いた父とは対照的な人だった。
イライラすると、私に当たることが多々あったため、私は母があまり好きではなかった。
私と父は家から出ることを余儀なくされてしまった。
「結羽。父さん、おじいちゃんとおばあちゃんの家にお世話になろうと思うんだ」
「…うん」
「…小さい頃に行ったことあるよな?あれから一度も行ってないが…覚えてるか?」
「…あんまり・・・小さかったし」
「そうか…」
私の部屋に来て話す父に、暗い表情を隠しきれなかった。
やはり、今まで一緒だった家族がこんな風になるのはとてもつらかった。
父は少しの沈黙のあと、「ごめんな」と一言言って部屋を出て行った。



翌日、明美やクラスの人たちに転校する旨を担任の先生から伝えてもらった。
明美は涙を流してくれて、みんなも残念がってくれた。
そして1週間という短い日を一緒に過ごして、週末に父と二人で街を出た。
晴夫くんと明美が電車に乗る私たちを見送りに来てくれた時は、私の目からも涙が零れ落ちてしまうほど…この別れはとてもつらかった。
「いつか絶対戻ってきてね!なんなら私も会いにいくし!ねっ」
明美が発してくれた言葉が温かく、同時に、既視感に襲われた。

駅が見えなくなり、窓から顔を離して座席にもたれ掛かる。
『絶対に戻ってきてね』
この言葉が脳裏から離れない。考えて、考えて1時間くらい経った頃だろうか。
まどろむ視界の中で、最近よく見る夢のことを思い出していた。
(あぁ、そうだ…あの夢の中の男の子が最後に言ってた言葉だ…)
それと同時に、小さい頃に一緒に遊んでいた男の子達との記憶がおぼろげに頭に浮かぶ。
これから行く場所で出会った子達。まだあの場所にいるのだろうか?

絶対に戻ると言った約束は果たせないまま、高校生になってしまった私を、恨んではいないだろうか―――
そんなことを考えながら、私は眠りに落ちてしまった。



これから始まる出会いの予感には気づかずに――――






木漏れ日の中、静かに開く紅い瞳。

かすかな花の匂いを感じ取る。
青年はゆっくりと上体を起こし、この町へ向かってくる電車の音に耳を傾ける。


「―――・・・」


前を見据える青年は、その瞳に憎しみと凍てつくような光を宿していた。

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