「ここ、どこだろう……?」

 ムカムカしながら広い街の中を歩いていると、見たことのない通りに出てメアは立ち止まった。

 ヴァレンチナは「初めてきた人は必ず迷子になる」とビアンカに言われたが、メアも現在その状態に陥っていた。

 最初来た道に戻ろうとしてみたが、特徴のないほとんど同じ景色の通りは見分けがつかなくて帰れそうにない。あてもなくあちこち歩いたせいか、メアの脚は靴擦れを起こしていてこれ以上歩けそうになかった。

「失敗したかな……」

 迂闊に出たのがいけなかったのだろうか。今は何時なのだろう。もう外は暗くなっていて、海は茜色に染まっているし、通りを歩く人も昼間に比べたらまばらになって来た。

 どうしようもなくなったメアは近くにあったベンチに腰を下ろし、痛む足を抑えながら帰ってからの言い訳を考えた。

 彼らは探しているだろうか。いつも夕食の時間になれば呼びにくるから、部屋の中にいなければバレてしまう。元々それまでには戻るつもりだった。道にさえ迷わなければ予定通りになるはずだった。

 正直困った。通行人に聞いたところでディアブロのアジトなんて分かるわけがない。むしろ逃げられて余計に状況が悪くなるだけだ。

「どうしたの? 一人かい?」

 俯いていたメアに声をかけて来たのは、いかにも陽気そうなイタリア人だった。

 男は笑顔で話し掛けてくるが、イタリア語が堪能でない自分には、朧げにしか彼の言うことがわからない。薄っすらと理解した単語をつなぎ合わせ、どうやら彼が夕食に誘っていることに気が付いた。

 お腹は減っているし、外も暗くなって来たからこのままここにいるわけにもいかないが、見知らぬ人についていくほど馬鹿ではない。

「ごめんなさい、遠慮しておきます」

「誰かと待ち合わせでもしてるの?」

「いいえ……」

「キミ、脚を怪我してるじゃないか! 大丈夫かい?」

 男性はメアの脚を見てギョッとした。分かりやすく指の付け根と踵に血が付いていたからだろう。彼は尋ねるでもなくポケットからハンカチを取り出してメアの脚に巻き始めた。

「放っておいたら駄目じゃないか。こんな綺麗な脚なのに……靴擦れを起こしてたのかい?」

「え、ええ……」

 彼は医療に携わっているのか手慣れた手つきでハンカチを巻いていく。メアの足はあっという間にハンカチで包まれて、傷になった部分はしっかりと覆い隠された。

「ありがとう……助かりました」

「いいんだ。困ってる人がいたら助けるのが当たり前だから」
 
 男は白い歯を見せて笑った。いかにもイタリア人らしい性格だ。イタリア人は困っている人を放っておかないという噂は本当なのだろう。一人で心細かったメアは、男性の笑顔にほんの少しだけ救われた。

「それで、女性がこんなところにいつまでも一人でいるのは感心しないな。帰る場所はあるのかい?」

「ええ……あるにはあるのですけど……」

「道が分からないの? よかったら案内しようか?」

 是非お願いしますと言いたいところだったが、あのアジトを人に聞いても分からないだろう。目立った部分もなければその辺りの一軒家と外観は同じだから、目印もへったくれもない。

「あの、やっぱり遠慮し────」

「メア!」

 突然名前を呼ばれたと思ったら、男と自分の間に大きな白い壁が立った。

 顔を上げると、息を荒くしたジルと彼の金髪が見えて、メアは思わずぎょっと驚いた。

 ジルはドスの効いた低い声で男に声を掛けた。早口で何を言っているか分からないイタリア語は自分の耳では聞き取れないが、ジルの声色は怒りを滲ませていて男は困ったように彼と会話している。

