八千代の言葉は魅惑的だったが、彼はそれを楽しんでいるようには見えなかった。どちらかといえば真反対の────その言葉とは裏腹な思いを抱えているように見えた。

「協力────でありんすか」

「ある男について調べて欲しい」

「それが、玉屋の弥七どんのことで?」

「そうだ」

「────一つお尋ねしても宜しいでありんすか。主さんが知りたいことをわっちは知ってもよいと? 他言はしんせんが、わざわざ人払いをしてまで話す内密なことなら、いくら協力するとは言えわっちが知ることは主さんにとって危険なことでは?」

「よく頭が回る女だな。そうじゃなきゃ花魁なんざ出来ねぇか────」

「商売のあれこれならわっちも口出ししんせん。よくあることでありんすから。ただ、血なまぐさいことの報復のとばっちりなんてごめんでありんすよ」

「──心配するな。そういう問題で動いてるんじゃねえ。問題があるのは弥七の方だからな」

「分かりんした。ですが────」

 陽炎は言葉を区切ると、確かめるように八千代を見つめた。

「なんだ」

「わっちは花魁でありんす。いくら客でも、ほいそれと協力はいたしんせん」

「なんだ。協力してくれるから聞いたんじゃねえのか」

「するかしないかの判断はわっちが致しんす。無論、約束の通り他言は致しんせんが」

 この八千代という男は他の男よりもまし、というだけだ。話は聞いてやらないでもないが、だからと言って何でもほいそれと聞いたりはしない。男が頼めば何でも首を振るような軽い女にはなりたくなかった。

「────お前さんは金を積んだだけじゃ納得しなさそうだな」

「主さんが信用できる男と判断すればお引き受けいたしんしょう。でも、そうじゃなかったらお断りいたしんす」

「ちっ……しょうがねえな」

 渋々だったが八千代は納得した。余程切迫している状況なのだろう。

 陽炎も別に何がなんでも協力しないなんて思ってはいない。ただ、すぐに頷いたのでは花魁としての面目が立たないからそうしたのと、男にやすやすと屈服するのが嫌だっただけだ。
 八千代がどんな人間かまだ分からない以上、危険を考慮する必要がある。

 ────問題があるのは弥七のほう、か。

 本協力するのはまだ先だが、話の中身は気になった。

 業者間のいざこざはよくある話だが、八千代は一体どんなことを調べているのだろう。大金を使ってまで知りたいことだ。きっと普通のことではないに違いないだろうが──。

「それで……知りたいのはどのようなことで? 一応聞いておきんせんと弥七どんが来ないとも限りんせん」

「……一応お前さんも関係者になるからな。話しておいてやるよ」

 八千代の話はこうだった。

 弥七が奉公している玉屋の近辺で、店が火事を起こしたり帳簿が盗まれたりと事件が相次いだ。

 奉行所は御用聞きから得た情報で玉屋に奉公に上がっている弥七が一枚絡んでいるのではと疑がっているという。

 もし弥七が玉屋を隠れ蓑に何かしたのなら大事件だ。特に火事は大罪になる。そういうわけで、奉行所は玉屋と弥七の周辺を洗っているのだという。

「なるほど────。それで弥七どんから有力な話を得たいんでありんすね」

「向こうさんも頭が回る男でな。なかなか尻尾が掴めねえんだ。これでお前さんが引き受けてくれりゃあこっちも楽なんだがな」

「まだ決めてはいんせん。ですが、相手に思ったことを言わせるのが花魁でありんす。主さんにその見込みがあればお約束いたしんしょう」

「そりゃ有難ぇこって」

「しかし、主さんの顔の意味がこれではっきりしんした」

「俺の顔?」

「わっちを指名したにしてはあんまりにもつまらなさそうな顔をしておいででありんしたから」

「仕事じゃなきゃこんなところ来ねえよ。弥七がお前さんをえらい気に入ってるってんで頼みに来ただけだ」

「花魁を買う金は安うござりんせん。御用聞きの主さんがご祝儀をお支払いするわけじゃありんせんな」

「俺は御用聞きじゃねえよ」

「え?」

「親父が町奉行なんだ」

 八千代の一言に陽炎は思わずひきつけを起こしそうになった。言われたことを頭で反芻したが、それでもやはり驚きは消えない。

 町奉行は旗本が任命されるもので江戸町の行政や司法、治安維持などを引き受ける役職だ。

 その仕事は多岐に渡る。犯罪の取締や町の見廻り────町人にとっては頼もしいが、悪人にとっては少し怖い存在であった。

 御用聞きはその末端、市中に潜む密偵のような役なのだが、まさか八千代がその御奉行の息子とは思わなかった。

「御奉行様の────ご子息だったんでありんすか」

「親父の催促で仕方なしにここに来たんだ。普段は江戸で店をやってる」

「お武家さんが商人のようなことをしてお叱りを受けないんでありんすか」

「店はただの隠れ蓑だ。江戸で問題起きた時に情報が入りやすいからな。俺が町奉行の息子だって知ってんのはごく一部の連中だけだ」

「なるほど……」

 武家の者は武士になるのが当たり前だ。病弱など理由があればそれを脱することも出来たが、普通はそうはいかない。

 世が平和になっても、それが町奉行であっても、武士の子は武士にならなければならない。

 なんとなく、八千代はそれが嫌そうに思えた。まぁ、自分には関係のないことだが。

「分かりんした。わっちもつてがござりんすから多少玉屋と弥七どんのことを調べてみんしょう。ただ、完全に協力するというわけじゃござりんせん」

「分かってる」

「それと、周りに知られぬ方がよろしいなら隠語を使った方がいいでありんすよ。これから弥七どんのことを話す時は虫、と呼びんしょう」

「虫?」

「玉虫のようにぎらぎらした目をした男だからざんす」

「ま、知られねえに越したことはねえ。とにかく俺はお前さんの協力が必要なんだ。なにがなんでも協力してもらうぞ」

「主さんにその価値あれば、是非に」

「けっ……お前さんの方が玉虫屋なんぞより余程たちが悪ぃ」

「お褒め頂き光栄でござりんす。花魁は女。女とは複雑な生き物でござりんすよ」

 陽炎は紅を引いた唇を緩やかにあげた。

 巷の男なら溜息を漏らす笑みも、なぜか八千代には通用しない。八千代はただ、不服そうに鼻を鳴らすだけであった。