アジトの屋上に出たジルは空と海を眺めていた。

 海は青い絵の具をそこに流したような鮮やかさで、まるで氷のように澄んでいた。ここからでも海の中が見える。

 真っ白な建物に太陽が反射して思わず目を細めた。

 広大な景色を眺めながら、ジルは昔の記憶を辿った。それはもう、何年も前のことだ。

 自分は元々イタリア出身ではなかった。

 ヴァレンチナに初めて来たのは、一人旅をしていた十代の頃のことだ。当時、初めて見たこの景色にいたく感動したのを覚えている。明るい雰囲気と町の人間が気に入って、しばらくここに滞在した。

 彼女と出会ったのはそんな時だった。

 飽きることなく海を眺めていた自分に話しかけたのは、栗色の髪をなびかせた少女だった。

 初めて見た彼女に、自分は恋に落ちた。「落ちた」と言っても差し支えない感情だった。それは夜に煌めく星がこの手に落ちて来た時のような、そんな温かさだった。

 彼女はステラといった。この街に住んでいる少女だった。

 まだ大して話してもいないのに自分は彼女に告白し、彼女はそれにイエスと答えた。

 温かくて、優しくて、本当に幸せなひと時だった。

 一人旅は終わりを告げたが、その後も何度もここへ足を運んだ。寂しがる彼女に会いに行き、おかえりとただいまを言い合った。

 ステラとはよく海を見た。ステラは海が好きだった。自分も海が好きだった。

「ねえ、ジル。もし、もしよ? 星が全部海に落っこちたらどうする?」

「なんだ、なにかの謎かけか?」

「ううん、なんとなく思っただけ。ねえ、どうするの?」

 ステラは空想が好きな少女だった。彼女はこの街を愛していたが、遠くのこともよく話した。生まれてからずっとこの街で過ごしてきた彼女は、頭の中でいつも自由に旅をしていた。だから旅をする自分を羨ましがった。

「俺なら星を空に還すだろうな」

「へえ、星を空に? どうして?」

「お前の好きな海が真っ青じゃなくなるだろ」

「ジルは優しいのね。私もこの海が青色じゃなくなっちゃうのは嫌だな」

「心配するな。お前がいる間はずっとこのままだ」

「それはジルがどうにかしてくれるから?」

「さあな?」

 お互い笑いあった記憶は懐かしい。ステラはいつも自分のそばに寄り添ってくれた。あの時までは────。

 しばらく祖国に帰っていたジルは、遠いイタリアの湊町、ヴァレンチナで起きたことを知らずにいた。

 定期的に届くステラからの手紙が途絶えた時、ようやくそれに気がついた。慌てて向かった場所には、もう青い海も真っ白な建物も、賑やかな街並みも残っていなかった。

 ボロボロに崩れた外壁と、真っ黒に焼け焦げたような匂い。あんなに青かった海は、タールが流れ込んでどす黒く変色していた。

 無我夢中でステラを探した。いつも海を眺めるあの場所も、彼女の家も。

 だがいなかった。ステラはもう────。

 ジルは呆然とした。やがて、ここでマフィア同士の抗争があったことを知った。

 大きな争いは重火器を持ち出すような激しい攻防戦を繰り広げ、巻き込まれた街は壊滅状態にまで追い込まれた。それは自分がここを訪れる、数週間も前の出来事だった。

 それでもステラがどこかで生きているんじゃないかとあちこちを探した。人にも聞いて回った。

 だが、彼女は見つからなかった。あの街にいたほとんどの住人が死んだと聞かされて、目の前が真っ暗になった。