 やがて男は笑顔でそこを去った。

 一体何を話していたのだろう。なんだかあっという間の出来事で、よく分からないまま彼らの話をぼうっと聞いていた。

 ジルはいきなり振り返って、メアをジロリと睨んだ。

「なんで勝手に出て行った!!」

 静かだったジルがいきなり叫んでメアはビクッと肩を震わせた。

 ジルはそれをみてハッとして、バツが悪そうに目をそらした。

 勝手に出て行ったことを怒っているのだろう。息の荒い彼はメアを探して相当走り回っていたに違いない。

「ビアンカさんがいなかったの……」

「他の連中に頼めばいいだろ」

「だ、誰もいなかったのよ!」

「一人で出るなと言ったはずだ。勝手なことをするな」

「な……なによ。自分は女の人と遊んでた癖に! 偉そうなこと言わないで!」

 メアが負けじと叫ぶと、ジルはショックを受けたように瞳を伏せた。

 いきり立っていた彼の表情が一変して、少し言いすぎただろうかと後悔した。彼は目をそらしたままボソッとつぶやいた。

「────悪かった」

「え……」

「帰るぞ」

「あ────」

 ジルが歩き始めて、メアは後をついて行った。

 だが、手当てしてもらったとはいえ靴擦れした部分が痛くてなかなか進まない。のろのろと歩くメアを振り返って、ジルはようやくメアの足の異変に気がついたようだ。

「脚、怪我してたのか」

「……別に、大したことないわ。ちょっと靴擦れしただけよ」

 ジルは自分の前に屈んで手を差し出した。

「……どういうつもり」

「痛いんだろ。おぶってやるから乗れ」

「ば……馬鹿言わないで! あなたの世話になるなんて死んだってごめんよ!」

「じゃあ、一人で帰れるのか? アジトの場所が分かるのか?」

 ジルにとどめを刺されて、メアはぐっと口を噤んだ。確かに彼のいう通り一人で帰ることも出来なければアジトの場所もわからない。オマケにこの足では帰れたとしても日付が変わってしまうくらい時間がかかるだろう。

「……借りは返すわ」

「もっと可愛く言えないのか」

「お願いします! どう!? 満足!?」

「素直じゃない女だな」

 嫌々ジルの背中に乗っかると、ジルはメアを背負って立ち上がった。ジルはかなり細身だが、意外に力があるようだ。

 歩きながらメアは彼の香水の香りを嗅いだ。どこのブランドのものだろうか、それともこれは女のものだろうか。セドラの香りは彼によく合っている。

「退屈させて悪かったな」

「なによ……どういう風の吹き回し? マフィアのボスが簡単に一般人に謝るなんて」

「この街は平和に見えるが、少し前までは他のマフィアが暴れてたんだ。だからお前を一人で外に出すわけにはいかなかった」

「そう、なの……」

 知らなかった。この街でも抗争があったのだろうか。とてもそんな事とは無縁の長閑な場所に見えるが、ジルがここにアジトを構えているくらいだから、何かあるのかもしれない。

「女じゃなきゃ嫌ならビアンカをお前に付けておく。窮屈だろうが我慢しろ。もう一人で出歩くな」

「どうして……あなたは私を守ろうとするの。私はあなたを襲ったのよ」

 思えば、ジルはおかしなことばかり言っている。約束だと言って襲わないようにしたが、この約束はマフィアにとってフェアではない。なぜなら、彼らにメリットがないからだ。

 そもそも、メアが襲ったところでジルにはレオンというボディガードがいる。レオンの戦闘力はお墨付きだし、最初会った時も呆気なく捕まえられた。襲わない、などと約束しなくてもレオンは勝手にジルを守るだろう。

 どうしてそんな約束をしようと思ったのだろう。もともと守るつもりが無いからなのか。余計なことを知って邪魔ならば殺せば済む話だ。

 それにジル自身が自分を迎えにきたことにもずいぶん驚かされた。

 ジルはマフィア一家のボスだ。彼はイタリアで最も危険な男のはずなのに。なぜあんなに慌てていたのか、息が切れるほど走り回ったのか。

「……俺はもう、マフィアの争いに関係ない奴を巻き込みたくないんだ」

「な……なによ。マフィアの癖になに言ってるの」

「ディアブロは確かにお前の大嫌いなマフィアだ。でも、他とは違う」

 ディアブロは他のマフィアとは違う。それはメアも感じていたことだ。彼らの態度や性格は、おおよそ一般的なマフィアのそれとは違った。親しみやすくて、まるで家族のように接してくれる。

「アイツらはお前と同じだ。大事な奴らをマフィアに殺されたり、マフィアに追われてきた。だから、マフィアがのさばる世界を壊そうとしてる」

「それが、ディアブロの合言葉のわけ……?」

「知ってるのか」

「ビアンカが教えてくれたの。ここに居る人達はみんな、事情があるんだって……」

「ワケありな連中ばかりだが、根はいい奴らだからお前もアジトにいる間は普通に過ごせばいい」

「……勝手に出て行って、ごめんなさい」

 マフィアは大嫌いだし、ジルのことも好きにはなれない。それでも、ほんと少しだけ────彼らに対する誤解は解けたように思う。

 真っ暗になった帰り道をゆっくりと歩きながら、メアは背中越しに彼の微かな鼓動を感じていた。

 ────ジル、あなたも……大事な何かを失ったの?