暁のオイディプス
 昔、桐壺帝(きりつぼてい)という帝は、さほど身分も高くない桐壺更衣(きりつぼのこうい)という妃を寵愛したという。


 他の妃たちがひどく嫉妬して数々の妨害行為を行なって、強い後ろ盾のない桐壺更衣は立場が弱く、気が滅入ってしまい徐々に病気がちとなり、若くして亡くなってしまう。


 二人の間に残されたのが、光り輝く容貌を持った第二皇子の光源氏。


 ここから絢爛豪華な『源氏物語』は幕を開ける……。


 ただもしも、光源氏が光り輝く美貌を持っていなかったら、物語はどうなっていたのだろう。


 極々平凡な、どこにでもいるような男だったとしたら。


 ……つまらない物語になりそう。


 きらびやかな平安絵巻を彩る、恋愛騒動の数々は成立していなかったかもしれない……。
 

 「高政(たかまさ)、」


 「!」


 急に名を呼ばれて、私は驚いた。


 そして我に返った。


 視線を戻すと、父が険しい顔でこっちを見ていた。


 「話をまとめよ」


 しまった。


 昨晩も寝る前に読んでいた源氏物語に思いを巡らせていて、話を聞いていなかった。


 今ここで父が告げた「話」とは……。


 そもそも今日の会議の目的は先月繰り広げられた、織田信秀(おだ のぶひで)との「加納口(かのうぐち)の戦い」における戦勝報告会のようなものだった。


 南側に接する尾張(おわり)の織田信秀が先月、ここ美濃(みの)の国の奥深くまで兵を進め。


 城下町まで攻め込んで来て町に火を放ち、我らが居城稲葉山城(いなばやまじょう)も落城寸前化と思われたが、相手方が油断した一瞬の隙を突き、父は反撃に出て織田軍を混乱に陥れ大勝利。


 織田信秀は多数の側近を失い、最終的には数名の手勢のみで命からがら尾張までたどり着いた聞く。


 「……」


 「何をしておる。早くせぬか」


 父の質問の内容が分からないので、答えられずにいた。


 とても聞き直せる雰囲気ではない。


 「聞いていなかったのか」


 「い、いえ。織田軍の被害は、信秀の弟の織田信康、家老の青山信昌、同行していた熱田神宮大宮司の千秋季光(せんしゅう すえみつ)などが討ち死にをし……」


 「そんなことなど聞いてはいない。さては居眠りでもしておったな」


 「いえ、居眠りなど」


 並み居る家臣の前で恥をかかされ、私は赤面した。


 「……光秀、代わって述べよ」


 「はい。……織田軍の戦死者はだいたい五千人前後と推測されます。その内約三千人が長良川(ながらがわ)を渡って退却の際、溺れ死んだと」


 「なるほど。五千か」


 質問に満足に答えられない私に代わり、一門衆で父に仕える明智光秀(あけちみつひで)が調査結果を報告した。
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