三十世紀。統合された世界は隆盛を極めていた。
 
 世界が一つになり、文字通り国境はなくなった。様々な文化と技術が融合し、豊かな世界を実現させた。
 
 そして技術を共有したおかげで科学はさらなる発展を遂げ、ついに人間は人造人間──アンドロイドを造り出した。
 
 アンドロイドが街角にいる──以前は非日常だった光景も、今はそれが当たり前になっている。
 
 スーパーの店員、タクシー、人間の代わりに働くことがアンドロイドの仕事になった。人間がいないなら、相手をするのはアンドロイド。そんな時代になっていた。
 
 アンドロイドはこの数千年の間に大きく進化した。今では人間のように会話し、肢体は滑らかに動く。見た目の機械らしさはまだ残っているものの、ほとんど人間と変わらなかった。
 
 アンドロイドは優秀だ。プログラミングすればどんなことでもやってくれる。
 
 だが、そんなアンドロイドにもたった一つ欠けている部分があった。それは、「感情がない」ことだ。
 
 かつてアンドロイドに感情を与えるため、何百人もの研究者が挑戦した。だが、アンドロイドにそれを教えるのは決して容易なことではなかった。
 
 データを入力すればアンドロイドは笑うことも、怒ることもできる。
 
 だがそれはあくまでデータだ。頭の中のチップにインプットされたものを読み取って、状況に合わせて的確に動いているだけだ。アンドロイドは動くことはできても感じることはできない。
 
