とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 大学の門扉の前で何台も黒塗りの外車が停まる中、真っ白なロールスロイスが静かににその車体を止めた。

 藤宮家の車だとすぐ分かる「2238」ナンバーと、特別に付けられたエンブレムを見ると、周りに停められた車の運転手が畏縮して少し間隔をあけていく。
 
 俊介がこの車を運転し始めてもう何年目に入るだろうか。免許をとって一番初めに運転したのがロールスロイスだなんてどうかしているが、藤宮家が乗る車に安い大衆向けの車はない。正義がいたくドイツ製のメーカーを気に入っているため、これに乗らざるを得なかった。

 最初は壊したらどうしようと震えながら運転していたものだが、慣れとは恐ろしいものだ。周りも高級車が多いからか、俊介も多少のことでは驚かなくなっていた。

 聖は授業が終わってから十分と経たないうちに姿を現わした。後部座席の扉をあけて、慣れた様子で優雅にその白い車体に乗り込む。

「………また?」

 そして、後ろの座席に乗せられた荷物を見て眉を顰めた。

 俊介が選ぶことは分かっていても、ブランド物のショッパーが嫌なのだろう。

「靴が少し傷んできてたんだ」

「履き潰してもないのに、よく新しい物なんて買う気になるわね」

「仕方ないだろう。奥様のお言いつけだ。身なりは────」

「『超一流、品格を持って、藤宮家の威厳を保ちなさい』、でしょ。はいはい、わかりました」

 聖は澄子を真似た口調でさも嫌そうに言った。さすが、何度も言われているからか、よく似ている。

「分かってるなら言うなよ」

「私だってたまにはコンバースのスニーカーとか履いてみたいの」

「なんだよそれ?」

「……インターネットで調べて」

 お嬢様として育てたせいか、聖は庶民の生活に憧れていた。

 雁字搦めの家にとらわれるよりはお金がなくても自由な暮らしがしたい────本人は言うが、そんなもの無理に決まっているし、聖自身もわかっている。藤宮家の人間にそれを言っても誰一人として理解してくれる人はいないのだから。

 一般人の俊介ですら、常に藤宮家にいるせいか感覚がおかしくなってきてたまに野菜の一般的価格すら忘れそうになる。

 聖が好きな庶民向けの靴のメーカーなんて知るはずもなかった。
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