恋に焦がれて鳴く蝉よりも
第一章:詩乃 守人
 「まだ起きてたの?」

 深夜の自室で。
 もう、誰も起きてはいないだろうと思って
いた蛍里(ほとり)は、背後から突然かけられた声に、
びくりと肩を震わせた。振り返る前に、慌てて
タイトルバーの×(バツ)印をクリックする。

 パソコン画面がデスクトップに切り替わるの
を確認すると、蛍里は口を尖らせて声の主を
向いた。

 「ちょっと。部屋に入る時はノックくらい
してよ」

 タオルでがしがしと頭を拭きながら部屋に
入ってきた弟の拓也(たくや)にそう言うと、
蛍里は努めて自然に髪を掻き上げた。
 拓也が隣りに立つ。

 「ドアが開いてたんだって。廊下に光が漏れ
てるから、まだ、起きてるんだと思ってさ。
ねーちゃん、何見てたの?」

 親指でドアの方を指しながらそう言うと、
拓也はノートパソコンを覗き込んだ。
 蛍里は思わず、言葉に詰まる。検索画面でも
なく、どこかのホームページでもなく。
 風景画にいくつかのファイルが張り付いて
いるだけのデスクトップが表示されているの
は、返って不自然だったかもしれない。
 蛍里は少々ぎこちなくパソコンに向かうと、
検索エンジンをクリックした。

 「別に。何か良い本ないかなーって、見て
ただけ」

 「ふうん。また、本買うんだ」

 「うん。悪い?」

 「別に。ぜんぜん悪くないけどさ……」

 何か言いたげにそう呟きながら、拓也は振り
返って部屋の本棚を見た。

 背の高いアンティーク調の本棚には、
ぎっしりと本が詰まっていて、新たに本が
増えるならば、本と棚の隙間に寝かせて入れ
ることになるに違いない。

 それでも、また新たに本を探したいと思っ
ていたのは、本当のことだった。
 蛍里は自他共に認める、読書家なのだ。
 睡眠よりも、3度の飯よりも、本を読んで
いる時間が一番楽しい。そうして、本を読ん
でいれば寂しさを感じることもなかった。

 どちらかと言うと、蛍里は人と接するのが
苦手で、休日を共に過ごせる友人も少ない。
 もちろん、それは男性に対しても同様で、
まったく恋愛経験がないわけではなかったが、
特定の恋人がいた時期は人生のごくわずか
だった。

 けれど………いまは密かに心をときめか
せている相手が、いる。

 蛍里は彼からの返事を思い返して、知らず、
頬を緩めた。





-----その本を見つけたのは、偶然だった。



 昼休みを終え職場に戻った蛍里は、自分の
デスクの上に見慣れぬ本が一冊、置いてある
ことに気付いた。


 誰のものだろう?


 周囲を一度窺うと、蛍里は首を傾げながら
その文庫本を手に取って、パラパラとめくった。
 そうして、最後のページで手を止めた。

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