暮れ六つになると清搔(すががき)が鳴り始めた。

 この日陽炎は新造や禿を引き連れて揚屋へ向かった。初めての客だが、旗本の嫡男という話を聞いて八千代のような男を思い浮かべた。

 だが、実物は想像とは大分違った。男はとにかくよく喋る喋った。宴会の間中ずっと喋っていた。

 飲み過ぎが原因だろう。顔は真っ赤だし明らかに酔っている。最近、やたら醜態を晒す客が増えたように感じた。格好をつけようとする客も多い。花魁の前だから大きく見せたいのだろうか。所詮男の見栄だ。

「……なんだか、お客の質が悪うなった気がいたしんす」

 思わず、陽炎はぽつりと漏らした。

「姉さんが八千代様に会うようになってからでありんすよ。きっとみんな、自分も気に入ってもらえると思っているでありんす」

 やや後ろに控えたこよりが返事した。

 時期的にはそうだ。八千代と会う前はこんなではなかった。客はもっと大人しかった。

 だが、根本的に陽炎は男が嫌いだ。八千代はたまたまマシなだけである。

 男の態度が次第に馴れ馴れしくなってきたので、陽炎はつい怒りそうになった。

 ────一度会うたからといって図にのりんさんな。わっちを誰だと思うとるんじゃ。

 ついそんなことを口走りそうになる。だが、加賀屋の息子のように暴れたり暴力を振るったわけではないから強くは言えない。

 悶々とした。やはり男は嫌いだ。女を馬鹿にして、いつも威張り腐っている。一瞬八千代に気を許しかけたが、八千代も自分を利用しているのだ。そう思うとむかっ腹が立ってきた。

 機嫌を損ねた陽炎は結局床入りしなかった。ただ、客は既に飲んだくれていたので構わないだろう。後でお里に文句を言われるだろうが、どうでもよかった。



 その晩、八千代が来たと連絡をもらった陽炎は仕方なく座敷へ向かった。

 会いたくない気分だとお里に言ったら、「八千代様の機嫌を損ねたら追い出すよ」とまで言われたので、重い腰を上げた。

 楼主も遣手も八千代の味方では陽炎もどうしようもない。

「なんだ。辛気臭え顔だな」

 会うなり八千代は悪たれ口を告げた。いったい誰のせいでこうなっていると思っているのだろうか。陽炎は少し離れた位置に座ると、ふんと鼻を鳴らした。

「今日はいったいなんのご御用ざんしょ」

「用がなきゃ会いにきちゃ不味いのか?」

 芸者たちがいるからこのようなことを言うのだろうか。普通の女子ならときめくのだろうが、陽炎は不審に思うだけであった。八千代は色恋などには全く興味のない堅物だ。

 今日だって仕事で来ているだけだろう。だから本当は、二人きりになって早く本題を話したいと思っているのだ。

「主さんは恋しくて来るようなお方じゃござりんせん」

「はっきり言うな。まあ、その通りだが」

「その後仕事は順調でありんすか」

「そこそこな」

「うまくいかない時は慰めるぐらいなら致しんす」

「はっ……」

 うまくいっていないのだろう。辛気臭い顔をしているのは八千代の方だ。犯人の手がかりが見つからないのだろうか。

 いつもならもう少し酒を飲むのに今日はあまり飲む気分ではないらしい。膳にも手を付けていない。

 陽炎は芸者達に目配せした。すぐに察した芸者達は軽くお辞儀をするとそそくさと座敷を後にした。

「男嫌いにしちゃ随分気が効くじゃねえか」

「わっちは男嫌いでも花魁でありんす。その程度のことも出来ないようでは花魁として失格でありんす」

「そうかよ」

 八千代は情けなく笑うと俯いた。

「犯人探しがうまくいってないのでありんすか」

「なにせ目撃者がいねえんでな。《《虫》》もその辺は慎重らしい」

「帳簿が盗まれたりぼや騒ぎが起きていると言っておりんしたな。玉屋の商売敵ではないんでありんせんか」

「いや、そういうわけじゃねぇんだ。商売敵っつうなら真っ先に鍵屋(かぎや)に行くだろ。被害に遭ってんのは関係ない近所の連中だ。玉屋とは関わりねえ」

 鍵屋は玉屋と並ぶ高名な花火職人だ。江戸の花火といえば玉屋と鍵屋が最も庶民に知られているのではないだろうか。玉屋は元々鍵屋の番頭が始めた、暖簾分けして出来た店だ。

 だが、読みははずれたらしい。もし玉屋が帳簿を盗むなら鍵屋だ。関係ない店の帳簿を盗んでも得はない。

「虫が帳簿を盗んで何か得することが?」

「最近、やけに金回りがいいらしい。帳簿を流してるかもしれねぇ」

「……確かに、奉公人にしちゃやたら自信あり気な態度でありんした。主さんの読み通りならまた来る可能性もありんしょう」

「お前さんから向こうに連絡出来ねえか」

「出来ないこともありんせんが……気が乗らないでありんす」

「なんとかならねえか」

「最初に言ったでありんしょう。わっちは協力するわけじゃないと。頼めばなんでも言うこと聞くと思ったら大間違いでありんす。女を舐めなさんな」