 多くの研究者が感情を持つアンドロイドの開発に勤しんだ。
 
 感情を持つアンドロイドが開発されれば、それは新しい分野の開拓になる。特許を得れば莫大な金が手に入ることが約束されていた。
 
 便利になった世界でも、人は変わらず愛を求めていた。だから誰もが、最も不可能とされている「人を愛することが出来るアンドロイド」を造ることに執着した。
 
 だが、感情を吹き込むことも出来ないのに愛情など夢のまた夢だった。
 
 長年研究は続いていたが、多くの研究者は開発に必要な莫大な資金を用意できず、そしてまたその技術も見つけられず、研究から手を引いていった。
 
 たった一人の研究者を除いて──。





 かつて国家、『Japan』として機械技術の最先端を歩んでいた場所には、今は多くの科学者、技術者が移り住み、世界発展に貢献している。

 そのせいか、この地域で活動するアンドロイドの数は世界一とも言われていた。

 巷では、アンドロイド・シティーなどと呼ばれ、多くの都市の中で最もアンドロイドに囲まれた場所となっていた。

『Japan』に昔あった都市『Tokyo』。

 世界が一つになり、かつての国は都市へと変わった。その中には無数の地域が存在し、今もなお、人々が生活を続けている。

 そこには、あるひとりの科学者が住んでいた。
 
 ボタンがいくつも付いた機械。薄暗い部屋をぼんやりと照らすモニター。ステンレスの冷たい作業台。広々としたデスクの上は、文字が書き殴られた紙と書物が散乱していた。

 それらに囲まれて、立川薫(たちかわかおる)は手元も見ずにひたすらキーボードを叩いた。

 画面に熱中してい薫は、廊下から聞こえてくるスリッパの音に気付くと、ようやく前のめりになっていた体を椅子の背もたれに預けた。

 やがてだんだんと近付いてきたスリッパの音は、部屋の前にくるとピタリと止まった。 

 ノック音が二回鳴った後、ウィンと音を立てて部屋の扉が開く。

「はーかーせ」

 扉の前に立っていた女性は、少し眉間にシワを寄せながらつかつかと薫に詰め寄った。

「なんだ、イヴ」

「パソコンの使い過ぎは身体によくないって昨日言ったばかりじゃないですか」

「そうだな」

 適当な返事を返すだけで、薫はなおも画面から視線を外さない。

 イヴは溜息をついて、無理やり画面と薫の間に顔を挟んで視界を遮った。

「座ってばかりだと体が鈍りますよ。たまには外に出て、美味しい空気を吸ったらどうですか?」

「さっき吸ってきたところだ」

「ちょっとお手洗いに行っただけじゃないですか」

「コーヒー」

 薫はぶっきら棒に用件を言いつけた。

「もう! いい加減にしないと砂糖漬けにしてやりますよ」

「……やめろ」

「いい天気だから森林浴に行きたいですね」

「……分かったから、砂糖漬けはやめるんだ」

 薫は呆れたように溜息をつくと、やっとキーボードから手を離した。

 イヴは満足そうに微笑み、パタパタと音を立てて嬉しそうに部屋から出ていった。

 イヴは日本人型に作られたアンドロイドだった。

 そして薫は、アンドロイド工学専門の研究者をしていた。

 二人はこの大きな家に二人で暮らし、薫はアンドロイドの研究を、そしてイヴは薫の身の回りの世話をしていた。

 一見、アンドロイドを使役する雇い主とその従者に見えるが、二人は特別だった。

 薫は若年ながらアンドロイドの権威と呼ばれるほどの技術力を持った研究者であり、イヴはその薫が造り出したアンドロイドだった。

 イヴは元々、薫の両親が薫の遊び相手にと与えたアンドロイドだった。

 薫が三歳の時、アンドロイドの研究をしていた薫の両親は、一体のアンドロイドを造り、薫に与えた。そのアンドロイドが世界的に有名になり、薫の両親はアンドロイド工学の先駆者として名を馳せることとなった。

 一番初めのアンドロイド──薫はそのアンドロイドに「イヴ」という名前を付けた。

 その頃のアンドロイドは現在のように完全な人間の外見ではなく、どちらかといえば人形のような印象が強かった。命令には従うが会話は一方的なものだけで、コミュニケーション能力は乏しい。

