茶会の一件が尾を引いているのか、沙羅はその後も気分が優れず、人が来てもそのように言って追い返した。

 日中はじっと座っていて、食事は少しばかり手を付けただけでほとんど残してしまう。

 沙羅が目に見えて痩せていくので宗則は酷く心配してあれやこれやとするが逆効果のようだ。あんな嫌がらせをされたのだ。人が嫌になるのも無理はない。

 沙羅は大人しいため、言い返したりもせず黙って聞くから余計に相手の苛立ちを掻き立てるのだろう。



 やがて夜も更けて、月が真上に登った頃。

 沙羅がまだ起きているので、朱緋も眠らずそれに付き合っていた。

 いつも沙羅は眠るのが遅いのだが、今日はとりわけ遅かった。

 いったい彼女はどういう体をしているのか。普通なら皆ぐっすりと眠っている時間帯だ。朱緋だって少しは寝たいから、沙羅を寝かそうと少し口を出した。

「夜更かしばかりしてると体に毒だぞ」

「……朱緋様も、起きてらっしゃったのですか」

 下から声が帰って来た。沙羅の声ははっきりとしている。まだ眠くはなさそうだった。

「俺はお前が寝ないと眠れねえんだ。まあ、どっちにしろ半分起きてるから同じだけどな」

「……申し訳ありません。私のことは気にせずどうぞお休みになってください」

「まだ眠らねえのか」

「眠りたくないのです」 

「眠りたくない?」

「眠れぬのです。どうしても……」

 小さな声でそう言った。なぜ、そんなことを言うのだろうか。沙羅の声は少し震えていた。

「俺がいる。襲われるようなことはねぇよ」

「それでも……眠れぬのです」 

「じゃあ、月見でもするか」

「月見……?」

「今日は朧月なんだと」

 朱緋は下へ降りると、沙羅が滅多に開けない障子を開け放った。

 そこからは整えられた庭が見えた。真っ暗なはずのそこは月明かりでぼんやりと照らされている。池の水面に月が映り込んでいた。

「夜はこのように見えるのですね……」

「たまには外に出ろ。引き篭もってるから具合が悪くなるんだ」

「朱緋様は忍でいらっしゃるのに、時々不思議なことをおっしゃるのですね」

「はあ?」

「ごめんなさい。私、忍の人はもっと……強くて、寡黙で、怖そうな人だと思っていたのです」

「俺が強そうに見えねえってのか?」

「いいえ。でも、そうですね……あなたはとても、優しそうです」

 沙羅はふわりと、朱緋に穏やかな笑みを向けた。

 穏やかな表情と柔和な目元は、いつもの無口で無表情な彼女とは違う。朱緋が数度だけ見た、彼女の本当の姿を見た気がした。

 美しくて、儚い。この朧月のようだ。

「朱緋様はいつもその布でお顔を隠してらっしゃいますが、苦しくありませんか?」

 朱緋が朱色の布を顔にずっと巻いているのが気になったのだろう。忍びの朱緋はこれが普通だが、他人から見たらそう見えないのかもしれない。

「別に苦しくねえ。昔からやってるし、顔を隠さねえと忍なんか出来ねえよ」

「そうなのですね……どのようなお顔をしてらっしゃるか少し気になったのです」

「そんなに知りたいか?」
 
 忍は任務中は基本顔を隠している。それはどの忍もそうだ。顔が知られると厄介だし、仕事にならないからだ。

 だから朱緋はどの雇い主にも顔を見せたことがない。だが、沙羅にはなんとなく見せてもいいと思えた。

 普段あまり自分を出さない彼女が、こうして心の内をさらけ出してくれたからだろうか。

 顔に巻いていた布をとって、朱緋は隠していた顔を見せた。

 沙羅は、顔を晒した朱緋に少し驚いているようだった。そしてくすっと笑った。

「なんだ? そんなに俺の顔がおかしいのか」

「いいえ……この月のようにとても綺麗なお顔だと思ったのです」

「……そりゃあ、どうも」

「不思議ですね。私……こんなに話したのはあなたが初めてなのです」

「あの年増女達と仲良くなんてなれねえだろ」

「朱緋様……っそのような……」

「本当のことだろ。年増のばばあが寄ってたかって小娘いじめてりゃあそりゃ男も寄り付かなくなるわな」

「あの方は悪くありません……元はといえば私が……」

「お前がどうこうの問題じゃねえ。大名の正室になったんなら側室問題なんてどこに行ったってある話だ。それをぐちぐち言うならお武家なんかやめりゃいいんだ」

「……朱緋様はご自身の考えをはっきりとおっしゃるのですね」

「じゃなきゃこんな世の中で生きていけるかよ」

「私も、あなたのようにしていればよかったのでしょうか」

 沙羅は縁側の下へ出て、その月を眺めた。

 月光の下に晒されたその人は、余計に儚く、その光の様にすぐに雲に隠れ、消えてしまいそうに思えた。

 朱緋はその日、姫の恐れと不安を知った。傾国と謳われた人も、自分と同じ人間なのだと。