とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
第5話 春の影
 この日、藤宮家の従者達はいつもよりバタついていた。

 そんな中でも優雅に朝食を摂っているのは正義とその妻澄子、そして娘の聖だけだ。

 今日は藤宮コーポレーションの創立記念パーティがある。

 それでもこの三人が優雅に食事できるのは、その部下が今馬車馬のごとく働かされているからに他ならない。

 その社員を気の毒に思いながら、聖は食事を済ませて部屋へと戻った。

 後ろから付いてくる俊介が今日のスケジュールの流れを話し始めた。

「今日は九時には帝国プリンスホテルに入って、一旦部屋で待機。十時に開式で旦那様の話と特別顧問の話で一時間。その後今期の各部署による業績報告、表彰式、会食の流れだ」

「相変わらず肩が凝りそうな行事ね」

「聖は……人事異動の話の時に紹介される。スピーチの心配はいらないな?」

「お腹が痛くなったら俊介が代わりに喋ってね」

「よし、二時間でも三時間でも喋れるってことでいいな」

「嘘よ、嘘。ちゃんと喋るわ」

「来月からは本格的に仕事が始まる。大変だろうが……頑張れよ」

 聖は俊介が部屋に用意していた振袖を見てさらにげんなりした。正確にいえば澄子が見立てた振袖だ。

 着るのも脱ぐのも面倒だからあまり好きではないが、大方会社の公式的な場だから着物の方がいいとか澄子が言ったに違いない。

 柔らかい青色の地に桃色や白色の藤の絵がついた着物はまさに藤宮家を表す特注品だ。また京都のどこぞの老舗呉服屋で作らせたのだろう。

「一人で着られるな?」

「誰に言ってるの。覗く気がないなら外に出て」

「誰がだ!」

 聖は真っ赤になった俊介が外に出たのを確認すると、衣桁に掛けられた振袖を眺めるでもなくさっさと着る準備に取り掛かった。

 準備を終わらせてエントランスに向かうと、すでに待機していた俊介と共に車に乗り込んだ。

 聖は窓の外を見ながら、ため息を一つついた。これから起きる面倒なことが全て霧散してしまえばいいのにと思ったが、そんなことは願うだけ無駄だ。

「聖、大丈夫か?」

「ああ、うん」

「無理はするな。いざとなったら俺が言い訳考えてやる」

「ありがとう。でも今日は大丈夫。サボれるような行事じゃないから」

「本当か? 顔色悪いぞ」

「気のせいよ。それより今日は俊介も会場にいるんでしょう?」

「ああ、お前のそばで待機するよう旦那様から言われている」

「じゃあ安心ね。嫌なのが来たら俊介が守ってくれるから」

「………何もなくてもそうするさ」

「え?」

「とにかく、無理はするな。やばかったらすぐに言えよ?」

「うん」
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