 だが薫の遊び相手として作られたイヴは、内蔵されたチップの中にあらゆる知識を備えており、与えられた仕事を見事にこなした。

 人口知能を備えたアンドロイド、イヴ。そんなアンドロイドと幼い頃から一緒に過ごした薫は、恐ろしく賢い少年に育った。

 十歳になる頃には小型アンドロイドを発明し、現在のイヴは、二十二歳の時には既にでき上がっていた。

 その後、病死した両親が残した研究室を引き継いだ薫は、相変わらずアンドロイドの研究を続けていた。
 
 イヴは周囲に完璧と称されたが、薫は満足していなかった。

「博士、コーヒーです」

 イヴはテーブルの上に置かれていた紙の束を避けると、そこにコーヒーカップとソーサーを置いた。

 イヴが淹れてきたのは薫が愛飲するブルーマウンテンだが、当の本人は不機嫌そうに眉を吊り上げた。

「名前で呼べって言っただろ。なんでそう呼ばないんだ」

「博士は博士ですから」

「名前」

「薫博士」

「博士、取れよ」

「ご主人様ですから。次の『私』はどんな風になるんですか? 長いこと引きこもっていたんですからちょっとは進んだのでしょう?」

「お前の足の裏にジェットターボをつける予定だ」

「や、やめて下さいっ」

 冗談に決まってるだろ、と笑い、薫はようやくコーヒーに口をつけた。

 研究室のコンピューターの中には、次の『イヴ』のデータが入っていた。

 ほぼ完璧なイヴに一つだけ足りないもの。薫は長い間それを研究し続けていた。

 世界中のありとあらゆるアンドロイドが持ち得ぬもの──感情を持つアンドロイドを造ることは、アンドロイドを研究している者にとっては夢だった。

 表面上、アンドロイドは笑うことができる。

 だがそれはチップの中に刻まれたデータでしかない。アンドロイドには感情が存在しない。データをインプットしなければ感情を表現することはできなかった。

 イヴは与えられた喜怒哀楽を見事に使いこなしていた。

 先程のように笑い、拗ね、子供のような無邪気な表情を見せる。それは誰もが人間だと錯覚するほどだった。
 
 イヴの豊かな表情と滑らかな動きの美しいボディは人間達を騙すほど精巧に造られ、言わなければ誰もアンドロイドだと気が付かない。

 人々は薫を褒め称え、しまいにはアンドロイドの権威なんて呼ぶようになったが、薫の目的は精巧なアンドロイドを造ることでもおしゃべりロボットを造ることでもない。

 ただ、イヴが感情を得ること。そしてその先にあるものだった。

 どれだけ人間離れした薫の頭脳でも、アンドロイドに感情を与えることは容易ではなかった。計算で出来ることではない。

 気が付けば薫は毎日そればかり考え、研究室にこもり、そしてイヴに叱られるという生活を送るようになっていた。

「そういえば、学会って来週ですよね。やっぱり私も行くんですか?」

「お前を発表するんだから当たり前だろ」 

 薫がカップをテーブルに置くと同時に、イヴはさっと食器をトレーに戻した。

「さ、そろそろ外に行きましょう。いつまでも家の中にいたら日が暮れちゃいます」

「分かった分かった。行ってやるからいちいち急かすな」

「今日は天気がいいからきっと気持ちいいですよ」

 イヴはよく笑った。微妙な表情の変化でさえ、人間のようにいとも簡単にしてみせる。それは薫がそう造ったからだ。

 イヴが心から笑い、泣き、怒ることはあるのか。薫はアンドロイドの研究をしているのに、時々たまに心理学者になったような気分になった。

 無謀な研究だと非難されることもある。アンドロイドは無機物なのに、感情を与えるなど不可能だ、と。薫はそれを否定しない。その意見は間違いではないと思っていた。

 ただ、だからといって研究を諦めるつもりはなかった。

 不可能だと思いながらも研究を続けているのは、プライドがあるからでも金が欲しいからでもない。薫がそれを信じたいからだった。




 よく森林浴に行く森は、薫の自宅から十分ほど歩いた場所にあった。

 世界が統合された後、野生の動物や植物が生息する区域は地球上でごく限られた場所だけになった。人間にとって自然は遠い存在となったが、薫の自宅は街からかなり離れており、自然保護区の中にあったため、イヴとよく訪れていた。

「今日は昨日より少し暖かいですね。風も気持ちいいですし、外に出て正解です」

 イヴは両手を広げて空を見上げた。

「……腰が痛い」

「あれだけ長時間座っていたんだから当たり前です。疲れない椅子でも開発したらどうですか」

「面倒臭い」

「その方が世の中のためになると思いますけど」

「別に社会貢献になんか興味ない。俺がしたくてやってるだけだ」

「もう充分じゃないですか。アンドロイドに感情なんて……望んで手に入るものじゃありませんし、これ以上なんて……」

「もしかしたらできるかもしれないだろ」

「本当、研究してる時の博士は今の五百倍くらい活き活きしてますね」

「当然だ」

「学会、楽しみですね」

「当日着る服買っとけよ」

「なんだか毎回私の着せ替えショーみたいになってませんか?」

「お前が主役みたいなものだからな」

 イヴは世界に一体しかない貴重なアンドロイドだ。そしてそれを造ったのはアンドロイドの権威、立川博士。

 学会だろうがパーティーだろうが、二人が視線を独占するのはいつものことだった。

 イヴがアンドロイドでなく、そしていつも薫の傍に寄り添いさえしなければ、数多の男が彼女に甘い言葉を囁いただろう。

 イヴは薫が造り出した美貌とボディのおかげで、一般人ですらその名を知る「最も美しいアンドロイド」と呼ばれていた。

 一方薫は天才アンドロイド研究家と言われていた。

 歳も若く、研究者のイメージとかけ離れたその甘いマスクに引き寄せられた女が今まで一体何人いただろう。

 すっと整った鼻梁、人をくったような性格に挑発的な瞳。モデルのような長い脚はスーツで隠すのが惜しいほどだ。
 
 もし薫の隣に世界一の美女ならぬアンドロイドさえいなければ、女性達は影から観察などせず堂々とアタックしたに違いない。

 二人は研究者とその対象という関係だったが、先入観なしで見れば恋人にしか見えなかった。