ヴァイスラント公国のワルツ~陛下の恋、僕が叶えてみせます!~

6 上下関係は十人十色

 降臨祭の二日目に国王陛下がそのサロンを訪れるのは、誰でも予想の上でまるで公式行事のようだった。
 王城の中庭に面した広々としたテラスに雑多な人々が行き来するのは、濁らない川の流れにたとえられる。そこでは堅苦しい芸術や学問より、日々愉快に過ごすための楽しみが集められている。
 誰よりも遊興を愛し、楽しいことの前では誰しも貴族と微笑むそのサロンの女主人、その名をローリー夫人という。
 ギュンターがカテリナを伴ってサロンに足を踏み入れたとき、ローリー夫人は席を立ち上がって滑るように国王陛下の前に参上した。
「陛下、よくいらしてくださいました。……と申し上げたいところですが、少々遅かったようです」
「降臨祭二日目にして、私は何かに乗り遅れてしまったのだろうか」
「乗り遅れたのは我々臣下の方です」
 豊穣の母神にたたえられるローリー夫人は、はちみつ色の肌に銀髪という神秘的ないでたちをしていて、彼女の吸い込まれるような瞳でみつめられて否と言える男性はいないと言われている。
「降臨祭の最終日、陛下がどなたと踊るかは全国民の関心事で、私も及ばずながらこの慶事を盛り上げていたのですが」
「君は確か、賭け事はしないとご夫君に誓ったのではなかっただろうか」
「何せ建国以来の祭典ですから」
「賭けたんだな」
 その浮世離れした風貌としっとりとした話し方に反して、彼女は溢れんばかりの庶民的関心を持っている。その世俗への愛が彼女のサロンに国一番のにぎわいを招いていた。
 ローリー夫人は美酒を口にしたように嘆息して言った。
「二日目にして急上昇、まるで彗星のようです」
 少女のように瞳にきらめきを宿して、ローリー夫人は壁際で控えていたカテリナを見やった。
「思えば精霊は、最愛の人は姫君とは一言も言っていませんでした。私も目を開かされる思いがしましたわ」
「待ってくれ。人の嗜好はそれぞれだが、君の嗜好に私を巻き込まないでくれ」
 ギュンターは眉の辺りに彼本来の不機嫌をにじませながら、かろうじて相手は貴婦人と思いとどまる。
 いつの間にそんな誤解がはびこったのか思い返したが、思い当たることばかりだった。ギュンターは降臨祭の前日も合わせるとここ三日間、片時もカテリナを側から離していない。
 いやそれは、優秀なのに方向性をまちがえているそこの新米騎士をどうにか育成しようとしていたのであって、始終いらだちと爆発一歩手前の感情を行き来していた。好きで一緒にいたのではなく、ましてあちこちではびこったと思われる娯楽劇場のような幕はなかった。
「こんなに扱いに困る部下がいたことがなかっただけだ」
 常に首根っこを押さえていないと不安だっただけで、断じて可愛がっていたわけではないと主張する。
 カテリナを振り向くと、当の本人はまんまるな目できょとんとしていた。貴婦人方の妄想に利用されたことをわかっていないのか、自分に集中する視線にも不思議そうに首を傾げていた。
 ……可愛くはないと念のためもう一度心の中で繰り返して、ギュンターがカテリナから目を逸らしたときだった。
 ローリー夫人は底の見えない微笑みを浮かべて扇を広げる。
「きっと陛下はそう仰ると思って、マリアンヌ様にお伺いを立てましたのよ」
 ギュンターがいぶかしげに眉を上げると、ローリー夫人はひらりと扇で手招いた。
「いらっしゃい、ウィラルド」
 ローリー夫人に呼ばれて彼女に歩み寄ったのは、騎士団服に身を包んだ青年だった。
 ギュンターが見たところ年齢はカテリナの少し上くらいで、新米とはもういえないが、指揮官になれるほど年を重ねてはいない。
 彼は小柄でふっくらしていて、髪や仕草はあまり構っておらず、顔立ちもお世辞にも整っているとはいえない。
 何より顔色があまり良くなく、思いつめたような表情をしているのが、余計に彼を陰気に見せていた。
「カティ……」
 けれど困ったように彼が名前を呼ぶと、カテリナはまるでのぼせたように赤面してうつむいた。そのくせ全身で彼を気にしているのが傍目にもわかって、初恋の人の前であがっているような反応だった。
 ギュンターはその反応がなぜか不愉快で、早口に問いかける。
「彼は?」
「カティさんの上官、ウィラルド士官です」
「上官? カティは私の直属の部下のはずだが」
「いいえ、カティさんはマリアンヌ殿下の命で陛下にお仕えしていると伺いました。降臨祭が終われば、ウィラルド士官の下に戻るとも」
 ローリー夫人は小首をかしげて、カテリナに話しかけた。
「カティさん。マリアンヌ様はあなたが望むなら、このまま陛下付きの騎士にしてもよいと仰せですが……」
「ごめんな、カティ」
 ウィラルドはローリー夫人を押しのけるように言葉を挟んだ。
「俺がいい上官でなかったのはわかってる。いつもいらついてて、やりにくかったよな。細かいところにもケチつけるわりに、どうすればいいのかは指示できなくて」
「いいえ!」
 カテリナはぱっと顔を上げてウィラルドに歩み寄る。
「僕がやりにくい新人だっただけです。ウィラルドさまは一生懸命指導してくださいました。それに、ウィラルドさまと僕は仕官学校で一緒だったから、上司と部下という立場にうまくなじめなかっただけで」
 カテリナは首を横に振ると、つっかえながら言葉を口にする。
「ウィラルドさまを尊敬しています。ウィラルドさまの部下として働いた日々は幸せでした。降臨祭が終わったら、僕は……」
 その先に続く言葉を聞きたくなくて、ギュンターは反射的に視界からカテリナを追い出そうとした。
 彼が自分の部下であるのは、あくまでマリアンヌに命じられたからであって、しかも期限付きなのだ。
 彼が自分をどう思っているかを、どうして考えなかったのだろう。考えてみたら祝祭の最中に来る日も来る日も書面仕事、それを自分は叱ってばかりで労ったことがあっただろうか。
「……まだこれはお話しするときではないと思います」
 けれどカテリナはどこかあきらめたように言葉を切って、その先を告げることはなかった。
 カテリナは気持ちを切り替えるように顔を上げてみせると、ギュンターには向けない親密さでウィラルドに話しかけた。
「心配してくださったんですね。でも陛下の元で働くのは、毎日驚くことばかりですけど、楽しいです」
 カテリナはうなずいて約束するように言った。
「今は命じられた任務を精一杯果たしてみせます。僕は騎士ですから」
 ウィラルドはうなずき返して、そうだよな、とつぶやいた。
「うん。カティらしい。わかったよ」
 ウィラルドはカテリナのすぐ目の前まで歩み寄ると、ぽんとカテリナの頭を叩いて言った。
「俺、祝祭の間このサロンにいるから。困ったら頼ってくれよな」
「……ウィラルドさま」
 顔を赤くして口の中で彼の名前を呼んだカテリナには、ギュンターを除いてサロン中から応援のまなざしが贈られたのだった。
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