十六夜月と美しい青色
2…恋の堕天使

十六夜の月夜-和人side

 テーブル席で、甘い雰囲気を作っていカップルとは対象的な、思いつめた表情をした女性と眼差しが絡む。思わず微笑んでいた。
 
 それは、とても思い出の中の女の子に似ていたから。
 
 彼女は、幼馴染の藤沢柊吾の6歳下の妹だ。いつも、柊吾の後ろをついて歩いていた彼女が、高校生になるころには、妖精のように儚げな見た目とは裏腹に、はっきりと自己主張する女の子だった。今は、実家の茶舗の手伝いをしているようで、来年には結婚すると柊吾から聞いて、昔の幼い恋が終わったことを感じていた。  

 和人自身は、全国展開をしているショッピングモールを経営している会社の創業家一族の一人であり、父方の伯父が社長で、父は副社長を務めている。
 和人自身はまだ、支社の営業部を渡り歩いて修行中の身。従兄弟たちも同じように全国にある支社へそれぞれ配属されていた。
 また、和人自身が創業家一族の者だと知る人間は支社の中では支社長くらいしかいない。1社員として、現場を知り仕事を身につけることが、将来経営陣に加わる最低条件にもなっていた。伯父も父も同じ道を歩んできた。経営陣が現場を知ることに、先々代の社長が強くこだわり、社風として残っているのだ。

 だからと言うわけでもないが、大学時代からの友人の親戚が経営しているこのペンションのバーで、週末だけ手伝いをしている時が唯一リラックスできた。

 観光シーズンに入りかけのこの時期は、余り宿泊客は多くなく、彼女の様な宿泊客は目を引いた。

 和人の視線に気付いたのか、結花は座ったばかりの席を離れ、カウンターの端の席に移動して来た。

 「今宵は、何にいたしましょうか?」

 和人は、オーダーを取るために声をかけた。目の前にいる女性は、和人の記憶の中にある面影を残しながら、大人の女性としての凛とした佇まいを持ちながら、傷つき脆く崩れ落ちてしまいそうになっていた。衝動的に抱きしめたくなるような…。そんな和人に気づかないまま、彼女は婚約解消された事、そして相手の女性に子どもができている事を、ゆっくりと話し始めた。自分と相手の男性にわずかでも見えない綻びでもあったのだろうかと、自分を責めてもいた。
 
 オーダーは、そんな日に合うカクテルだった。
 
 きっと彼女の記憶にあるころの和人は、高校生くらいだったはずで、あれから身長も伸びたし社会人になってからは会うこともなかったから、簡単に気づくはずはない。それを少し残念に思うとともに、結花の話す事実に酷く驚いた。いまが一番幸せな時なのに、失った幸せを淡々と話す彼女の声音がとてもいじらしく、和人の気持ちを捕らえた。

 和人は、出来上がったカクテルを、美味しそうにパスタを食べる結花の前に、静かに置いた。

 「ピニャコラーダ。少しずつ、失恋した思いを昇華させる意味があります。
 今はまだ忘れるなんて無理でしょうが、淡い思い出になるようなお手伝いができたらと思いまして。それに、甘い口当たりですし普段余りお酒を飲まない方でも、お飲みいただきやすいはずです。」

 そう言うと、和人の右手は躊躇いもなく結花の頬を優しく包み込むと、親指で溢れる涙をひとしずくずつ拭っていった。指先に触れる涙を、ひとしずく拭うごとに、ひとつずつ辛い想い出を忘れさせて、彼女の想い出を塗り替える役を担いたいと、心の底から強く思い始めていた。
 
 その時の結花は、和人の予想もしない行動よりも、お酒で辛い思いを忘れてしまいたいと、自虐的な笑みを浮かべていた。
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